274.資格


 紅はまだお腹は目立たないけど、春先からつわりが始まって現場の仕事はずっと休んでいた。同期の中で、初めての妊娠。心が沸き立って、温かくなって、私もとても、楽しみにしていたのに。

 紅はアスマじゃなくて、父親である一閃さんのお墓の前にいた。そっとお腹を押さえながら、ほとんどすっぴんのような薄づきの化粧で静かに微笑んでみせる。
 その笑顔に、胸が痛んだ。

「忙しいみたいね。お疲れ」
「うん……顔出せなくて、ごめんね」
「どうして? あんたにはあんたの仕事があるでしょ。そんなこと、気にしないのよ」

 紅が泣いていた様子はない。ただ、静かに佇んでいる。それだけ。

 アスマが死んでから、紅の顔を見るのは初めてだった。

「……何であんたが泣くのよ」

 呆れた顔で紅にそう指摘され、私は自分が泣いていることに気づいた。両手で慌てて顔を隠しながら、私は涙声をあげる。

「だって……だって、これからじゃんか……これからあんたたち、家族になるはずだったのに……」
「……仕方ないでしょ。こんな仕事なんだから」

 その言葉を聞いて、胸の奥が締めつけられるような痛みを感じた。仕方ない――そんな風に、思えるわけない。どれだけ痛みを抱えて、どれだけ涙を流したのか。それとも、泣いていないんだろうか。

 紅は泣きじゃくる私の背中をそっと撫でながら、穏やかな声で囁いた。

「私、あんたには感謝してるのよ。あんたがいなかったら、私たち、戻ったりしなかったもの」

 何、言ってるの。びっくりしすぎて、涙なんか止まった。目を丸くして凝視する私を、紅が困った笑顔で見返す。私はぼんやりと問いかけた。

「……私、何もしてないよ?」
「そう思うでしょ。してるのよ。あんたがゲンマのことでいつまでもウジウジしてるから、ほっとけないねってなって、私たち、また色んな話をするようになったから。ほんとにあんたって……昔からずっと、困った子」

 恥ずかしかったけど、何だかくすぐったかった。紅が昔からよく見せる、呆れた様子の笑顔。その顔を見ていたら、収まったはずの涙がまた溢れ出した。ろくに声も出せなくて、私はしゃくり上げながら必死に恨み言を言おうとした。

「ばっ……バカぁ!! 何で、そんなこと今言うのよ……もっと、早く言ってよ!!」
「……ごめんなさい。こんなこと、言うつもりなかったんだけど」
「ばかばかばか、ばかっ!! 何で私ばっかり……こんなに泣いて、子どもみたいじゃんか……」

 涙が止められない。アスマがいなくなるなんて思わなかった。里から出ていったって、ちゃんと帰ってきた。二度と帰ってくるなって言ったのに、ものすごく大人になって帰ってきた。あんなに強くて、大きくなったアスマ。これから、紅の隣で父親になるはずだった。

 泣き続ける私を、紅は両腕で抱きしめてくれた。すごく温かくて、やっぱりお姉さんみたいだ。

「私はもう、かれるほど泣いたから。この子がいるのに、いつまでも泣いてられないじゃない。ずっとめそめそしてる母親なんて、イヤでしょ」

 片手で自分のお腹を撫でながら、紅が小さく笑った。そのとき、かつての母親の姿が脳裏に浮かんだ。もう、ぼんやりとしか思い出せない。それでも母は、サクモおじさんがいなくなってから、ずっと泣いてばかりいた気がする。

 嫌だよね、そんなの。母は、私のことなんか目にも入ってなかった。
 ずっと、おじさんのことしか見てなかった。

「うん……そうだよね」

 泣いてばかりの母親なんて、嫌だ。私は、母のように泣いてばかりいる。
 紅はきっと、母親になる資格のある人だ。

「シカマルがね、約束してくれたの。今度は自分が、この子を守る師になるって。シカクさん、アスマ、シカマル、そして、この子……火の意志は、受け継がれていく。私が、父さんから託されたように。だから必ず、アスマと私のこの子を、守らなきゃ」

 自分のお腹を見つめる紅の眼差しは、優しくて、とても力強かった。やっぱり、紅は強い。コトネさんと、同じ目をしてる。
 もう、母親、なんだ。

 すぐそばで見上げる紅の面差しは、これまでで一番、美しかった。


***


 自来也さんは今も、単身里を離れては、暁や大蛇丸の情報を持って戻ってくる。五代目は同志だから、密に連絡を取り合えるんだろう。ついでに私のところにもよく寄ってくれる。大蛇丸が殺されたと知らされたのは、ちょうどゲンマの誕生日を過ぎた頃だった。

