287.意表
ここは、どこだ。
私は、死んだはずだ。
あの日、凪の墓の前で私は薬を飲んだ。一瞬であの世へいける薬。
苦しまないためではない。間違っても、生き残ることのないように。
ダンゾウはきっと、怒るだろうな。失望するだろうな。こんな形で死を選ぶことになった私を。
忍びは、里のために死ぬべきだと。
そうだ、それが忍びの誇りだ。だからこそ私は、この結末を選ぶ。
「本当にいいのにゃ?」
「あぁ、もういいんだ。あいつにはゲンマがいる。私のような者は、むしろ消えたほうがいい」
傍らに立つレイは、冬用の分厚い忍び服を着ている。呆れたように息を吐くと、微かに白い靄が浮かび上がった。
「お前は本当にアホだにゃ」
「……そうだな。私は本当に大馬鹿者だよ」
レイはそれ以上、何も言わなかった。
あれから、かなりの月日が経ったらしい。身体が言うことを聞かず、対峙させられた部隊の先頭にサクモが立っていた。
いや、違う。サクモは私よりもずっと早く、死んだじゃないか。
浄土で私は、サクモにも凪にも会えていない。
誰にも会うことなく私は、暗い森の中にひとりで蹲っていた。
今目の前にいるのは、カカシに、だ。年の頃は、三十といったところか。カカシは子どものときから強かった。人間離れした技の使い手だった。やはりサクモの子であり、は私たちと同じ、の血筋だと思った。
ゲンマがいれば、あいつは大丈夫だと思った。
それなのにまた、同じことを繰り返したというのか。
絶対に幸せにするという男を、娘の結婚相手に選んだ。それでは駄目だった。ゲンマは、を絶対に幸せにするとは言わなかった。その謙虚さに希望を見た。もしかしたら、娘に必要なのはこういう男だったのかもしれないと。
だが、違う。凪もも、幸せになれなかったのは男のせいなどではない。
――全て、私の責任だ。
かつて私のしたことは、全て間違っていた。
私は母親になるべきでは、なかった。
ソウシ、なぜ私を愛した?
アケル、私はどうすればよかった?
ゲンマ、お前は今、どこで何をしている?
お前は、今も――を愛しているのか?
『……好きです。のことが、大好きです』
それでもあいつが凪のようにお前を拒んだというのなら、それは私の責任だ。
――。
私を倒し、私が間違っていたことを証明しろ。
お前は、お前の道を行け。
***
クナイを握る手が、汗で滑る。もう、忍具の残りは数えるほどしかない。忍猫たちも心なしか息が荒い。
対する祖母は、動きに一片の乱れもない。散り散りになった芥はすぐに復元し、まるで時間そのものが逆流しているかのように感じられる。
「どうした。もう手札は尽きたか?」
挑発ではない。その冷たい声に、歯を食いしばった。
「まだ……終わってない!」
忍猫たちが合図と同時に四方から飛びかかる。煙玉、手裏剣、鎖鎌――残された全ての手段を投げ打って、わずかな隙を作ろうとする。でも祖母はそれらを正面から受け止め、全てが無駄打ちであるかのように見えた。
「、その戦い方ではお前が疲弊するだけだ。私は操られている。このままではお前を殺すことになるぞ」
「うるさい!」
自分に言い聞かせるように叫び、再び飛び込む。残り少ないチャクラを風遁に込めてクナイを飛ばす。かわしもせずに急所を貫かれた祖母の背後に再び、忍猫のひとりが現れた。
その瞬間、私の視界に映る景色が変わる。
「無駄だと言っている!」
祖母が瞬時に振り向いた先にいるのは、私じゃない。
耳を裂くような雷鳴と閃光が走り、突如現れたカカシの千鳥が祖母の鳩尾を貫いていた。
***
たちと距離を取りながら、霧の血継限界と対峙する。別の場所で砂の敵と戦闘中だったガイたちの小隊が戻ってきて合流。もう一押しだ。戦闘が長引けば、それだけ味方が疲弊し命を落とす。
「カカシ、話があるにゃ」
「何。こっちも忙しいんだけど」
慣れない首切り包丁を使うのも、神経をすり減らす。突然肩に現れた忍猫のトウが呑気な様子で話しかけてきた。
に何かあったのか、ここからは確認ができない。
「こっちに手を貸すにゃ。お前、暇そうにゃ」
「どこをどう見れば暇に見えるのよ」
敵の術をかわしながら、踏み込んで薙ぎ払う。猫って本当に、空気を読むんだか読まないんだか。
トウはの忍猫で初めて、俺にどうでもいいことで絡んできた奴だ。彼らはそもそも、忍犬嫌いが多い。の相棒には昔から、犬臭いと煙たがられてきた。
まだ若いこの雌猫は、パックンたちにも偏見なく楽しそうにじゃれついている。
時代は少しずつ、変わってきているのかもしれない。
「どうした、何かあったのか?」
敵との間合いを測りながら退いてきたガイが、前を見据えたまま聞いてくる。俺もまた敵を睨みつけ、短く声を出した。
「向こうに澪様の穢土転生体がいる。がひとりで戦闘中だ」
「何ぃっ!? すぐに援護に行かなければ!!」
「ここはどうすんのよ」
にはいざとなれば時空間忍術があると思ったが、きっとあいつは逃げるためには使わない。過去の因縁にけりをつけるため、差し違えてでも澪様を倒すつもりだろう。
戦争では人が死ぬ。そんなもの、いくらでも見てきた。
だからといって、悲観することはできない。
俺たちは未来のために、戦っている。
「カカシ、さっさとするにゃ。やってほしいことがあるにゃ」
「だから、今はここを離れるわけにいかないでしょ」
「いや、早く行け、カカシ。ここは俺たちに任せろ」
ガイはそう言って親指を立て、歯を見せて笑った。子どもの頃から変わらない、眩いばかりの笑顔で。
――なぁ、ガイ。だけじゃない。俺はお前の存在にも、幾度となく救われてきたんだ。
「はお前を待っているはずだ」
「……分かった。ここは頼んだ。すぐに終わらせて、封印班を寄越してくれ」
「分かっている!」
首切り包丁を抱えて、走り出す。敵の攻撃が背後に迫るのを感じるが、構わず疾走する。ガイが、仲間たちが、何とかしてくれるはずだ。
「カカシ、アタシがババアの背後を取るにゃ。そこでお前と入れ替わるにゃ、その隙にお前の一番の大技を入れてほしいにゃ」
「ババアって……澪様のこと? ていうか、入れ替わるってどうやって? 俺はじゃないよ」
「誰でもできるにゃ。アタシがやればできるにゃ」
「えっ、そうなの!? じゃなくても時空間忍術で飛ばせるの!?」
「当たり前にゃ。やりたくないからみんなやらないだけにゃ」
「ええぇ……何それ、初耳なんだけど」
の忍猫の時空間忍術は、にしか使えない。それは木の葉の常識だ。が、実際はやりたくないから他の忍びにはやらないだけ。なんというか、らしいな、と思った。
本当にお前たちは、気まぐれな生き物だね。
「それは分かったけど、術を決めるだけでその後はどうするの。封印班が来なければ、すぐに復元するだけでしょ」
「分かってるにゃ。そのあとはアタシらに任せるにゃ」
何か考えがあるらしい。もう一度目配せすると、トウの姿が俺の肩から消えた。
一瞬身体が浮き上がるような感覚に包まれ、その次の瞬間には目の前に澪様の背中が現れた。手のひらにチャクラを溜めて、一気に放出する。
「千鳥!」
穢土転生体を貫く感覚もまた、重く、熱い。