266.盲目
紅とアスマが一緒にいるところを、見かけた。
二人は元チームメイトだ。今は同じ上忍同士、一緒に過ごすこともあるだろう。だが二人ではにかみながら商店街を歩き、ばったり遭遇したいのにニヤニヤと茶化され、見たことのないような赤い顔で誤魔化す姿に、そういうことかと合点がいく。三十近くになって、周囲もどんどん結婚し、子どもを持つようになる。そんなカップルは、いくらでも見てきた。
不意に、の顔が浮かんだ。
は旧家の最後の一人。当然、子どもを産むことを期待されていたはずだ。だが俺たちが十八を迎えた頃、上層部が少しざわついた。が、跡継ぎは産まないと宣言したということだった。
火影もご意見番も、澪様の同志だった。考え直せとご意見番はしつこくに迫ったようだが、はついぞ首を縦に振らなかったそうだ。
俺には分かる気がした。家族なんて、いつ消えるか分からない儚いもの。いつ離れていくかも分からない、不安定な絆。
俺たちはそのことを、よく分かっている。
は、アカデミーの頃からゲンマによく懐いていた。チームも一緒で、チーム解散後も同じ本部勤務。二人が付き合っているという噂も、まだ付き合ってはないという噂も同じくらい広まっていたが、どちらにせよ、二人が互いに思いを寄せていることは明白だった。
そんなでさえ、子どもは産まないと決めた。家族を持つことがどれほど恐ろしいことか、にだってよく分かっているからだと思った。
それなのに、あの言葉を聞いた夜から、何かが変わってしまった気がする。
「カ……カカシが、好き、だから……」
あのときの衝撃が、今もありありと蘇る。そして煮えくり返るような怒りも、苦い息苦しさも。
俺を利用するな。よりにもよって、そんな的外れな嘘で。お前は絶対に、ゲンマのことが好きなのに。
俺のことなんて、お前が好きになるわけないだろう。
子どもの頃からずっと、俺はお前を拒み続けてきたのに。
どうして、こんなに腹が立つのか。自分の感情を制御できないことに、怒りのみならず恐怖さえ感じた。理由の分からないものに吞まれたら、もう二度と戻れないかもしれない。
酒を飲んでいたとはいえ、なぜあんな真似をしてしまったのか。あんな嘘をついた腹いせに、を困らせたかったんだろうか。
自分の気持ちも衝動の理由も分からなかった。ただ気味の悪い重苦しさが、ずっと胸の奥に燻っていた。
だがあの日、オビトの家の前で、は俺の胸に縋って泣き喚いた。その姿に、これまでにない感情が湧き上がるのを感じた。放っておけない。こいつは俺よりも、脆い。脆いくせに、他人のために必死になって何かをしようとする。
あの川原でも、俺の手を握って、分かってるよと言った。俺が、オビトやリンのチームメイトで良かったと。
お前はもっと、自分の心配をしろ。弱いくせに。すぐに、壊れそうになるくせに。
十年ぶりに額当てをずらして、は俺の左目を覗き込んできた。その大きな瞳を、初めて真正面から見た。
この気持ちの正体が何か、そのとき少し、分かった気がした。
***
久しぶりに紅に会ったとき、アスマとのことを聞いて私はすごく嬉しくなった。嬉しいと同時に、すごく居心地が悪くなった。だってアスマとよりを戻した紅からしてみれば、私はただ、逃げ回っているだけだろうから。もちろん、否定なんかできないけど。
でも紅は、私を責めたりしなかった。ゲンマとまた話をするようになった私に、本当に困った子ね、と言いながら笑った。紅が、今まで以上に大人っぽく見えた。
十年前は関係を隠していた二人が、今はもう、堂々としている。とはいえ、二人ともまだ開き直れるほどの余裕はないらしい。先日、デートを目撃したいのちゃんに茶化され、二人とも赤くなっておろおろしている姿を見かけた。珍しいものを見たなと思って、思わず笑ってしまった。
笑っているところをいのちゃんに見つかったら、今度は私が茶化される番だった。
「さんはどうなんですか? 私が生まれる前からずーっとゲンマさんとくっついたり離れたりしてるって聞いてますけど」
「くっつくも何も、別に付き合ったこともないよ……ただの幼なじみだよ」
まぁ、そんな言い訳をしたところでいのちゃんは信じてないって目を見れば分かる。いのいちさんもチョウザさんもシカクさんも、私たちのことなんて昔からよく分かっているんだから。いのちゃんは年頃だし、こういう話が面白い時期なんだろう。
でも、いのちゃんは昔、サスケくんのことが好きだったはずだ。彼が里抜けした、今も?
でも、抜忍を好きでいたってつらくなるだけだ。忘れるしかない。サクラも。
サクラだけでなく、いのちゃんも五代目の下で医療忍術を学び始めたらしい。五代目が戻ってきた今、アカデミーの特別授業も医療忍術クラスが充実してきたそうだ。二十年前からそうだったら、私もリンと一緒に受講していたかな。
ううん。きっと私に、そんな余裕はなかったよね。リンは本当に、すごいな。
――リン。
今も誕生日には、毎年花を供えに行く。オビトの誕生日にも。
家族のところには、気が向いたときに。最近行ってないなと思ったら、行けるときに行くという感じだ。忘れられない、忘れたくない人たちのところにも、思い出したときに。サクモおじさんのお墓にも、二、三年に一度は、花を手向けに行く。
おじさんが死んだ、初夏の季節に。
母や祖母の墓参りには、しばらく行けなかった時期がある。祖母は、母の墓前で亡くなった。自ら命を絶ったというのが警務部の結論だった。
遺書も何も見つからなかった。でも忍猫たちが口を閉ざしたことで、きっとその結論が間違いではないのだと私は思い知った。
思い出すだけで、目眩がしそうになる。それでも、墓地にも、慰霊碑にも、足を運び続ける。立ち止まらないために。平和な世界の礎を、少しでも築くために。
私の代で、は終わりだ。
「、ゲンマとの約束に遅れるにゃ」
「あ、うん……そうだね、行こ」
頭の上に乗ってきたサクに返事して、私はそのまま踵を返した。今日からまたしばらく、ゲンマとツーマンセルで任務だ。久しぶりに一楽で話をしてから、やっぱり私たちは何が変わったわけでもない。ただ、無神経くらいでちょうどいいかもしれないって、思える瞬間が少しだけできたかな。
ゲンマはいつも、私の頑なな心を包み込んで、少しでも解そうとしてくれる。子どもの頃から、ずっとだ。
私が応えられなくてもいいって、何度も何度も伝えてくれた。それでもそばにいていいのかもしれないって、ほんの少しだけ、そう思えた。
それでゲンマしか見えなくなったら、同じことの繰り返しだから、私は決して一線は越えないことを決めた。ゲンマだって、私と一定の距離を保ち続けている。これでいい。気持ちは分かっていても、絶対に触れ合わない。ゲンマに触れられたら、私はもう他のことなんか目に入らなくなる。
だから揺らぎそうになったら、カカシのことを思い出すようにした。初めてゲンマと恋人みたいな真似事を始めた頃、私は幼少期からあんなに案じていたカカシのことを忘れた。だから、自分を戒める。絶対に、カカシのことを忘れない。見失わない。たとえ子どもみたいなやり方でしか自分を主張できなくても、カカシは私の原点だ。
どんなに不可解なことをされたって。
知らない振りなんて、もう、できないよ。