276.弟子
男の仮面の穴から覗く、右目の赤い写輪眼。
遅れて現れた私を見て、冷たく笑ったようだった。
「木の葉の忍猫使い、か」
その男の姿も、声も、知らないはずなのに。拭えないこの違和感は、一体何なのか。
「、この感じ……知ってる気がするにゃ」
「……うん。私も、そう思ってた」
肩口のサクと囁き合ったけど、違和感の正体に気づいたのは、仮面の男が消えたあとだった。
私の感覚はともかく、忍猫――とりわけサクの血筋の第六感はほぼ八割の確率で当たる。もちろん、不確定要素だとして聞く耳を持たない人たちも木の葉には一定数いるが。
あれがもし、本当にオビトだとしたら。一体なぜ、暁にいるのか。生きていたのなら、なぜ木の葉に帰ってこなかったのか。
もしかしたら、カカシを、木の葉を――恨んで、いるのか。
「、考えても仕方ないにゃ。オビトじゃないかもしれないにゃ」
「……あんたがオビトだって言ったんでしょ」
「似てるって言っただけにゃ」
「まぁ……そうだけど」
サクは大きくアクビして私の肩から降りた。サクの言う通りだ。仮に仮面の男がオビトだったとしても、彼が私たちの前から消えて二十年近く経つ。チャクラの空気感も全然違うし、術だって私たちの知らないものがほとんどだろう。それだけでは、何の手がかりにもなりはしない。
それなのに私は、カカシに言わずにはいられなかった。カカシの傷を抉るだけだと、分かっていたのに。
一人で抱えられないから、カカシにまで、これ以上の重荷を負わせようとした。
無神経だって言われたって、仕方ないな。
あれからカカシは私に軽口を叩かなくなった。やっぱり、怒ったんだろうな。私、ひどいこと言ったもんな。カカシがずっと抱えてきたものを踏みにじるようなことを口にした。
でも、落ち込んでいる暇なんかなかった。
ぼんやりしてる私のもとにレイがもたらしたのは、自来也さんの訃報だった。
***
暁のリーダーが雨隠れにいるという情報を掴み、自来也さんは単身、潜入調査に向かったそうだ。雨隠れは諜報分野の特別上忍である私も足を踏み入れたことのない里。閉鎖的な雨隠れはその名の通り雨が多く、猫のネットワークも届きにくい。その点、蝦蟇と契約している自来也さんにとっては、得意分野だろう。
自来也さんは仙術の師であるフカサク様を口寄せしても、ペインにとても敵わなかった。つまりこの里の誰も――五代目やカカシでさえも、ペインには勝てないということだ。
対抗策として、自来也さんの一番弟子であるナルトくんが、仙術を学ぶためにフカサク様と共に妙木山に向かった。私たちにできることは、自来也さんが命がけで残した手がかりを解読すること。
でも、私にできることなんて限られている。
「自来也さんを殺したことで、我々が警戒を強めることは暁にも容易に想像がつくはず。すぐに何らかの手を打ってくるでしょう」
「つまり……ペインが木の葉を襲うと?」
「その可能性は充分にあります。すでに尾獣は半数以上が暁の手中という情報もある。奴らにとっても、木の葉が九尾について積極的に対策を取れば奪取は困難だと分かるはずです。最悪の事態を想定しておくべきです」
私の進言に、五代目は目を伏せて大きく息をついた。自来也さんの死を知ってから、五代目にこれまでのような覇気はない。私にとってはきっと、カカシを失うようなものだろう。想像もできなかったことが、突然降りかかる恐怖。
「分かった。非戦闘員の避難指示についてはお前に一任する。頼んだぞ」
「はい。お任せください」
あのときも。木の葉崩しのときだって、私は三代目に同じことを言った。それなのに、死傷者を出した。
今度の相手は、あの自来也さんさえやられるほどの相手だ。
それでも、出来うる全ての備えを整え、一人でも多くの命を守る。もう誰も、死なせたくない。誰も。
「お前も……自来也の弟子の一人だったな」
立ち去りかけた私の背中に、五代目のぼんやりした声が届いた。足を止め、私は苦笑しながら振り返る。
「弟子なんて。私はただ、子どもの頃に少し教えを請うただけです。でも……」
震えかけた唇を噛んで、すぐに言い直す。
「十二のとき、初めて忍猫使いになりました。これからは情報の扱いを知る必要があると――諜報の基本は自来也さんから、分析はいのいちさんから、忍猫との連携は祖母から教わりました。短い間でしたが、離れたあとも、自来也さんはずっと私を気にかけてくれていた。仕事のことも、それ以外のことも」
最後に会ったときだって、きっとゲンマとのことを気にしてくれていた。いつもそうだった。素直になれと、昔からずっと同じことを伝え続けてくれていた。
「私もそうだ」
組んだ手のひらを顎に添えたまま、五代目は静かにそう言った。
「千本使いは澪様から教わった。口うるさいババアだと思ってたが、今となってはそれも懐かしい。私の母が、澪様の友人だったのさ。両親を早くに亡くし、跳ねっ返りだった私をよく叱ってくれたもんだよ」
五代目と、祖母との絆。そういえば、祖母に初めて千本を教えてくれと頼んだとき、お前に教える気はないと言われた。他の人には教えたことがあるんでしょうと詰め寄れば、そいつとお前は物が違うと。もしかしたらそれが、五代目のことだったのかもしれない。
三忍の一人と比べられるなんて、誰だって酷でしょう。
五代目は手のひらを額に当て、沈んだ声で呟いた。
「亡くしてから気づいたって……もう、遅いな」
何を言えばいいか、分からなかった。
その場で深々と一礼して、私はそのまま火影室をあとにした。