271.望み
あの二人が、また一緒にいるところをよく見かけるようになった。でも、以前のようには怒りを感じない自分に気づいた。
私の気持ちが変わったのは、きっと、大蛇丸に再会してからだ。
十年前、私は師である大蛇丸に捨てられた。幼い頃に両親を亡くした私にとって、大蛇丸は師であり、親であり、それ以上の存在でもあった。あなたを見込んでいるといって、大蛇丸はありとあらゆる術を私に与えた。所謂、禁術とされるものも、一つや二つじゃない。
私は嬉しかった。認められている気がした。必要とされている気がした。愛されている気がした。
でも大蛇丸は、私を捨ててあっさりと里を出て行った。
「……あの人のこと、大好きだったんだね」
そんな風に私に声をかける奴なんて、誰もいなかった。
そう。大好きだった。信じていた。愛されていると思っていた。
だからあんな風に穢され、捨てられ、顧みることさえされなかったことで、恨み、憎み、必ず見つけ出して殺すという執念で生き長らえてきた。
分かるよと、あの女は言わなかった。でも、そう言っているも同然だった。分かるわけがない。あいつにも、三代目にも、誰にも分かるはずがない。
それなのにどうして、あの女の言葉が耳から離れないのか。忘れたくても、忘れることができないのか。大蛇丸と同じように、私の心にぽっかり空いた穴の縁に手をかけて、覗き込もうとでもするかのように。
「苦しいよね。息が、詰まりそうになるよね」
きっとあの女も、時々呼吸の仕方を忘れるんだ。
なのにあんただけ、あんな風に愛されるなんてズルい。
――私はきっと、あの女が羨ましかっただけなんだ。
でも、奴に再会して気づいてしまった。私が欲しかったのは、ゲンマの愛でも同情でもない。
私が望んでいたものは、他の何にも替えられない。
「あ、ゲンマ。今度の日曜、空いてる?」
「おう。いいぜ」
「じゃあ、うちで待ってるね」
あの二人が自然にそうやり取りしながら離れていくのを、陰に隠れてやり過ごす。十年前からずっと、お似合いだと周りが囃し立ててきた。その空気感が、ゲンマをあの女に引き留めているんだと思った。あんな、どっちつかずの卑怯な女に。
それなのに、数年ぶりに彼女と二人で過ごすゲンマは、とても幸せそうに見えた。どうしたって離れられないんだと分かった。
バカみたい。私も、ゲンマも、あの女も。
本当の望みなんて、とっくの昔に分かっていたはずなのに。
***
ゲンマとの歴史を調べ始めて、一年近くが過ぎた。
一か月前に本部の資料室を調べ終えたけど、それらしい事件は見つけられなかった。戦火に巻き込まれた村に関する任務はいくつかあったものの、忍猫のせいと疑われるような経緯も考えにくいものばかりだ。
私の提案で、ゲンマは私の家の資料部屋にも時折足を運ぶようになった。ゲンマが私の家に入るの、何年ぶりかな。なんだかすごくドキドキしたけど、調べ物をしに来ただけだと自分に言い聞かせて、私は引き続きゲンマと調査を続けた。
「村がなくなったっていえば、初代火影と一緒に木の葉に来た、汀が住んでた村……でもそこも、なくなった原因は戦国時代の戦火って言われてるから、関係ないと思う」
「あぁ……その話は澪様から聞いたことがある。千手柱間が平和の見届人として、巫女のについてきてもらったって。ほんとならお前が、こんなことしなくたって……」
ばあちゃん、ゲンマにそんなこと話したんだ。すごく、意外。
でもそれよりも、ゲンマが最後に歯がゆそうに漏らした言葉のほうが引っかかった。
「ゲンマ……ひょっとして私が、巫女のままのほうが良かったって思ってるの?」
するとゲンマはしまったという顔をした。
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「……苦しいよ。自分の無力さに、うんざりするよ。でも……戦えない自分だったらきっと、もっと苦しかったと思うから。だから、きっと……ばあちゃんの選択は、間違ってなかったと思う。私、忍者で……よかったよ」
ゲンマは驚いたように目を見開いて、それから少し苦しそうに眉根を寄せた。ゲンマがそんな顔すること、ないのに。
資料部屋からいくつか文献を引っ張りだして、私たちは居間のテーブルにいる。ゲンマの顔をまっすぐ見返して、私はちょっと笑ってみせた。
「だって忍者じゃなかったら、こうしてゲンマに会えてなかったでしょ? 私……ゲンマと出会えて、幸せだよ」
唇を引き結んだゲンマの顔が、みるみる赤くなっていく。その様子を見ていたら、私も急に恥ずかしくなってきて思わず下を向いた。照れくさくて、くすぐったくて、同時にどうしようもなく、愛しくてたまらなくなって。
私たちのそばでは、サクがよく丸くなって眠っている。そんな何気ない日常が、私の心をじんわりと満たしていった。
でも、ゲンマと過ごすばかりじゃいられない。非番から次の非番まで、どんどん間隔が長くなる。
だってもうすぐ、自来也さんとナルトくんが里を離れて三年だから。
つまり、尾獣を集めるための準備を暁が整えつつあるということだ。
実際、各地で暁特有の衣を羽織った二人組の姿が目撃されることが増えてきた。猫たちのネットワークによれば、小国の小競り合いの内、目立つものといえば大抵は暁が絡んでいるらしい。目立たないだけで、大国の裏工作にも暁を利用する勢力があるという。裏社会の中で、着実に影響力を増しているというのが情報部の見解だ。
