263.白昼


 暁に関して、自来也さんを通して少しずつ情報が集まってきている。元々は大蛇丸の動向を探っている中でその存在を知ったらしい。かつて大蛇丸が属したものの、数年で脱退。今分かっているメンバーは、うちはイタチと干柿鬼鮫。約十名ほどのS級犯罪者で構成されているそうだ。
 今、ナルトくんは自来也さんが付きっきりで面倒を見ている。とはいえ、ずっと一緒にいられるわけではないし、仮に九尾が無事だったとしても、他の尾獣が暁の手に渡れば、間違いなく面倒なことになる。諜報分野の特別上忍として、日頃の諜報活動と並行し、私は暁や大蛇丸の動向についても調査を命じられていた。

 報告書をあげて、そのまま書庫に向かう。懸念すべきは、何も暁だけじゃない。他国の動向、抜け忍の把握、各国の血継限界。調査事項はいくらでもある。

 厳重管理の機密用書庫でいくつか調べ物をしていると、扉が外から開いた。この部屋に出入りできる人間は限られている。

「カカシ、お疲れ」

 やる気のない顔で書庫に入ってきたのはカカシだった。カカシとは時々、諜報の仕事で昔のように一緒に組む。カカシほどの上忍がいれば難しい仕事のときも護衛は必要ないし、むしろ私は足手まといなんじゃないかと思うことさえある。
 ともあれ、私の専門性は五代目も認めてくれている。カカシの弱いところを私が補い、私の弱いところをカカシが補う。忍猫は忍犬よりも隠密性という意味では優れているし、猫のネットワークは広い。忍猫たちは普通の猫とも会話ができるから、情報源は忍界全土に広がっているといえた。あとはそれを、私が忍猫たちから拾い上げることができるかどうか、だ。だから信頼関係が必要になる。

「次の任務の準備か?」
「うん。これまでの資料を一通り確認しとこうと思って」
「必要な資料はシズネからもらっただろ」
「だって五年以上前の資料は入ってなかったじゃん。カカシもそれ探しに来たんじゃないの?」

 次の任務はカカシと一緒だ。まだ少し日があるから、細かい打ち合わせはできていない。その前に追加資料を探しておこうと思ったのだ。

 年度毎の並びになっているはずなのに、目的のものが一年分、あるべき場所に見当たらない。
 うろうろしている私の後ろに、いつの間にかカカシが移動してきていた。

「探してるのはこれか?」

 背後から差し出されたファイルを見て、私はアッと声をあげる。なんだ、やっぱりカカシも古い資料探してたんじゃん。

「そうそう、それ! ありがと――」

 お礼を言って取ろうとしたら、届かないところに遠ざけられた。え、何それ。なんで急にそんな子どもみたいな意地悪するの。
 怪訝に思って振り向いた私に覆い被さるようにして、カカシが突然私の真横に肘をついた。

 あれから、十年近く経つだろうか。酔い潰れた私がカカシに送ってもらって、気づいたら玄関で押し倒されていた夜のことを思い出した。
 忘れようと思ったし、実際、忘れていた。私もカカシも酔っていたし、私はあのとき、カカシを怒らせていた。ただそれだけだ。そう思って、本当に忘れていた。

 でも、目の前に迫るカカシの顔を見たら、全部、思い出してしまった。
 何で、こんなこと。

「……な、何やってんの」
「さぁな。何だと思う」

 カカシの目は、全く笑っていない。私、また、カカシを怒らせるようなことをしたんだろうか。だからって、その度にこんなことされてたら、心臓が持たない。書庫の埃っぽさと、カカシのにおいが相俟って鼻腔に絡みついた。喉の奥が、焼けそうに熱くなってくる。

 いわゆる壁ドンで書棚に追い詰めてくるカカシに、私はやっとのことで口を開いた。

「か、カカシ……なんか怒ってるんなら、こんなことしないで、ちゃんと言って。私が、怒らせたんだったら……謝るから。ちゃんと、話して」

 カカシだって大人になった。教え子ができて、変わった。過去を乗り越えようとしてる。だから私だって、前を向かなきゃって思えた。
 それなのに今さら、こんなことで困らせないでよ。

 必死の思いで見上げる私に、カカシは心底呆れた様子で息を吐いた。

「お前は昔から、本当に無神経な奴だな」

 その言葉に、心臓がぎゅっと痛くなる。そうだよね。私は子どもの頃からずっと、無神経なことばかり言ってカカシを傷つけてきたよね。
 でも、それなら。

「じゃあ……ちゃんと、話してよ。言ってくれなきゃ分かんない」

 分かってほしいなら、いつまでも拗ねてないでちゃんと言ってよ。
 でもカカシはムッとした様子で眉根を寄せて、さらにこちらに顔を近づけてきた。もう、口布がなければ息がかかりそうな距離だった。

 嫌なのに、どこにも逃げ場なんてない。逃げたくても、どういうわけか足が動かない。

 戸惑う私を覗き込み、カカシは投げやりに吐き捨てた。

「そんなモン、俺じゃなくてゲンマに聞けばいいだろ」

 わけが分からず、目を見開く。カカシは明確に怒っていた。それなのに彼が口にした名前は何の脈絡もないように感じられて、私は反射的に声を荒げた。

「ゲンマに何の関係があんのよ」
「……そういうところが、無神経だって言ってんの」

 カカシはさらに不機嫌そうに目を細め、ファイルを掴んだ左手で無造作に口布をずらした。露わになった口元には、昔と同じように小さなホクロが見える。
 カカシの息遣いが変わった気がして、背筋に寒気が走った。

「やだ、カカシ……やめて……!!」

 寒いのに、身体の芯から熱が込み上げてくる。息が詰まりそうになって、カカシの胸を押し返しながら、私は咄嗟に下を向いた。

 カカシはそのまま身体を退いたけど、その冷たい声だけは容赦なく私を追い詰めてきた。

「ゲンマとは、キスしたのか?」

 びっくりして、呼吸を忘れた。カカシは口布を戻してもう私の隣から肘を離していたけど、まっすぐこちらを見下ろしてくるその隻眼が、彼の感情が全く動いていないことを表していた。
 羞恥で、あっという間に耳まで熱くなった。

「な、何言って……よ、酔ってるの?」
「こんな真っ昼間から飲まないよ。五代目じゃあるまいし」

 平然とそう言って、カカシが手元のファイルを軽く私の頭に載せる。仕方なくそれを受け取ると、カカシはもう私に背を向けて出口へと歩き始めていた。

「じゃ、明日の打ち合わせ、宜しく」

 そのまま静かに書庫をあとにするカカシの後ろ姿が、ひどく遠いものに思えた。