283.未来


「行くにゃ?」

 気配はなかった。それが奴らの能力だ。今さら驚くようなことでもない。昔からずっとそうだったのだから。
 地下の一室で腕の装備を確認しながら、振り返らずに吐き捨てる。

「貴様は孫のお守りでもしていろ」
「お守りはうちだけじゃないにゃ」

 生意気な物言いが、奴の母猫にそっくりだ。子どもの頃からずっと澪の肩にいた、あの忍猫に。
 ライの娘は立ち去る気配を見せなかった。

「お前が表に出る日が来るとは思わなかったにゃ。澪も想像してなかったはずにゃ」
「……長く生きれば、思わぬことが起こるものだ」

 里を陰から支える根。表から支える火影。その狭間を繋ぐ楔。
 だがあいつは、一人でさっさと行きおった。

 お前たちはもう大丈夫だと、言わんばかりに。

 お前は気ままな猫のように、いつも、勝手だ。

 最後まで、勝手な女だった。

「あいつは自分で自分にけりをつけたにゃ」

 奴が死んだ日、この忍猫は私の前に現れた。ヒルゼンの前でも、警務部の前でも、孫の前でも知らぬ存ぜぬを通した忍猫が、私の前でだけ悪びれもせずにそう言い放った。

「……裏切り者が」

 忍びは、里のために死ぬべきだ。里を守るために命を懸けてきた者たちを前に、自ら命を絶つなど言語道断。
 奴は里ではなく、家族のために死んだ。

 所詮、奴は忍びではない。骨の髄には、祈り舞う者の血が流れているのだ。

 全ての業も憎しみも、背負えるほど強くはない。

 ――その掴みどころのない儚さが、俺たちを繋いでいたというのに。

 幼い頃の彼女が、瞼の裏に蘇る。風のように気ままに巡る彼女が、ついぞ風のチャクラを扱うことだけはできなかった。

「あんたたちは大丈夫。表と裏、背中合わせだとしても、風みたいに混ざり合っていけるから」
「やめろ、気持ち悪い」

 俺とヒルゼンの間に入り、腕を絡め合って笑う澪の姿に悪態をつきながらも、俺は彼女から目を離せなかった。

 彼女は時々、予言めいたことを口走る。気味が悪いと突き放し、俺は聞く耳を持たなかった。

 本当は何よりも、縋りつきたかったのに。

「扉間様の遺志は、私が繋ぐ。あんたたちは大丈夫よ」

 大丈夫なものか。

 木の葉を守るためならば、私はどんなに汚い手でも使う。お前たちにはできないやり方でこの里を守る。貴様らが到底許すはずのない手段だろうが厭わない。
 だから、絶対に奴らに知られるわけにはいかないのだ。

「このことを知れば、私は澪を殺すぞ」

 裏社会に生きる者たちでさえ、必要とあらば利用する。忍びとは元来、そういうものだ。善悪などという流動的な価値の彼岸に生き、忠実な駒となること。
 里がなければ、平和などない。

「貴様にとって平和とは何だ」

 暗闇の中、ライはガラス玉のような丸い瞳でじっと私を見つめていた。

「澪の心が守られることにゃ」
「……くだらんな」

 吐き捨てて、私は猫に背を向けた。振り返らずに、声をより落とす。

「ならば私のことは、奴には黙っていろ」

 は弱い。あれの母親も、心を病んで死んだ。

 こんな醜い世界、奴は知らなくていい。

「木の葉の未来、忍びの未来のために、貴様らは決して生かしてはおかぬ!!」

 うちはマダラに、うちはサスケ。

 うちははやはり、皆殺しにしておくべきだった。

 命を懸けた呪印も、奴らを道連れにすることはできなかった。

 なぁ、ヒルゼン。

 ――澪。

 俺の全てを知ったとしても、お前はまだ、俺を友と呼んでくれるだろうか。


***


 ダンゾウ様が六代目火影に任命されたと思ったら、五影会談で早々に問題を起こして逃亡。正式就任前だったということで、カカシが次代に決まったかと思えば、綱手様が意識を取り戻して復帰。九月は慌ただしく過ぎていった。

 今回の戦争は、尾獣である八尾と九尾を守るための戦争。綱手様は当初反対したらしいけど、最終的には満場一致でナルトくんと雲のキラービーは秘密の場所に隠されることとなった。道中の護衛として、ガイが選ばれた。ナルトくんのお目付け役はもちろんヤマトさんで、連絡係として情報部からはアオバが同行する。
 私かアオバか最後まで検討されたらしいけど、私は情報部隊として、連合軍の戦闘部隊の後方支援を任されることになった。

 ダンゾウ様は、暁に堕ちたうちはサスケに殺されたらしい。目的は分からない。ダンゾウ様は裏社会との繋がりが強いと昔から噂されていた人だ。暁から目をつけられていた可能性も充分にある。何にせよ、サスケは国際的に手配されることになった。

「また、戦争になるのね」

 紅のお腹はだいぶ大きくなって、いかにも身体が重いんだろうなと誰が見ても分かるくらいだった。予定日は、来月だったはずだ。私は紅の仮住まいで、妊娠中でも大丈夫と言われているハーブティーを淹れている。

「うん……でも今回の戦争は、これまでとは違うから」

 カカシの言葉を借りて私はそう答えたものの、力は入らなかった。紅もそのことに気づいたのか少し変な顔をしたけど、結局、曖昧に微笑むだけだった。

 ローズヒップティーをひとくち口にすると、紅はほっとした様子で笑う。

「あんたたちが帰ってくるまでに、この子の名前、決めとくから。さっさと帰ってきなさいよ?」
「……うん」

 曖昧に答えて、私は目を伏せる。無事に、帰れるかな。他里の忍びたちと、手を組んで戦えるかな。
 私たちチョウザ班は、水方面の任務が多かった。危険な目に遭ったことも、仲間が殺されたことも、親友が大好きな仲間の手によって死ぬことになったのも、カカシが苦しみ続けているのも、全て霧隠れのせい。

 でもそれは、きっと霧にとっても同じなんだろう。憎しみが、次の憎しみを生んできた。その繰り返しが、忍びの歴史だ。
 私は復讐しなかった。でも、任務で霧隠れの忍びを殺したとき、私怨がなかったと言えるか。

 隣に霧隠れがいたとしたら、私は協力し合えるんだろうか。



 紅の声で、はっと我に返る。彼女はこれ見よがしに肩を竦めながら、呆れたように微笑んでみせた。

「この世界を守ってよ。この子が生まれてくるとき、誰も残ってないなんてことになったら、許さないから」
「………」

 紅は、私の性格なんてよく分かってる。

 私は誰かのためにしか、覚悟を決められない。

「うん……この子の未来は、私たちが守るよ」

 霧がどうとか、岩がどうとか、そんなことよりも今は大事なことがある。

 紅の微笑みを見つめ返して、私は決意を新たにした。