281.対話
里外れの墓地は、辛うじて被害を免れた。私たちの家は、ぎりぎりペインの術が届くかどうかのライン。ゲンマの借りているアパートは半壊に留まり、いくつか私物が残っていたらしい。ゲンマの実家に、私の家、そしてカカシの家は、そのほとんどが消し飛んだ。
「お前はまだ、面の男がオビトだと思ってるのか?」
残された慰霊碑の前で、カカシに会った。私たちは今、仮設住宅に暮らしている。ナルトくんがペインを倒して、まだ一週間しか経っていない。それなのに仮設住宅が整ってきたのは、木遁を使えるヤマトさんの功績が大きい。
慰霊碑の名前を見上げたまま、私はカカシの傍らで小さく口を開いた。
「……分かんない」
「何だよ、それ」
カカシは私を見て、呆れたようにそう呟いた。本当に、呆れるよね。私、勝手なことばかり言ってるね。
「ごめん。なんか……分かんなくなっちゃった」
「いいよ。お前らしいし」
肩を竦めるカカシを思わず横目で睨んだけど、私は反論できずにそのまま口を噤んだ。私が本当は優柔不断なんて、カカシだってよく分かっているだろう。
「百歩譲ってあれがオビトの写輪眼だとしても、もしかしたら何者かがオビトの死体から持ち去ったのかもしれない。オビトはあのとき……右半身は、確実に潰れていた。あの状態で、生きていられるはずはない」
「……そう」
それ以上は何も言えず、私は後ろ手を組んで目を閉じた。オビトの写輪眼が無事なら、オビト自身も無事だったのではないか? そんな思いも、すぐに霧散する。私はオビトの最期を見ていないし、仮面の男だってあのとき遠目に対峙しただけだ。それだけのことで、どういうわけかオビトかもしれないと思った。それを安易に口にして、カカシを混乱させた。
カカシと一緒にいるとき、サクは仕事の用件がなければまず現れない。サクの口から、オビトの話をしてもらうわけにもいかず、私はもうカカシの前でそのことを全く話さなくなった。
「の姉ちゃん……ちょっといいか?」
ナルトくんとの対話を経て、ペインは死者を蘇らせる術を使用して命を落としたそうだ。カカシも、ゲンマのおじさんも、その術のおかげで戻ってきた。ゲンマのおばさんは避難所にいて、おじさんが一度死んだことも知らない。絶対に言うなよと、おじさんには念を押された。
私がナルトくんに声をかけられたのは、仮設住宅での炊き出しが一段落して、ちょうど一息ついたときだ。本来なら諜報分野の特別上忍として、各地での情報操作や情報収集に奔走しなければならない時期だけど、里は未曾有の壊滅状態ということで、今は復興作業に当たるように上層部から指示されている。
五代目が昏睡状態ということも、混乱を招いている要因の一つだ。綱手様の回復を待つべきだという声と、早急に六代目を決めるべきだという声で里が割れている。でも、このまま手を打たないわけにはいかないだろう。シカクさんを含む上層部が、明日には大名殿へ発つ予定だ。
ナルトくんとは、一緒に組んだことは一度もない。でも彼がカカシや自来也さんと一緒にいるとき、顔を合わせれば言葉を交わす程度の関係性はあった。
「うん。ちょうど落ち着いたところだから、いいよ」
「悪い。ちょっと、付き合ってほしいってばよ」
特別上忍である私にタメ口をきく下忍なんて、ナルトくんくらいだ。まぁ、ナルトくんは相手が火影だろうがタメ口で喋るから、誰が相手でもこうなんだろうけど。
ナルトくんに連れられて訪れたのは、森の奥深くだった。師と刻まれた一抱えほどの石と、紙の花束。そして、自来也さんの本が一冊供えられている。
こんな場所があるなんて、知らなかった。
「……ここは?」
「エロ仙人の墓は、ないから。長門と話したこの場所に、俺が作ったんだ」
長門というのは確か、ペイン本体の名前だ。
