282.家族
の姉ちゃんは、平和なんて本当にあるのか分からないって言った。は五百年続く一族と言われていて、の歴史は、戦いと共にあったって。平和のために、祈って、踊る。平和がないから、力のないは祈るしかなかったって。五百年もずっと、ただ祈るだけだったって。
姉ちゃんはきっと今、戦いながら、祈ってる。祈りは、大切な人たちの大切にしたものを守ることだって。大切な人たちの信じたことを、信じることだって。
「人には、色んな顔がある。誰にだってある。信じたくても信じられないこともあるし、嘘だと思いたいのに信じるしかないことだってある。誰だって揺れながら生きてる。でも結局は、何を大切にしたいかだと思う。人の歴史は、選択の歴史だから」
俺に難しい話は分からない。でも姉ちゃんの言っていることは、俺にも少し分かる気がした。
エロ仙人の墓石を見つめる俺たちの背中に、聞き慣れない小さな声が届いた。
「お前は不思議なヤツにゃ」
振り返ると、濃い緑色の忍び服を着た目つきの悪い猫がいた。第七班の任務で空区の忍猫に会ったことはあるが、木の葉の忍猫はあいつらとは関係ないし、仲も悪いらしい。
正直、見た目の違いは俺にはよく分からない。だが突然俺たちの背後に現れた忍猫の顔つきは、猫というよりも人間のように見えた。
忍猫はの姉ちゃんには目もくれず、鋭い眼差しで俺のことを見ていた。
「お前はこれまで見てきたどの忍びとも違うにゃ。強いだけでもない、甘いだけでもない、バカだから悩んでも小難しいこと考えにゃいで突っ走れるにゃ。こいつや凪とは大違いにゃ」
忍猫が最後に出した名前に、姉ちゃんがピクリと眉毛を動かす。俺は姉ちゃんに向き直って聞いた。
「凪って、誰だってばよ」
「こいつの母親にゃ。うちはあいつが生まれてから死ぬまでずっと近くで見てきたにゃ」
「レイ……今、そんな話」
姉ちゃんが止めようとしたが、レイは無視して話し続けた。変な緊張感があった。
「凪の曽祖母は忍びじゃなかったにゃ。巫女として最期まで平和のために舞っていたにゃ。凪の祖母も母も忍びだったが、凪は忍びじゃない生き方も見ていたにゃ。戦わないという選択も、戦うという選択も持ちながら、凪にはそれを貫く強さも、バカみたいに突き進む愚直さもなかったにゃ」
「ぐ……ぐちょく? って、何だってばよ?」
聞き慣れない言葉に俺が首を捻っていると、姉ちゃんがため息をつきながら言ってきた。
「馬鹿正直ってこと」
「凪は無駄に考えすぎだったにゃ。でもそれが、のしょうもない癖にゃ。こいつも同じにゃ」
姉ちゃんは少しムッとしたが、顔を背けただけで何も言わなかった。色んな口寄せを見てきたが、忍猫ってやつは俺の知っているどの口寄せとも違うような気がした。
「誰もが現実を思い知り、絶望して諦めようとしてきたにゃ。お前は現実を知り、名もなき声を拾い、絶望してもなお、信じることを決めたにゃ。お前のようなヤツがいれば、もしかしたら」
「レイ?」
話しながら、レイの姿が突然消えた。姉ちゃんは少しきょとんとしたあと、また息を吐いて申し訳なさそうに俺を見た。
「ナルトくん、ごめん。忘れて」
「何で謝るんだってばよ。気にしてねぇし」
俺は自然と姉ちゃんに笑いかけたが、ふと思い立って思ったことをそのまま口に出した。
「忍猫って、口寄せっていうより姉ちゃんの家族みたいだな。なんつーか……ずっと見てきたって感じでさ」
俺は仲間ができるまで、ずっと一人だったから。一人だと思い込んでいたから。きっと三代目のじいちゃんもずっと気にしてくれていたのに。
姉ちゃんにももう家族はいないって聞いてる。一族の最後の一人だって。でもきっと姉ちゃんはずっと、一人じゃなかったんだろうなと思った。
姉ちゃんは小さく笑って肩をすくめた。
「うん、そうだね……私はまだまだ『青二才』って呼ばれるしね」
「猫のくせに生意気だってばよ」
「いいのよ。ほんとのことだもの」
姉ちゃんの笑顔はどこか誇らしげにも見えた。忍猫との信頼が姉ちゃんを支えてるんだと、俺にも何となく分かった。
ゆっくりと立ち上がって、姉ちゃんが土のついた服を払う。
「青二才は青二才なりに、自分にできることをやっていくつもり」
俺もその隣に立って、最後にまた、エロ仙人の墓石を見つめた。
「付き合ってくれてありがとな、姉ちゃん。俺も、負けねぇってばよ」
***
悪い冗談みたいだ。また、戦争が始まる。
たとえ危うい糸の上でも、この十五年、大国間の大きな戦闘は回避してきた。血の涙を飲んで防いだ戦争もある。数多の犠牲の上に成り立ってきた、仮初めの平和。
また、数え切れない命が失われるだろう。
その中に、自分が、大切な人たちが、いつ名を連ねるか分からない。いや、多くが名前さえ知れずに無残に死ぬだろう。それが、戦争だ。
