279.傲慢


 バカカシ、か。ずいぶん久しぶりに聞いたな。

 最後に見たのがの顔で、良かった。

 派手な化粧よりも、素顔のほうが、好きだったな。

 ――最後に見られて、良かった。

「カカシか?」

 気づけば森の中を、歩いていた。知っているようで、知らない景色。パチパチと薪の爆ぜる音がして、温かな光が広がっている。
 懐かしいその後ろ姿に、どこか肩の荷が下りる思いがした。

「こんなところにいたの?」
「……あぁ」

 静かに頷く父さんの傍らに、そっと腰を下ろす。父さんは変わらない。あの頃の、まま。
 俺はどうかな。少しくらい、大人になれたかな。

 父さんは焚き火を見つめながら、穏やかに微笑んでいる。

「カカシ。お前の話を、聞かせてくれないか?」
「うん。俺も、父さんに聞いてほしいことがたくさんあるんだ」

 話したいことがたくさんあった。聞いてほしいことが山ほどあった。父さんの話だって、もっと飽きるほど聞きたかった。
 でも今は、そんな恨み言さえも、どうだっていいんだ。

 教え子のこと、仲間のこと。父さんを失ってからの二十年。たった一人だと思ってきたのに、俺にはもう、語り尽くせないほどの仲間がいる。

 オビト、リン。先生。

 もう少しだけ、待っていてくれ。

「そういえば、父さん」
「ん?」

 父さんは、何を聞いても嬉しそうだ。俺の話を聞くのが何より楽しいという様子で、優しく目を細めて俺を見る。昔からそうだった。厳しい修行のあとにも、父さんはいつも俺の話をこの笑顔で聞いてくれたんだった。

に、なんてこと話したの」
「何の話だ?」
「俺が、のことが好きなんて……俺、一度もそんなこと言ってないでしょ」

 少し顔をしかめて詰ると、父さんはまた肩をすくめて笑った。

「お前が素直じゃないからだよ。期待してるなら期待してるって言ってやれば良かったのに」
「だって……あいつが悪いんだよ。ほんの少し工夫すればもっと早く飛び道具だって上手くなれたのに」
「それなら、お前が教えてやれば良かっただろう?」
「自分で気づかないと、意味ないでしょ」
「ほら。はカカシに嫌われてるって、とても気にしていたよ。がお前じゃなく素直な男に惹かれるのは当たり前じゃないか」
「………」

 聞いてもいないのにダメ出しされて、面白くなかった。今はゲンマの話なんて、これっぽっちもしてないのに。
 ムッとした俺を見て、父さんは朗らかに笑う。昔と変わらない笑顔で、俺を包み込むように。

は本当に、健気だな」
「……うん。あいつは今もずっと、父さんの言葉を大切にしてる」
「そんなもの、忘れてくれていいのにな」
「それがあいつだからね。何も、捨てられないんだ」

 家も、家族も、仲間も、惚れた男も。

 不器用に全部抱えて、何度も潰れそうになるくせに。

 父さんは俺を横目に見て、淡々と聞いてきた。

のことが、好きなのか」
「……うん」

 最後に見た、の涙。

 それだけで、俺は、もう。

「でも、もういいんだ。最後に、あいつを守れたから――もう、いいんだ」
「……そうか」

 パチパチと、炎が踊る。

 父さんと二人、俺は不思議な高揚感の中、幼い頃のあいつの笑顔を思い出している。


***


 忍猫が時々現れては、各地の状況、敵の位置、外見などを伝達してくる。カツユを里全土に派遣し、全員の治療に当たらせ、それらの情報を共有する。先ほど現れた小さな忍猫が、ペインの一人の情報を伝えて早足で消えた。

 カツユを通して、知る。次の火影と確信していたカカシが、命を落としたことを。

 里を走り回っているの肩にもカツユが乗った。先ほどの小さな猫が反対側の肩から不服げに唸ったが、がピシャリと黙らせた。まだ若い忍猫にも、の威厳は届いている。

 里の総力をあげて、暁を叩く。一人でも多くの命を守る。ナルト、早く戻ってこい。

「これは神からの最後の警告だ。ナルトの居場所を言え」

 雨隠れの戦争孤児。こんなことに、なろうとは。

 自来也。お前の死を、決して無駄にはさせない。

「お前たちは自分がこの世界の主役だと思い上がり、死を遠ざけて考える。平和ぼけして浅はかだ。人を殺せば、人に殺される。憎しみがこの二つを繋ぎ合わせる。戦いとは双方に死を、傷を、痛みを伴うものだ」

 ペインが滔々と語る戯言に、怒りが湧き上がる。これだけのことを仕出かしておいて、貴様が何を言っても聞く価値などない。
 縄樹――ダン……。

「私たち大国も痛みを受けてきた。言いがかりをつけて、こんなことをするのはやめろ!」
「綱手」

 風が吹いて、ペインと私たちの間に現れたのは一匹の忍猫だった。凪のことを、少し離れたところからよく見ていた奴だ。名前は確か――レイ。
 レイはペインを見据えながらも、その小さな背中は確かに私を咎めていた。

「それは、火影のお前が言っては駄目なことにゃ」
「……何?」
「獣のほうが余程道理が分かっているものと見える」

 嘲笑うでもなくそう呟いて、ペインの身体がふわりと宙に浮き上がった。

「痛みを感じろ。痛みを考えろ。痛みを受け取れ。痛みを知れ」

 退いた? そうは思えない。まさか、まだ何かやる気か。

「カツユ! 全員を守れ!」

 まさか――。

 視界が、一瞬のうちに白く染まった。