278.最期
口寄せで来てくれた忍猫は、全部で八匹。内一匹はトウで、まだ他の忍猫たちほどの動きや術の多彩さはない。実質七匹。ペインが六人いるとすれば、ギリギリというところか。
「私たちの仕事は非戦闘員の避難指示。戦闘は各小隊に任せて、私たちは一人でも多くの非戦闘員を生かすことだけ考えて。第一は地下通路までの誘導、塞がれてたら別ルート。戦闘に巻き込まれたら、撹乱して必ず離脱――絶対に無理はしないこと。トウ、あんたは私と来て」
「えーーーアタシも一人で行けるにゃ」
「トウ、今はの言うこと聞くにゃ。お前は時空間もまだうまく飛べないにゃ」
「んにゃーーー」
トウはプイっと背を向けて尻尾をパタパタさせたけど、サクがそっと鼻先で彼女の肩を押すと、しぶしぶ私の足元に寄ってきた。猫は勝手な行動を取ると思われがちだけど、空気は読むし状況判断は的確だ。信頼関係があれば、これ以上の相棒はいない。
屋根の上に集まった忍猫たちに、軽く手を振って最後の指示を出す。
「適宜、五代目に必要な情報を伝達して。さぁ、行って!」
***
トウの軽やかな足音を背に感じながら、私は混乱する里の中を駆けずり回った。時々トウを高所に登らせて状況把握し、悲鳴などを頼りに逃げ遅れた人たちを誘導。遠くからはまだ爆音が響き、戦闘が続いていることが分かった。
瓦礫に埋もれ、すでに手遅れの人たちも少なくない。一人でも、多くの命を助ける。揺らぎそうになる決意を、何度も繋ぎ直す。ほんの少し前まで、触れ合っていたゲンマの温もりを思い出す。
自分のやるべきことを忘れるな。必ず、この里を守る。
すでに息のない人々から苦々しい思いで離れながら、怪我をした人たちに肩を貸して最寄りの地下通路へと移動させる。本当なら病院に連れていくのがベストだけど、ここから先は、今は付き添えない。まずは地上の里民たちを全員避難させる。瓦礫で塞がれた通路を見つけては、別ルートへと迂回する。
非戦闘員だけじゃない。敵に遭遇したのか、中忍たちの死体も至る所に転がっていた。もちろん、知った顔も少なくない。
その中にゲンマのおじさんを見つけたときには、息が止まりそうになった。
「……お、じ、さん……」
鼓動が激しく乱れ、喉が詰まったように息苦しくなる。おじさんは口数が多かったわけじゃないけど、おばさんと同じくらい、子どもの頃からずっと気にかけてくれていた。本部で遭遇したら、いつも声をかけてくれた。
ほんの、少し前。おばさんの差し入れを持って、ゲンマがうちに来てくれたばかりなのに。
おじさんにもおばさんにも、私はまだ、何も返せていないのに。
「、さっさとするにゃ! ここはもう死人しかいないにゃ!」
駆け戻ってきたトウが乱暴に怒鳴るのを聞いて、思わず反発しそうになった。でも、トウの言う通りだ。トウはただ、事実を言っている。感情的なのは、私のほうだ。
今は、死体に構ってる場合じゃない。
「……行こう」
ごめんね、おじさん。
必ず、迎えに来るから。
忍猫たちと手分けした区画の一つは、粗方、回り終えた。忍猫たちは、避難指示はできても負傷者を運ぶことはできない。サクたちの報告を受けて、忍猫たちには新たに情報収集を頼み、私が代わりに負傷者の救助に当たることにした。
次の区画へと移動したところで、私は大規模な戦闘のあとと見られる瓦礫の山を発見した。
辺りには何人もの忍びたちが倒れている。中にはチョウザさんや、チョウジくんもいた。
「チョウザさん……チョウジくん!」
駆け寄って急ぎ脈を取ると、弱々しいけど、二人とも生きていた。でも、きっとこのまま放っておけば危険な状態になる。
秋道家の二人なんて、私じゃ絶対に運べない。何とか、救援を要請しないと。でも、私の仕事は、非戦闘員の安全確保だ。
チョウザさんの傍らで座り込んでしまった私の耳に、微かな声が届いた。
「……、か……」
ハッとして、振り向く。
瓦礫に隠れてよく見えなかったけど、少し離れたところに傷だらけのカカシも倒れていた。私は慌ててそちらに駆け寄り、膝をついて覗き込む。