「これまでの戦争とは違う。世界を守るために、国境を越えて忍びや侍が手を組むんだ。これがきっと、最後の戦争になる」
カカシはそう言ったけれど、楽観的になんかなれない。目的も、手段も関係ない。戦争は、人が死ぬ。人だけじゃない。動物も、植物も、全て。カカシだって当然、そんなことは分かっている。
私は諜報の世界に身を置いてきた。 戦争を防ぐ方法を考えるたび、情報は避けては通れなかった。
相手の意図を知ること。虚偽を潰すこと。誤解を解くこと。そうすれば、少なくとも無駄な衝突は避けられるはずだと。
でも結局、机上の空論だ。情報は人の心までは縛れない。憎しみが生まれれば、情報もまた争いのために利用される。そして新たな憎しみが生まれる。情報は所詮、道具でしかない。それを使う私たちが変わらなければ、意味がない。
私たちは変わったんだろうか。変われるんだろうか。血塗られた歴史の中で。
「また小難しい顔しやがって」
不意に声がして、顔を上げる。瓦礫の撤去作業が一段落して更地になった一角に、私は腰を下ろしていた。生まれ育った家が、かつてその場所にあった。母と、祖母と、暮らした家。幼い頃から何度も、ゲンマが訪れた場所。
このあたりはまだ仮住まいも整っていないので、私たちは里の北側に住んでいた。
ゲンマがポケットに手を入れたまま、ゆっくりとこちらに近づいてくる。いつものように余裕ぶった笑みを浮かべ、咥えた千本の先を少し揺らしている。
こんなときなのに、ゲンマはいつも通りだ。何十年も前に死んだとされたうちはマダラが生きていて、五大国を相手に宣戦布告し、すぐにでも戦争が始まろうというのに。
仮面の男は、うちはマダラだったという。まったく、実感が湧かない。初代火影・千手柱間とこの里を作った歴史上の人物。柱間と対立し里を離れたが、木の葉に害を為そうとしたため柱間に倒されたとされている。
オビトを感じたのは、うちはだからだろうか。でも、他のうちは一族にオビトを感じたことはほとんどない。得体の知れない不安ばかりが膨らんで、押し潰されそうだった。
「……ゲンマは、不安じゃないの?」
聞いてから、しまったと思った。不安じゃないわけない。いつだってそうだ。いくら不安でも、顔には出さない。ゲンマは子どもの頃から、ずっとそうだったのに。
ゲンマは私のすぐ隣に座った。ほとんど肩がくっつきそうなくらい近くに。どきりとする暇もなく、ゲンマはそのまま横から私を両腕で抱きしめた。
びっくりして、声も出なかった。ゲンマに抱かれるのは、ペインが襲来したあの日以来だった。
ゲンマの身体は少し、震えていた。
「不安に決まってるだろ。このまま、離したくねぇ」
ゲンマの体温と匂いに包まれて心臓が壊れそうなくらい揺れているのに、どうしようもなく不安で、息苦しい。私だってこのまま、離れたくなんかないよ。
でもきっと私は情報系の部隊に、ゲンマは大名の護衛に配属されるだろう。次に会えるとき、無事でいられるかどうか――嫌な予感ばかり、湧き上がってくる。ペイン襲撃のときだって、カカシやゲンマのおじさんが一度命を落とした。仲間も、自分自身も、どうなるかなんて分からない。しかも相手は、あのうちはマダラだ。
悩んだけど、私は腕を回してゲンマの背中をきつく抱きしめた。今、私たちはこうして生きている。目の前にいる。触れられる。気持ちを伝え合える。今、この瞬間、後悔しないために何ができるか。
ゲンマの首筋に顔を埋めていると、昔インナーの襟越しにこっそり口づけたことを思い出して、急に身体が熱くなってきた。
「……これ、覚えてるか?」
ゲンマが少し身体を離して、囁くように聞いてきた。何かと思えば、ゲンマが腰につけた忍具ポーチを片手でこちらに見えるように傾けている。十年以上前、私が贈ったポーチ――それにしては真新しいなと違和感を覚えた。
ゲンマが私の背中から腕を離して、そのポーチを腰のベルトから外す。やっぱりそれはゲンマが普段使っているものより目に見えて新しくて、私は思わず息を呑んだ。
「これ……ひょっとして」
「そ。十年前、お前に突き返されたポーチ」
ウソ。そんなの、何であるの? ずっと持っててくれたの? アパートは消し飛んだのに?
言葉を失う私に、ゲンマがはにかむようにして微笑む。
「未練がましいだろ。ずっと捨てらんなくてな……部屋がなくなっても、こんだけは残ってた。嘘みてぇだけどな」
よく見たら、反対側の腰にはもうずいぶん使い込まれたことが分かる革の忍具ポーチがある。私がプレゼントしたそれを、ゲンマは十年以上ずっと使ってくれている。ゲンマがかつてくれたものと、同じ。
「もう一回、もらってくんねぇか? 離れても……ずっとお前の、そばにいたい」
何も言えない私を、頬を染めながらゲンマが優しい眼差しで覗き込んでいた。