「サスケがイタチに復讐するために仲間を集めて動き始めた。暁の情報を得るためにも、イタチの拘束にカカシたちの小隊が出ることになろう」

 サスケにイタチ、か。

 どうして、こんなことになったんだろう。イタチに何があったのか、今も分からない。シスイがこのことを知れば、どう思うだろう。
 でも私は、どうしてもかつてのイタチの言葉を忘れられないでいた。

「俺に何があったとしても、必ずこの里を守ってください」

 うちは虐殺は、それから少しあとのことだ。

 絶対に、何か事情があるに違いない。だからといって、イタチの仕出かしたことが正当化されるわけじゃない。
 それでも、知りたい。平和を愛したイタチが、今何を考え、何のために動いているのか。

 でもそれは、私の私情だ。行かせてくださいなんて、言えるわけじゃない。

 カカシの小隊は、すでに暁を複数倒した実績がある。人柱力であるナルトくんが里を離れて動き回ることは大きなリスクを伴うと同時に、敵に居所を知られないための妙案ともいえた。
 何よりナルトくんは、本当に強くなった。

「可愛い弟子がどんどん強くなるのは誇らしいですね」
「ん? なんだ、嫉妬か? お前も可愛い可愛いわしの弟子の一人だからな」
「私なんて、一時期少しお世話になっただけですよ」
「そんな寂しいことを言うな。お前は本当にどうしようもない、困った可愛い弟子だ」

 自来也さんはそう言って快活に笑いながら、私の頭を撫でた。三十にもなって、やめてほしい。でもやっぱり、少しこそばゆい自分もいた。

 自来也さんがそのまま顔を寄せてきたので、思わず後ろに退いて離れる。

「近すぎます」
「相変わらずつれないのう。お前も少しは遊んではどうだ?」
「そんな暇ありませんから」
、お前もまだまだだな。一見遊びと思えるものの中から思わぬ情報が得られることもある。どうだ、今夜あたり、わしと――」
「自来也様、五代目がお呼びです」

 開いた距離を自来也さんが再び詰めてこようとしたとき、私たちの間に長い腕が伸びてきた。いつの間にか傍らに立っていたゲンマが、庇うようにして私を後ろへと促していた。
 ちょっと、どきりとした。

 自来也さんが不服そうな顔をして目を細める。

「ゲンマ、お前も無粋だのう」
「俺は伝言を預かっただけです。それは五代目に直接お伝えください」
「まったく……そうだ、ゲンマ。わしの最新刊は読んだか? 今ならわしのサイン入り――」
「結構です。早く行ってください」
「……つまらん連中だ。そっくりだわ」

 ぶつぶつ言いながら、自来也さんは私とゲンマを横目に見て離れていった。悪乗りした自来也さんはちょっと苦手だからホッとしたけど、二人残った川原でゲンマと目が合ったら、顔が熱くなってきて、なぜだか胸が苦しくなった。

 暁の存在が間近に迫ってきて、アスマまで殉職して、私たちももしかしたら、そうなっていたかもしれなくて。
 ゲンマが生きて、そばにいてくれるだけで、こんなに切なくて、愛おしく感じる。

 ゲンマも少し頬を染めて、時々視線を逸らしながら辿々しく言ってきた。

「最近……調べ物、手伝えなくて、悪い」
「え? そんなの、気にしないでよ。今は、それどころじゃないし……暁の件が、落ち着いたら……また、お願い」

 また仕事が入っている。最近は、地陸さんの事件のあとに組まれた小隊での行動が多い。つまり、ゲンマ、トクマに、ネネコちゃんのフォーマンセル。トクマがツイさんから「ほとんど不知火班だな」と言われているのを見て、めちゃくちゃ恥ずかしかった。やめてほしい。

 今回の任務は通常の護衛任務だけど、道中は情報収集も命じられている。私とトクマが偵察向きだから、護衛役はもちろんゲンマとネネコちゃんがメインだ。二人の連携もだいぶ様になってきて、私とトクマは安心して情報収集に専念できる。

、あっちのほうからすごく嫌な臭いがするにゃ」

 護衛任務を終えて帰還する途中、肩に載ったサクが毛を逆立てながら低く唸った。