284.出立


 連合軍の総大将は、雲隠れの四代目雷影。綱手様は参謀総長。参謀としてシカクさん、情報部隊長としていのいちさんが本部。
 私は情報部隊の一員として、戦闘部隊の後方支援。

「頼りにしてるよ、
「素直なあんたは気持ち悪い」

 猫撫で声のカカシをぴしゃりと撥ねつけると、彼は少し不貞腐れた様子で目を細めた。戦争に参加する中忍以上の忍びは、これから一路、雲隠れへと向かう。
 初めての戦争で緊張しているんだろう。第三部隊のリーくんが顔を強張らせながら聞いてきた。

「お二人は仲が宜しいんですね」
「だって俺たち、幼なじみだから」
「えっ」

 びっくりして声をあげた私に、カカシは心底傷ついた顔をした。

「お前……冷たい」
「私のことそんな風に呼んだこと、これまで一度だってないくせに」
「照れ隠しでしょ。お前は本当に鈍いね」
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
「あのね、さすがの俺も傷つくよ」

 最近のカカシは、本当におかしい。素直すぎる。
 きっと――一度死んでからだ。カカシは変わった。まるで、憑き物でも落ちたみたいに。

 何があったかは知らない。でも、カカシはすごく丸くなった。

 気持ち悪いなんて思ってないよ。本当は、嬉しいよ。素直になれないのは、私のほう。

 私とカカシが軽く睨み合っていると、後ろでリーくんが小さく吹き出すのが聞こえた。

「お二人は本当に仲が良いんですね。カカシ先生のことはそれなりに知っているつもりでしたが、不勉強でした」
「こんなしょうもないこと知らなくていいよ」
「お前はちょっと黙っててくれる?」

 呆れ顔で息をついたカカシが、リーくんを横目に見て小さく微笑んだ。

「当たり前だと思ってたものの有難さに気づくには、時間がかかることもあるでしょ?」
「素晴らしいです!! それほどさんとの友情がカカシ先生にとって大切だということですね!! 勉強になります!!」

 純粋に感動したらしいリーくんが拳を握って号泣している。私はすごく恥ずかしくなり、腕を伸ばしてカカシの後頭部を殴りつけた。カカシの髪はゲンマと違って、硬くて手触りが全然違った。

「恥ずかしいからあんたが黙って!」
「おやおや? サンは照れてるんですか?」
「うるさい黙って!」
「青春です!! 素晴らしいです!!」

 カカシの茶化しも、感極まったリーくんもめんどくさい。ここにガイがいなくて良かった。でも緊張していた様子の戦闘部隊の忍びたちが堰を切ったように笑い始めたので、仲間の心を少しでも解せたのかなと思ったら安心した。

 大丈夫だ。私たちはやれる。

 アオバもガイも、今できることを全力でやっているはずだ。

 腰の硬い忍具ポーチにそっと手を回して触れながら、私は自分自身にそう言い聞かせた。


***


 出立前、重苦しい空気だった戦闘部隊のほうからドッと笑い声が上がった。見やると、にやつくカカシに、拳を振り上げて喚き散らしているリー。元気な奴らだなと思えば、同じところからの怒鳴り声が聞こえてきた。

 はくノ一の中では特に小柄というわけではないものの、男に囲まれれば当然埋もれて見えなくなる。だが下から伸びてきた小さな拳に頭を殴りつけられて、カカシが笑っているのが見えた。

 戦争前だというのに、締まりのない顔しやがって。

 正直、面白くないし、呆れる。だが肩の力が抜けたのは、何も戦闘部隊の連中だけじゃない。

 カカシは変わった。ペインに殺され、生き返ってから、これまでとは明らかに雰囲気が変わった。俺の前でも、の前でも。

 カカシはきっと、のことが好きだ。いや、きっとずっと前からそうだった。認めていなかっただけだ。そしてやっと、自分の気持ちを認めることにした。
 を好きだと、カカシは隠さなくなった。

 だが、はカカシがまさか自分を好きだなんて夢にも思っていないだろう。がカカシを好きかもしれないと不安になった時期もあるが、今思えばあれは全部、俺を遠ざけるための嘘だった。はきっと、カカシを男として見たことはない。はずっと、俺のことしか見ていなかった。
 今はそのことが、確信を持って分かる。

 俺は腰の忍具ポーチに触れながら、あの日のことを思った。の家があった場所で、俺はあいつにまた同じポーチを贈った。十年前にから突き返されたそれは、ペインの術で吹き飛んだ部屋の片隅に残っていた。
 かんざしはまだ、俺の仮住まいに取ってある。

 十年前のポーチを渡したとき、は泣きながら首を振った。あんな風に勝手なことをしたのに、受け取る資格なんかないと。それを言うなら俺だって、本当なら二度とに触れる資格なんてない。

 それでも俺たちは、再び触れ合うことを選んだ。

 互いに求め合っていることを、俺たちはもう分かっている。

 俺だって、もう二度と自分の気持ちを隠したりはしない。

「俺が今、お前に受け取ってほしいんだ。過去のことはいい。今のお前の気持ちで、決めてくれ」

 真っ赤な目を潤ませて、はじっと俺のことを見ていた。ガキの頃から変わらない、透き通った瞳。忍びの世界では生きづらいことも多かったはずだ。だが忍びにならなかったとしても、はきっと、誰かのためにいつも心を痛めていただろう。

 どの道を選んだとしても、たとえ出会いの形が変わっても、俺はきっと何度だって、の心に触れたいと願う。

 躊躇いがちに忍具ポーチを受け取ったの額に、俺はそっと口づけた。

 何十回見ても、俺の挙動一つにこれでもかというくらい赤くなるが愛おしくてたまらない。どんなに苦しいことがあっても、つらいことがあっても、心を閉じようとしても、その奥に今も澄んだ眼差しがあることに、俺は触れるたび安堵する。

 ガイの父親のように、俺にも命懸けで守りたいものがあると分かるから。

……愛してる」

 自然と口からこぼれた言葉に、の瞳が揺れた。その頬をそっと撫でて、覗き込む。

「言えないなら、何も言わなくていい。ただ……もう少しこのまま、いさせてくれ」

 背中を抱き寄せながら囁くと、は俺の腕の中で小さくしゃくり上げた。それからしばらくして、ゆっくりと俺の背にしがみついてきた。

 胸が締め付けられて、息苦しくてたまらない。

 互いにまた、生きて戻れたら――。

「いよいよか」
「……だな」

 間もなく、出立の時間だ。ライドウの言葉に頷いてふと顔を上げると、カカシの頭の上に忍猫がひとり載っているのが見えた。トウだ。
 の忍猫たちは忍犬使いを毛嫌いしているはずだが、一番若いトウだけは例外のようだった。先日も、トウがカカシのそばをちょろちょろしているのを見かけた。

 忍猫たちにも、もちろんそれぞれ意思がある。トウにはトウの考えがあり、感情がある。

 頭では分かっていても、若い忍猫が俺よりカカシを選んだ事実が、思った以上に堪えた。