275.炎


 トクマによると、約十五キロ先に黒い炎のようなものが見えるらしい。黒い、炎。自来也さんから聞いたことがあるし、資料にも載っていた。イタチの術に、似たようなものがあったはずだ。

「ゲンマ……どうする?」

 隊長のゲンマに確認すると、ゲンマは険しい顔でしばらく黙り込んだあと、私たちを見渡して慎重に指示を出した。

「俺たちの任務には暁の情報収集も含まれてる。それがイタチの天照なら、状況だけでも把握する必要がある。但し、絶対に近づきすぎるな」
「了解」

 イタチと鬼鮫に遭遇したなら、まず間違いなく私たちは全滅する。最悪、逆口寄せで私一人が帰還し、情報を伝達するしかない。それも私のチャクラが底を尽きかけていれば難しい。どのみち、絶対に取りたくはない手段だ。そうならないためにも、判断ミスは許されない。誰一人、欠くことなく任務を終えることが最善。

 イタチの術が発動しているということは、戦闘が行われている可能性が高い。相手がカカシたちなら、必要に応じて加勢。もっとも、私たちは足手まといになる可能性もあるから、慎重な判断が必要だ。
 もし、相手が他の――例えばサスケだとすれば、状況を把握して五代目に報告。カカシ班にも速やかに伝達しなければならない。

 どちらにしても、一刻も早く状況を確認する必要がある。

「待ってください」

 黒い炎に向かって移動中、白眼で周囲を警戒していた最後尾のトクマが鋭い声を出した。二番目のゲンマの指示に従い、私も足を止める。

「二時の方角、約十キロ先にカカシさんたちがいます。カカシさんの小隊に、ヒナタ様たちの小隊。それに……暁の装束が一人」

 暁。一瞬で、私たちの間に緊張が走るのが分かった。私は思わずトクマに早口で聞いた。

「イタチ? それとも鬼鮫?」
「いえ……どちらでもないです。資料でも見たことのない、仮面の男です」

 資料にもない新たな暁。でもおかしい。暁はツーマンセルで行動するはず。一体、何が目的なの?

 ゲンマは千本を咥えた唇をきつく結んだあと、程なくしてカカシたちの方角を見やった。

「トクマとネネコはここに残って黒い炎の警戒を続けろ。は俺とカカシ班の援護。必要に応じてお前だけでも情報を持ち帰ってトクマたちに合流しろ。念のため、ここにも忍猫をひとり頼む」
「うん……分かった」

 仮面の男がどんな能力者であれ、まずはカカシたちの安全確保が先だと判断したんだろう。もちろん、足手まといの可能性もある。だから二人は残し、黒い炎の警戒に当たらせる。忍猫がいれば、離れていても指示はすぐに出せるからだ。
 ゲンマは、最悪の事態も想定している。隊長として、当たり前のことだ。でも。

 口寄せしたメイは、ネネコちゃんの足元でのんびりと大アクビした。ほんとに、緊張感がないなぁ。

 走り出そうとした私たちの背中に、ネネコちゃんの不安げな声が届いた。

「おじちゃん、ちゃん! ……気をつけて」

 任務中に私たちを敬称で呼ばないとき、ゲンマはよくネネコちゃんを諌めていたけど、今日は何も言わなかった。
 振り向いて、私は静かに笑ってみせる。

「うん。行ってくるね」


***


「カカシ……ちょっと、いい?」

 先に木の葉に戻れと言われて、私たちゲンマ班はカカシの指示に従った。仮面の男はどうやら、最初から戦うつもりはなかったらしい。イタチのもとへ行かせないための、足止め。本気で争うつもりなら、私たちだってどうなっていたか。

 一足先に木の葉に戻った私たちは、五代目への報告を終えてしばらく待機となった。カカシたちが帰還したと聞いて、私は真っ先にカカシの家に向かった。

 玄関先に出てきたカカシは、私を見てまた不機嫌そうに眉をひそめた。

「何? デートの誘いってわけじゃなさそうだけど」
「頭、大丈夫?」

 自来也さんじゃあるまいし、いきなり何言ってんの。心身共にストレスが溜まりすぎておかしくなってきたのかもしれない。それくらいカカシの顔色は悪かったし、重い任務が続いてることも分かっている。