「カカシ、何があったの?」
「……ペインの二人と、戦闘になった……一人は、倒した……もう一人の、能力を……綱手様に……」
「分かった、伝えるから」
こんなにギリギリのカカシを見るのは、初めてかもしれない。やたらと早鐘を打つ鼓動を抑え込んで、私は集中してカカシの話を聞いた。敵の外見、術の特徴、そしてやはり、彼らは九尾を探しに来たということ。そのために陽動と探索に分かれ、手当たり次第に尋問していること。
「分かった、必ず五代目に伝える。待っててカカシ、必ず救援を連れてくるから」
「俺のことは……」
そのとき、誰もいないと思っていた場所から、カチャリと金属音のようなものが聞こえた。
身体中から武器のようなものを生やした不可解な風貌の男は、もう死んでいると思った。トウだって、相手が生きていると分かれば迂闊に近づかなかっただろう。
でもトウが男の頭にある金属部分に軽く爪を引っ掛けると、突然男の半身が動いた。
男が背中に背負った発射型の武器を、こちらに向けているのが分かった。
「、早く行け――」
カカシが声をあげるより前に、一抱えほどもある誘導弾が火を吹いた。
まずい、逃げないと。
この情報を、必ず五代目に伝えないと。
飛び出そうとした私の背後に、瞬時に移動してきたトウが立ち塞がるのが分かった。
――どうして。
トウが私を庇う理由なんか、ない。
たった二歳足らずで、私のことなんかまだ信用もしていないくせに。
思わず振り返って、私はトウの小さな身体を胸に抱きかかえた。
そのときにはもう、誘導弾は目の前に迫ってきていた。
「――」
絞り出すような、カカシの声が聞こえる。
駄目だ、間に合わない。
足がもつれて、瓦礫の山に転がり落ちた。
でも、覚悟したはずの衝撃は、いつまで経っても訪れなかった。
不可解に思って辺りを見回すと、先ほどまで上向いていたカカシの顔が、ぐったりと地面に落ちている。まさかと冷や汗をかいて、私はトウを抱いたまま慌ててカカシに駆け寄った。
「カカシ? カカシ!!」
ペインの一人は、今度こそ地面に倒れて動かなくなった。先ほどの攻撃が、最後の一息だったようだ。でもそれは、もしかしたらカカシも同じだったのかもしれない。
まさか、神威で誘導弾を――。
「カカシ? ねぇ、カカシ!!」
「早く……行け……」
脈拍も、その掠れた声も、顔色も、もう開かない右目も。
カカシが残り少ないチャクラを全て、最後の神威に注いだことも、すぐに分かった。
左目の写輪眼だけが、覗き込む私をぼんやりと映し出していた。その赤い瞳を見て、堪えきれずに涙が溢れ出た。
「、もう行くにゃ! こいつはもうダメにゃ」
「うっ……るさい!!」
トウの言う通り、行かなきゃ。早く五代目に伝えなきゃ。分かっているのに、足が動かない。カカシが死ぬなんて、絶対に嫌だ。
ここにいたって、何ができるわけでもないのに。
オビト。ねぇ。
生きてるなら、助けてよ。
嫌だよ。もう、これ以上、大事な仲間が死ぬのは嫌だよ。
「ば……バカカシっ!! 何で……何で、こんなことしたのよっ!! 自分の身体のことくらい、自分で分かるでしょ!!」
「……情報の大切さは、お前が一番、よく分かってるでしょうが」
「……だからって……あんたがいなくなったら、この里は……私は……」
カカシはそこで、小さく笑ったみたいだった。微かに目尻が緩んで、声も少し、柔らかくなった。
「泣くなよ。俺は……お前のお陰で、救われた。昔からお節介で、無神経で、めんどくさい奴だったけど……お前のお陰で、それなりに楽しい人生だったよ。ありがとな」
やめて。そんな、遺言みたいなことを言うのは、やめて。
そんな顔で、笑うのはやめて。
写輪眼の焦点が微かに揺れて、呼吸の間隔がどんどん長くなっていく。
反して、私の呼吸は浅くなる。
「やだよ……やめてよ、カカシ……」
「……先に、オビトたちのところに、行くよ……あとは、任せ、た……」
そのまま、カカシはピクリとも、動かなくなった。
張り裂けそうなくらい胸が痛んで、私はしばらく、その場から動けなかった。