265.一楽
屋台のラーメンも久しぶり。ここは下忍時代から、チョウザ班で時々来ていたお店だ。甘味屋や居酒屋ほど使ってたわけじゃないけど、たまにはラーメンを食べたいときもある。私は塩ラーメンで、ゲンマは醤油、ガイは豚骨が好きだったな。
今日もゲンマの注文は醤油ラーメンだった。
「やるよ。ほら、まだ口つけてねぇから」
先に食べ始めていた私の丼に、ゲンマがそっとナルトを載せた。
「えっ、いいよ、ゲンマのでしょ」
「腹減ってんだろ。食え」
ナルト一枚でお腹なんか膨れないけど。ゲンマは私の好みをよく分かってる。もう載せられちゃったし、私はおとなしくお礼を言って、そのままもらっておいた。
「ナルトくん元気かなぁ」
「ナルト食いながら何言ってんだ」
ナルトくんと自来也さんが里を離れて、もう半年くらいか。思わず笑ってしまった私に、ゲンマが怪訝そうな顔をした。
「ゲンマ、ナルトくんがまだ小さいときに、よく声かけてあげてたよね。なんか懐かしくなっちゃって」
「そんなことしてねぇよ」
ゲンマが素っ気なく答えて麺を啜るから、私はちょっと唇を尖らせて言い返した。
「してたじゃん。通りすがりみたいな顔してさ。ゲンマのそういうさりげないとこ、好きだよ」
ゲンマが麺に息を吹きかける姿勢のまま固まってしばらくして、私は自分の口から飛び出した言葉に驚いた。完全に無意識だった。そういう意味じゃないけど、ゲンマのことを好きなんて言うのは何年ぶりだろう。ゲンマの横顔が赤くなるのを目の当たりにして、私まで全身が熱くなってきた。ヤバい、恥ずかしすぎる。
屋台の店主とその娘さんが洗い物をしつつニコニコしているのを見たら、余計に消えたくなる。
「あ、えっと、その……そうだ、自来也さんの本って読んだことある? ナルトくんって、主人公の名前から取ったんだって」
「へぇ……さぁ、読んだことねぇな」
目線を落としたまま再びラーメンを食べ始めたゲンマに、私は矢継ぎ早に話し続けた。
「昔読んだけど、良かったよ。ゲンマも良かったら……あっ! 違うよ、カカシが読んでる成人向けのやつじゃなくて、処女作の冒険小説! エッチなのは知らない!」
口にしてから、ぎゅっと胸が苦しくなった。ゲンマと一緒にいて、安心して、忘れそうになっていた。でもさっき、本部で会ったばっかりじゃん。
カカシなんか、もう、知らないよ。
「……またカカシと何かあったのか?」
呆れたような声で、ゲンマが聞いてくる。頬を膨らませて丼を見つめる私に、ゲンマは軽い調子で続けた。
「言いたくないなら、言わなくてもいいけどな」
ゲンマは、突き放してるんじゃない。無理に聞き出したりはしないけど、心配してるって伝えてくれてる。不意にカカシの声が蘇って、額から汗が噴き出しそうになった。
『ゲンマとは、キスしたのか?』
ほっぺにキスされたことも、おでこにキスされたことも、唇にキスされたことも――全部、覚えてる。
私がこっそり、ゲンマの首にキスしたことも。
今ゲンマに触れられないのは、全部私が悪い。
でもそんなの、カカシに関係ないよ。
「……私、無神経だって……でもそんなの、言ってくれなきゃ分かんないよ……分かんないのは、私が無神経だから?」
ゲンマに聞けって言われたのを思い出して、つい、口にしてしまった。でもゲンマが少し表情を強張らせたから、しまったと思った。ゲンマは昔から、私がカカシのことで思い悩むのを快く思わなかった。他人のことはほっとけって、お前の人生だろうって。
私はあの頃、ゲンマには関係ないって言った。
同じ口で今は、カカシには関係ないって言ってる。
ゲンマが箸を置いて、静かに息をついた。自分を落ち着かせようとでもしているみたいだった。
「そんなモン、受け手次第だろ。分かってほしけりゃそう言えばいい。分かんねぇことがあるなんて、誰だって当然だからな」
「……でも、私……」
子どもの頃からずっと、カカシの傷を抉ってばかりなんだ。きっと。
それでも、やっと近づけたと、思ってたのにな。
「お前はずっと、周囲の期待に応えようとしてきた。お前が無神経に見えるなら、それはお前が自分の気持ちに正直でいたいって思ってるってことだ。俺は、誇らしいけどな」
低くて、優しくて、落ち着いた声。
ゲンマはもう、穏やかな眼差しでそっと私を横目に見据えていた。
思わず息が詰まって、すごく、ドキドキした。
「……俺は、素直で、仲間のために必死になれるお前も、頑固で、握りしめたモンをずっと手放せないお前も、大好きだよ」
小さな声だったけど、それははっきりと私の耳に届いた。どう返していいか分からず、私はあたふたしながら目を泳がせる。
ゲンマが私を好きだなんて、とっくの昔に知っている。でも、それを言葉にして伝えられる度に、幸せすぎて怖くなって、応えられない気まずさに苦しくてたまらなくなる。
それでもやっぱり嬉しくて、ほっとして、生きてていいんだって思ったら、涙が出るほど幸せだった。
手元を見つめながら、やっとのことで口を開く。
「……ありがと」
過去をいつまでも手放せない私のことも、ゲンマは認めてくれている。苦しいなら、手放せばいい。でも、手放せないのなら、無理に手放せなくてもいいって。
私のタイミングを、いつも信じてくれている。
カカシのやり方には、正直、腹が立つ。でもやっぱり、放っておけないなって思う自分がいた。
どんなにすごい忍者になったって、カカシの心の奥底にはきっと、傷ついたままの子どもがいる。私と同じように、いつか分かってほしいって。
カカシがふとした瞬間に、サクモおじさんみたいに消えてしまったら、私は絶対に後悔する。サクモおじさんだって、まさかあんなことになるなんて誰も思わなかったはずだから。シスイだって。
いつかこの楔を、解き放つことはできるんだろうか。私も、カカシも。
「いつもありがとうございます〜! 今日はこれ、サービスです!」
私たちが静かになってしばらくして、アヤメちゃんが満面の笑みでトッピングを追加してくれた。私はナルト、ゲンマはチャーシューに、味玉は二人とも。
戸惑う私たちにニッコリと笑いかけて、アヤメちゃんがカウンター越しにゲンマに耳打ちするのが聞こえてきた。
「頑張ってくださいね、ゲンマさん! お似合いです! 応援してます!」
「こら、アヤメ。お客さんのプライベートに口出すんじゃねぇ」
「ごめんなさい〜! つい!」
「……やめてくれ……」
真っ赤な顔を片手で覆って小さくなるゲンマを見ていたら、すごくこそばゆいけど、胸がじんわりと温かい気持ちになった。
久しぶりに食べる味玉が、疲れた身体に染み渡った。