「カカシ、五代目が呼んでる」
報告を終えた帰り、私は第三演習場に足を運んだ。五代目からカカシを呼んでこいと言われて忍猫たちに頼んでも「イヤにゃ」と即答される。メイなんて大の忍犬嫌いだから、下手すれば引っかかれる。絶対にメイのいないところで頼まないと。
ともあれ今日もみんなに断られたので、場所だけ教えてくれたキュウにお礼を言って、足を運ぶのは私。まぁ、本当に困っているときはおやつと引き換えにサクが聞いてくれるけど。
振り向いたカカシの手には、また如何わしい本がある。何年か前に自来也さんは二冊目の成人向け小説を出したけど、カカシが持っているのは一作目だった。よっぽど好きらしい。呆れる。人前で白昼堂々読むな。何回言ってもやめない。
「えー」
「えーじゃない。さっさと行って」
「俺にそんなに冷たいの、お前くらいだよ」
「そんなわけないでしょ」
実際、パッと思いつくだけでもカカシにこの程度の応対をする人間なんて少なくとも五人はいる。誇張しないでほしい。
私の冷ややかな突っ込みに、カカシはわざとらしく手を打ち合わせる。
「あー、他にもいたわ。お前とゲンマくらいだね」
「………」
なんか、ゲンマとのこと、露骨に絡んでくるな。何なのよ、めんどくさい。
私は大げさにため息をついて、空とぼけた様子のカカシを睨みつけた。
「私、あんたが何考えてるか分かんない」
「……あっそ」
カカシの薄ら笑いが消えて、冷ややかな眼差しが正面から私を捉える。正直、ちょっと怖い。また何かの拍子にスイッチが入って、カカシがわけの分からない行動に出たら? でも、だからってもう、怯んでなんかやらない。眉間に力を込めて、精一杯睨み返した。
「言いたいことあるなら言えって言ってんでしょ」
「絡むなよ。何も言ってないだろ」
「あんたが、それ言う!?」
腹立つ。意味不明なところでゲンマの名前出して面倒な絡み方してくるくせに。本当に、めんどくさい。
めんどくさい。けど。
「……あんたがめんどくさいことなんか、昔から分かってたことだもんね」
カカシの眉間のシワが、不機嫌に濃くなる。その表情が幼い頃のカカシと重なって、不意に、サクモおじさんの声が聞こえた気がした。
思わず、笑みがこぼれた。
「カカシは、私のことが大好きなんだよね」
「……………はぁっ!?」
数秒固まったあと、カカシがこれでもかというほど裏返った声で絶叫した。そんな声、聞いたことなかったからびっくりした。
みるみる赤くなってしどろもどろになるカカシを見て、なんだか恥ずかしくなったけど、私はサクモおじさんの顔を思い出しながら負けじと言い返した。
もう、ぼんやりとしか思い出せない、おじさんの顔。でも、あの優しい笑い方だけは、なぜか鮮明に思い出せる。
大好きだった、サクモおじさん。もう私たち、おじさんくらい大人になれたかな? それともまだ、子どものままかな。
「だって! 私のこと好きだからめんどくさいこと言うんでしょ!? でもそういうのやっていいの、アカデミーまでだから!!」
「なっ! ばっ、馬鹿かっ!! 何でそうなるっ!!!」
「だってアカデミーのときだって、家では私の話よくしてたんでしょ!? なのに面と向かったら悪口ばっかじゃん! 私、傷ついたんだからね!?」
「なっ、はっ、はぁっ!?!?」
目を白黒させながら赤い顔でこちらを凝視するカカシを、続け様に怒鳴りつける。
「おじさんから聞いたんだから!! カカシが私のこと好きで素直になれないことなんて、子どもの頃から知ってるんだから!! 今のあんたがめんどくさくたって別に驚かない!! だから、ちゃんと言えるようになったら言って!! 別に離れたりしないし、ずっと仲間なんだから!!」
一度に全部、ぶつけすぎたかもしれない。カカシが子どもなら、私だっていい加減、子どもだ。サクモおじさんみたいに、優しい大人になんかなれない。
カカシは赤い顔のまま、苦々しげに目を細めてやがて小さく吐き捨てた。
「……どこまで鈍いの、お前は」
「何? なんて言ったの?」
「うるさい。何でもないよ」
カカシはやっぱり子どもみたいにそっぽを向いて、その場から一瞬で消えた。ひとり残された演習場を見渡して、私は大きく息を吐く。
今、カカシに言ったことだって、結局全部、自分に返ってくる。私とカカシは、やっぱり似た者同士なんだ。
だから、放っておけないのか。それでも、放っておけないのか。
「犬臭いにゃ」
突然肩に載ってきたサクが、嫌そうに鼻先を掻いた。
「、ゲンマが来てるにゃ。帰るにゃ」
「え、あ、そっか……うん、行くよ」
しばらく諜報活動が忙しくて、ゲンマに会うのは二か月ぶりだった。約束してたわけじゃないし、仕事柄、必ず約束できるわけでもない。
だから、会える一瞬一瞬が、掛け替えのない時間になる。
「、悪い。帰ってるって聞いて、来ちまった。大丈夫だったか?」
「うん……大丈夫だよ。ありがと」
これは、調査の一環だ。そう自分に言い聞かせるけど、やっぱりゲンマの顔を見たら嬉しいし、ホッとする。肩の力が抜けて、自然と笑顔になる。
資料部屋に通すという名目で、私は今日もまたゲンマを家に上げた。