かつて雨隠れで自来也さんが教えた、弟子の一人。
『ド根性忍伝』にも書いてあった。この本を書くきっかけをくれた弟子、長門に捧ぐと。
ナルトくんは、昔からよく喋る子だった。話を聞いてほしい、見てほしい、認めてほしいとばかりに。私が子どもの頃からゲンマに頼って甘えてばかりいたように。
でもペインとの戦いを終えてから、ナルトくんは見かけるたびに何か考え込んでいるようだった。今も手製の墓を見下ろしながら、どこか難しい顔をしている。私が何も言わずにその横顔を見つめていると、彼はゆっくりと話し始めた。
「姉ちゃんは……平和についてずっと考えてきた一族だって聞いた。エロ仙人の弟子だったって。俺、これまでほとんど考えたことなかったんだ。大蛇丸は悪で、暁は悪で、倒さなきゃなんねぇ奴らだって。サスケが行っちまったのは、悪い奴らに騙されてるからだって。イタチがサスケの家族をみんな殺しちまったから、復讐なんて馬鹿な考えに取り憑かれちまっただけだ、サスケが悪いんじゃねぇって。だから、大蛇丸がいなくなれば、イタチがいなくなれば、サスケは戻ってくるって信じてた」
握りしめた彼の拳が、震えているのが分かる。私は小さく息を吐いて、小さな墓石に視線を落とす。雨隠れに沈んだ自来也さんの魂が、確かにそこにあるような気がした。悩み苦しむ、ナルトくんの傍らに。
「でも……サスケは戻ってこねぇ。ペインは俺なんか想像もつかないくらい、心に深い傷を負ってた。ペインは、長門は……大国と大国の間で、自分の里の中で、どうにもできないモンに巻き込まれて、振り回されて、裏切られて、大切な仲間を殺されて……その痛みが、長門たちをあんな風にしちまった。俺がああなってたかもしんねぇ。俺は、変わらねえって長門に約束した。エロ仙人の信じたことを信じるって。どんだけ痛くたって、歩いていくって」
ナルトくんとペインの間に何があったかは、知らない。ペインにどんな過去があったかも、知らない。だけどナルトくんの諦めない『ド根性』が暁のリーダーさえ変えたことは、紛れもない事実だろう。
ナルトくんは偉業を成し遂げたはずなのに、その面持ちは、深く、暗い。
「でも……俺だって腹の中に、でっけぇ痛みを飼ってる。今は、俺だって愛されてたって分かってる。それでもまた、いつ俺の中の痛みが、憎しみが噴き出すか分かんねぇ。俺が俺の憎しみを抑えようとしたって、誰かの憎しみまで消せるわけじゃねぇ。もし、サスケが――」
彼はそこまで矢継ぎ早に続けて、ハッと言葉を切った。それから慌てた様子でこちらに顔を向けたけど、私が何も言わないのを見て、所在なさげに視線を泳がせた。
「……悪い。俺、自分でも何言ってるか……」
「いいのよ。まとまってなんか、なくていいの。言葉にするうちに、見えてくるものもあるはずだから。何でも、吐き出してくれればいい」
ナルトくんは一瞬目を見開いたけど、すぐにその場にしゃがみ込み、両手で顔を覆った。ペインとの戦いを終えたばかりで、彼も復興作業に奔走しているところだ。落ち着いて考える暇なんて、ないんだろう。
誰だってそうだ。それでも、ほんの少しの息抜きくらい、あってもいい。
「……ご両親のことは、聞いたの?」
そっと尋ねると、ナルトくんは手のひらから顔を上げた。
「俺の封印に、父ちゃんがチャクラを組んでくれてたんだ。俺が九尾に呑まれそうになったとき、助けてくれた。父ちゃんが、助けてくれたんだ……」
そんな、ことが。
でも、そうだとしたら――さすが、ミナト先生。
土壇場でただ封じただけじゃない。息子のために、ちゃんと保険を準備していたんだ。
やっぱり、すごい人だな。
沈黙を保つ私を見て、ナルトくんが驚いたように瞬く。
「姉ちゃんも……俺の父ちゃんのこと、知ってたのか?」
