259.承継
「よし、明日には退院できるな。またバリバリ働いてもらうよ」
入院から約一週間。大蛇丸の部下とやり合い、瀕死の状態に陥った下忍たちの処置を終え、五代目が俺たちの病室にやってきた。
もう、日常生活に支障はない。問題は、なまった身体がすぐに追いついてくれるかどうかだ。
力加減を変えて俺の背に触れながら、五代目はどうということのない口振りでこう聞いてきた。
「お前、と付き合ってるのか?」
思わず咳き込むと、振動でまだ肺が痛んだ。
「な、何を言って……」
「お前がそうも取り乱すとはな。どうした? 図星か?」
ニヤリと口角を上げて、五代目がほくそ笑む。図星なら、どれほど良かったか。
どれだけ忘れたいと願っても、この五年、忘れられなかった。忘れられるはずが、なかった。忘れたくも、なかった。
俺が死にそうだと聞いて、はあんなにも必死になって里に戻ってきた。どう見ても疲労のピークを越えているのに、俺の顔を見ると安心したように泣きながらその場で気を失った。
どれだけ、案じてくれたのか。どれだけ、俺を失いたくないと思ってくれたのか。
俺が痛みに悶えていると、反射のように飛んできてくれた。背中を支えてくれた。どうしようもなく胸が高鳴った。小さな手のひらが控えめに俺の背に触れている。ただ、それだけだというのに。
思い切って視線を上げると、すぐ目の前にの顔があった。カーテンの隙間から漏れる月明かりに煌めく、大きな双眸。
その眼差しを見るだけで、の気持ちが手に取るように分かった。
どれだけガキの頃から、一緒にいたと思ってるんだ。
だが俺は、彼女に触れることも、声をかけることもできなかった。五年前の記憶が、鉛のように俺の心に伸し掛かった。
に触れる資格なんて、俺には。
黙り込む俺を横目で見やり、五代目は呆れたように笑って肩をすくめた。
「事情は大体分かった。お前も厄介な女に惚れちまったもんだね」
「な、え……えっ?」
五代目はの過去など知らないはずだ。それとも誰かから、何か聞いたんだろうか。
五代目の表情には、どこか哀愁が漂うように見える。
「あいつの母親も面倒な女だった。男はたまったもんじゃないだろうさ」
の、母親。五代目も知っていたのか。
もう、何年も思い出すことはなかった。だが不意に、の家で母親に初めて会ったときのことが脳裏に蘇った。
「五代目様……」
「何だ?」
口にするべきか、迷った。だが、今や彼女の話をできる相手など、ほとんど残ってはいない。
俺は五代目の視線から逃れるようにして俯いた。
「ガキの頃……の母親から、とは関わらないほうがいいと言われました。今なら、分かる気がします。俺は……に、相応しくないですから」
「はぁ?」
俺が決死の覚悟で口にした言葉を、五代目はあっさりと一蹴した。
「お前、バカなのか? 相手が誰でもあいつは同じことを言ったさ。あいつは傷つくのが怖かっただけだ。自分が傷つくのが怖いもんだから、娘の代までその恐怖を引き継いだのさ。恋愛は恐ろしいもんだ、やめとけってな。まぁ、私に子どもはいない。それはあいつなりの親心だったのかもしれんが」
そんなことを口にする人間はこれまでいなかった。もっとも、俺がの母親のことを他人に話すのはこれが初めてなのだから、当然と言えば当然だが。
五代目の口振りは、変わらず軽快だ。
「子は周囲の大人を見て育つ。私は幼い頃に親を亡くしたが、親が身近にいれば当然親の背中を見て育つ。ゲンマ、私はお前の伯父のこともよく知っている。お前たち不知火がどんな一族か、そしてがどんな一族かも分かっている。はとても傷つきやすい。だがお前たち不知火は、そんな繊細なタマじゃないだろう?」
不敵に笑って喉を鳴らす五代目に、少し肩の力が抜けるのが分かった。一族だからと単に一括りにされるのは気に入らない。だが五代目は、俺たちのことを分かった上でそう言っているのが分かった。
そうだ。何度撥ね付けられても、俺はずっとそばで彼女を見守ってきたじゃないか。
俺たちは今も、確かに惹かれ合っている。
「下らないことで悩んでる暇があるなら、さっさと次の任務に行け。急ぎのAランクに人手が足りんとシズネが走り回ってたぞ」
「……は」
恭しく頭を下げて五代目の背中を見送ったあと、気配を殺していたライドウの恨めしげな声が聞こえてきた。
「俺、二度とお前と同室は御免だ」
***
年が明けて、自来也さんはまた里を出て行った。自来也さんによると、暁は九尾を始めとする尾獣を何らかの目的で収集しようとしているが、そのための準備期間に三年ほどを要するらしい。その間に、ナルトくんを鍛え上げると。
少し、羨ましいなと感じてしまった。
「寂しくなるね、カカシ」
「べつに」
自来也さんとナルトくんの旅立ちを見送るカカシを、見ていた。
ナルトくんも、サスケくんも行ってしまった。サクラは五代目に弟子入りするという。ミナト班に似ていると感じたカカシ班は、一年も経たずして瓦解した。
カカシは、また別の新人チームを率いることになるだろう。それでもこの一年、ナルトくんたちと過ごしたカカシを見ていると、何だかすごく懐かしい気持ちになった。
カカシの横顔が、記憶にあるサクモおじさんに似てきたからかな。
あんな笑顔、昔のカカシにはできなかった。
どこかホッとすると同時に、私は少し、胸騒ぎを覚えた。
それはカカシの後ろ姿が、サクモおじさんに似てきたからかな。