273.それでも


「……アスマ、大丈夫?」

 招集時間まで、もうあまり間がない。ふと思い立って覗いた猿飛家の縁側に、アスマはぼんやりと佇んでいた。下忍時代に時々、ここでアスマと将棋盤を囲んだこともあったっけ。
 こちらに視線を移したアスマは、呑気な様子で首の後ろを掻いた。

「何のことだ?」
「だって……地陸さんのこと」
「あぁ」

 短く声を出して、アスマはポケットに手を入れた。それから思い直したように動きを止めて、すぐにまた両手を腰に当てた。アスマは今、禁煙中だ。だって紅のお腹に、二人の子どもがいるから。紅の口から初めてそのことを聞いたとき、私は嬉しくて泣いた。
 私は子どもなんか作らない。でも、大切な仲間同士が結ばれて新しい命を授かるなんて、これ以上に素晴らしいことはない。

「人はいつか、死ぬもんだ。遅かれ早かれな」
「それは……そうだけど」

 少しだけ歩み寄って、私はやっぱり離れたところで足を止める。ヒルゼン様も、ビワコ様ももういない。ここにいつか、紅も住むのかな。
 アスマはやっぱりどこかぼんやりと宙を見上げながら、言葉を続けた。

「こんなこと、何も初めてじゃない。でもな……」

 そのまま静かになったので、話はそこで終わったのかと思った。でもアスマは、しばらく息を溜めて、それをゆっくりと吐き出したようだった。

「死ぬはずねぇって思ってた奴があっさり死んじまうのは……何回経験しても、慣れねぇな」
「……そう、だね」

 そんなこと、何回も何回も経験している。アスマも私も、もちろん、誰だってそうだ。
 だからといって慣れるはずもないし、慣れたとすればそれはもう、諦めてしまったからだ。命を諦めることは、平和を諦めること。そんな世界に、我が子を迎え入れたい親なんて――。

 かぶりを振って、私は不意に湧き上がった考えを打ち消した。

「行こう。招集の時間だよ」
「……あぁ」

 小さく呟いて、アスマが足を踏み出す。私が背中を向けて一足先に歩き出すと、またアスマの低い声が聞こえた。

「お前の踊り、もう見れねぇんだよな」

 驚いて、振り返る。アスマがの舞いのことを口にするのは、シスイを失い、ゲンマから離れて、私が神社で膝を抱えて泣いていた、あのとき以来だった。

「……うん。舞うことだけが、祈りじゃないから」

 アスマのまっすぐな眼差しと、見つめ合う。いつも落ち着いていて、穏やかな笑い方の似合う大人になって、私ばかりがみんなから置いていかれて。そんな風に卑屈になるのも、少し、疲れたかな。

「色んなことがあった。その度に潰れそうになった。でも、見守ってくれる人たちがたくさんいた。だから、どんなにしんどくたって――」

 そこでアスマから視線を外して、私は澄んだ空を見上げた。うっすらと雲が流れて、また、形を変えていく。風が流れて、頬をなぞる。

「それでも私は、祈ることをやめない。舞うことは、私の答えじゃない」

 アスマが小さく、鼻を鳴らす音が聞こえた。

「……そうか」

 祈りとは何か。それを教えてくれたのは、アスマだった気がする。正しくは間接的に、地陸さん、なのかな。
 そばにいる大切な人たちも、出会ったことのない、彼らの大切な人たちもきっと、私の人生を形作ってきた。誰一人、欠くことなんてできない。それでもこうして欠いてしまった心の傷は、いつか小さくなるかもしれない。でもきっと、ふとしたときに痛みを思い出して立ち止まるんだ。

 私の深いところにある穴が、今も塞がらないように。

「先に行っててくれ。すぐに行く」
「もう……急いでよ?」

 言い聞かせるように声をかけて、私はアスマの家を出た。火ノ寺が暁に襲撃された件を受け、五代目は最低限の人員を残し、中忍以上に対し召集をかけている。暁はいずれ九尾を狙って木の葉にも必ずやって来る。迎え撃つよりも、こちらから探し出して情報を引き出す。私たち情報部の出番だ。
 もっとも、相手は風影さえ手中に収められるだけの実力者だ。中忍以上のフォーマンセルを組むとしても、どこまでやれるか。

 私はまた、ゲンマと一緒だった。ゲンマに、日向家のトクマ、それに中忍としてはまだ日が浅い、ネネコちゃんだ。少し遅れてやってきたアスマは、シカマルくんに、イズモ、コテツのフォーマンセルだった。

「ほんとにおじちゃんが隊長で大丈夫?」
「黙れ、ネネコ。俺を無視して勝手なことしてると死ぬぞ」

 ぴりついた空気の中、まっすぐに前を見据えたゲンマが低く囁くと、ネネコちゃんも真顔になって押し黙った。

 火影邸の屋上に集まった私たちに、五代目が一層厳しい面持ちで命じる。

「奴らを火の国から絶対に逃がすな。必ず見つけ出し、身柄の拘束が不可能な場合、抹殺しろ。散!」


***


 久しぶりに、神社に足を運んだ。相変わらず、境内は荒れたまんま。まるで私の心の底みたいに、壊れたところは、ほったらかしなんだ。

 アスマが死んでから、一か月が経った。地陸さん、そしてアスマを殺した暁は、元アスマ班の三人が片を付けた。正しくは、カカシのサポートと、新生カカシ班の応援とがあり、やっと暁の二人を始末することができたそうだ。
 それだけ暁は強力で、異常な能力者の集まり。並の忍びがいくら束になったところで、太刀打ちできない。もしも遭遇したのが、私たちだったら。今ここに、こうして生きていなかったかもしれない。

 父親になるのに。アスマはもうすぐ、父親になるはずだったのに。

 舞いくらい、見せればよかった。踊らないと決めたのに、そんな思いがふと頭をもたげる。舞ったら舞ったで、どうせ自分には何の力もないと、落ち込むに決まっているのに。
 踊ってみようかと、少し腕を上げて回ってみた。でもすぐに胸が痛くなって、その場にしゃがみ込んだ。痛い、苦しい。つらいことばかりが胸を刺す。

「へたくそにゃー」
「へたくそー」

 最近二歳になった忍猫のトウは、私の前にもよく姿を見せるようになった。もうとっくに自立しているからサクにくっついているという感じではないけど、仲は悪くなさそうだ。マイペースなサクに比べ、ちょっと気の強い女の子、かな。

 サクとトウを肩に載せ、私は足取り重く、里へと戻った。

 そのまま足を運んだ墓地には、紅の後ろ姿があった。