「……うん。隠してて、ごめんね。三代目の、決めたことだから。三代目は、あなたを守るためにそうしたのよ。だから……許してあげて」
私だって、三代目のやり方には疑問を持った。でも、三代目亡き今、それを口にしたところでナルトくんを混乱させるだけだ。私だって、知っていて口を閉ざした。それならばせめて、最後まで加担すべきだ。
ナルトくんは少し黙り込んだあと、頬を掻きながら照れたように笑った。
「あぁ……今なら分かるってばよ。三代目のじいちゃんが、俺を守ろうとしてくれてたこと。父ちゃんも俺を信じて、俺に託してくれた。俺、エロ仙人から大事なものいっぱいもらったと思ってたけど……父ちゃんからも、大事なモン、いっぱいもらってたんだな」
なんて、まっすぐな子なんだろう。
たった一人放り出されて、自分の生い立ちを恨み、世間の冷たい目に晒されて孤独に生きてきたはずなのに。
この子はこんなにも強く、どんな痛みを伴っても、必死に前を向こうとしている。
俯く私を見て、ナルトくんが上ずった声をあげる。
「何で姉ちゃんが泣くんだってばよ」
「ごめん、ごめんね……あなたが生まれる前からどんなに愛されてたか、知ってたのに……」
涙が溢れて、声にならない。自来也さん、ミナト先生、クシナさん。イクチやコトネさんだって、ナルトくんの誕生を心待ちにしていた。
ナルトくんは歯を見せながら、呆れたように笑った。
「エロ仙人の言った通りだってばよ。の姉ちゃん、いつもはカカシ先生なんかよりよっぽどしっかりしてんのに、こういうときは子どもみてぇだな」
『お前は本当にどうしようもない、困った可愛い弟子だ』
ナルトくんの笑顔に、自来也さんの面影が重なる。私は彼の隣に蹲って、声を潜めて泣いた。
「姉ちゃん見てると安心するってばよ。迷ってもいいんだって思えるから」
「……こんな優柔不断な大人を見て、安心しないほうがいいよ」
「だって姉ちゃんは、それでもちゃんと進んでるってカカシ先生も言ってた。迷っても、少しずつでも前に進んでるって。姉ちゃんは、カカシ先生の友達なんだろ?」
カカシの奴、ナルトくんに何話してんのよ。内心ちょっと悪態をついたけど、私は涙声のまま笑ってしまった。
「まぁ……最近やっと、友達って認めてくれたかな」
「え、何で」
「だって私、嫌われてたもん。子どもの頃なんか、悪口ばっか言われてさ」
カカシには昔から嫌われてたなって気持ちと、ほんとは好かれてたのかなって気持ちの間で、相変わらず私は揺れている。でも今は、やっと穏やかな友情を築けた気がするから、どっちだっていいんだけどね。
怪訝そうに眉をひそめて、ナルトくんが反論する。
「カカシ先生が姉ちゃん嫌いなわけねぇってばよ」
「……何で?」
「どう見てもさんのこと好きでしょ――って、サクラちゃんが昔からよく言ってたし」
「ハハッ……それはどうも」
本当に、年頃の女の子はそういう憶測が好きよね。吹き出すようにして笑っていたら、いつの間にか涙は引っ込んでいた。
自来也さんの小さな墓石を、私はぼんやりと見つめる。彼の名前は、慰霊碑に新たに刻まれた。でもここにこうして彼を思う一番弟子が手を合わせる場所を作ったことは、意味のあることに思えた。
ナルトくんは自来也さんのために、今も祈り続けている。
「サクラのこと……好きなの?」
そっと問いかけると、ナルトくんはピタリと動きを止めたあと、前を向いたまま穏やかに目を細めた。
「……うん。でもサクラちゃんには……他に好きな奴が、いるから」
やっぱり、今も、サスケのことが。
どれだけ思っても、届かないとしても。
「それでも、あなたの気持ちは……サクラに絶対、届いてるはずよ」
少し黙り込んだけど、ナルトくんはすぐに口の端をちょっと上げて微笑んだ。
「……うん。ありがとな、姉ちゃん」