 イタチとサスケが戦い、仮面の男の言葉が正しければイタチは死亡。サスケも姿を消した。

 私の言葉にカカシがさらに拗ねたような顔色を浮かべたので、嘆息混じりに軽く告げる。

「いいよ、デートでも何でも。ちょっと話したいんだけど」
「そんなテキトーなデートいやだ」
「めんどくさ。さっさと付き合ってよ。別にここで立ち話でもいいけど」
「お前、そういうとこほんと雑だね」
「あんたがめんどくさいこと言うからでしょ」

 カカシは子どもみたいな顔で私を睨んだけど、やがて諦めたように大きく息を吐いた。それから私と一緒に路地に出て、近くの川原まで歩いた。昔から、ゲンマとよく一緒に過ごした場所。変わらない景色。ここにいると安心するはずなのに、ここ最近落ち着かない。ずっと、胸騒ぎがある。

「例の仮面の男……あれから何か、分かった?」
「……いや。新しい情報は何も。お前も見ただろう? 奴は写輪眼を持っていた。うちはの生き残りがいたのか、それともかつてうちはから奪ったのか……奴の能力も、固有の瞳術だと仮定すれば説明がつく。だが、これ以上は分からない」
「……そう」

 小さく相槌を打って、私は揺れる川面をじっと見つめた。ずっと心の中に燻っているそれを口に出すには、かなりの勇気が必要だった。

「ねぇ、カカシ」
「ん?」
「……オビトは……死んだんだよ、ね?」

 カカシの息遣いが、変わった。カカシの反応が怖くて、視線を上げられない。次に口を開いたとき、彼の声は低く、苛立ちを含んでいるのが分かった。

「何が言いたい」
「……遺体は、回収できなかったのよね?」
「何が言いたいって言ってるんだ」

 口調が徐々に強まっていく。意を決して顔を上げると、カカシの右目には怒りだけでなく、動揺が滲んでいるように見えた。

「言いたいことは分かるでしょ。オビトじゃないか、って言ってるのよ」
「……お前こそ、頭がどうかなったんじゃないのか? オビトは死んだんだ……瓦礫に潰されて生き埋めになった、俺が殺した。あの状況で、生きているはずがない」
「死体を確認してないのに、そう言い切れるの? 暁は異能者揃いなんでしょ。あのオビトがどうやってそんな力を得たかなんて分からない。でも死に際に何らかの特殊な瞳術を得たとしたら? もし、本当は死んでなかったら?」
「――いい加減に、しろ!!」

 カカシは今や怒り狂っていた。こんな顔を見るのはきっと、あのとき以来だ。私たちがまだ子どもだった頃、傷を抱えたカカシの前で、私が初めてサクモおじさんの名前を出した、あのとき。
 私はまた、カカシの傷を抉っている。

 でも今は、そうしなきゃならないから、そうしている。

 何の考えもなく、こんな馬鹿なことを言ってるんじゃない。

「私もサクも、同じ感覚を感じた。奴を知ってるって――どこかで会ったことがあるって。チャクラの質が変わっても、サクはあいつが、オビトに似てるって言った。そう言われて、私も違和感の正体が何か分かった」
「もういい……やめろ」

 俯いたカカシが、絞り出すようにして低い声を出す。握り締めた拳は、小刻みに震えていた。

「オビトは死んだ。もう、どこにもいないんだ」

 そして顔を上げないまま、乱暴に踵を返して川原を離れていった。私は追うこともできず、黙ってその背中を見送る。分かっていた。馬鹿げた考えかもしれないって。それでも、湧き上がった疑念は決して消せない。

 それなのに私は、このことを、カカシの他に、誰にも打ち明けることができなかった。