258.生
病室のドアが勢いよく開いて顔を覗かせたは、息を切らせながらぼろぼろと泣き出した。よほど疲れているのか、顔は青ざめているのに頬だけが少し赤く染まっている。突然の事態に困惑する俺の目の前で、はそのまま床に崩れ落ちた。
「……!」
咄嗟に起き上がろうとしたが、全身に激痛が走ってすぐに布団の上に沈み込んでしまう。情けない。俺は顔をしかめながら、の傍らにすました顔で座っているサクを怒鳴りつけた。
「サク、医療班か誰か呼んでこい!」
「疲れてるだけにゃ。お前が死にかけって知って全速力で帰ってきたにゃ」
サクは何でもないことのように言ったが、俺の胸は混乱と同時に愛しさでいっぱいになった。は俺のことなんて、とっくに忘れたんだろうと思っていた。思い込もうとしていた。
それなのに、俺が瀕死だと知ったがこんなに慌てて帰ってきて、俺の顔を見たら安心したように泣きながらそのまま気を失った。
――クソ。の身体が心配だというのに、それ以上に、嬉しくて幸せでどうしようもなかった。胸の奥から温かいものが込み上げてきて、全身に染み渡っていく。涙が出そうになるのを必死でこらえながら、俺は千本を咥えた歯をきつく食いしばった。
「……いいから、医療班、呼んでこい」
震える声を絞り出す俺に、サクがやれやれと息を吐く。
「お前は本当に、昔からに甘々にゃ」
そしてサクが音も立てずに消えたあと、俺は顔だけを窓のほうに背けて目を閉じた。絶対に今、俺、みっともない顔になってる。
「……俺もいるんだけどな」
突然声がして顔を上げると、向かいのベッドから仰向けのままのライドウが苦笑いでこちらを見つめていた。
せっかく命拾いしたのに、羞恥で死にたくなった。
***
目が覚めると、薄明かりの中、ゲンマの寝顔が見えた。寝顔、だよね。ゆっくり、喉が上下してる。
生きてる。
強烈な安堵と共に、やっと私は自分がなぜこんなところで寝ているのか疑問に思い、それからとんでもない羞恥で身体が焼けそうになった。ここはゲンマのいる病室だ。私は、ゲンマの隣のベッドで布団をかぶって寝ている。私、もしかしてあのまま気絶しちゃったんじゃ。
「……目ぇ覚めたか?」
寝ていると思ったゲンマが、目を閉じたまま口を開いた。小さな、小さな声。それなのに私の心臓はびっくりするくらい跳ね上がった。
固まったまま何も言えない私を、目を開いたゲンマがゆっくりと顔を巡らせて見つめる。私は金縛りにでも遭ったみたいに、身動きがとれなくなる。
ゲンマとこんなに見つめ合うのは、何年ぶりだろう。ダメだって分かってるのに、まるで吸い寄せられるように目を逸らせない。潤んだその目を見ていたら、嫌でも分かってしまった。ゲンマが私のことを今、どう思っているかなんて。
分かってしまうから、ずっと、見ないようにして逃げてきたのに。
「お前、丸一日寝てたにゃ」
「ねぼすけにゃ」
耳元でのんびりした声がして、思わず飛び上がる。冷えるのか、私の枕元でサクとレイが丸くなって寄り添っていた。
恥ずかしさに混乱しながら、急に思い出したことがあって声をあげる。
「アオバ! ほ、報告……」
「あいつがとっくに終わらせたにゃ」
「お前は起きたら帰っていいって言われてるにゃ」
「だ、誰に?」
「綱手にゃ」
まさか、五代目にこんなみっともないところ見られたんじゃ。恥ずかしい。情けない。消えたい。
まだ身体は重かったけど、私は何とか起き上がってベッドから降りた。早く帰らなきゃ。こんなところにいちゃいけない。そして一歩踏み出したところで、貧血でも起こしたみたいに頭がふわっと宙に浮いた。
視界が揺れて、身体が傾く。
「!」
私が自分の寝ていたベッドに手をつくのと、ゲンマのうめき声が聞こえたのはほぼ同時だった。横になっていたはずのゲンマはいつの間にか上半身を起こし、苦痛に顔を歪めながら前のめりに屈み込んでいた。
「ゲンマ……無理しないで」
体勢を立て直した私は慌ててゲンマのもとに駆け寄った。背中に手を添えてから、ハッとして息を呑む。痛むかな。どうしよう。でも、早く横になったほうが。
オロオロしながら視線を上げると、ゲンマの苦しそうな瞳がすぐ目の前にある。
苦しいのはきっと、傷が痛むからだけじゃない。
急にゲンマの体温を感じたような気がして、一瞬で全身に熱がこもった。触れているのはほんの手のひら。彼の背中を、支えているだけなのに。
涙のにじんだゲンマの瞳。赤く染まる頬。私たちはしばらく、何も言えずにただ見つめ合うだけだった。
こんなことしてちゃ、ダメだ。
もう、ゲンマは無事だって分かった。だからもう、行かなきゃ。
頭ではそう分かっているのに、もう一人の自分が邪魔をする。今回は無事だった。でも、その次は? また同じことが起こらないっていう保証は? その度に私は、こうやってまた泣きながらゲンマの前に姿を見せるの?
こんなときしか、素直になれないのに?
『意地を張るのは、ベッドの中だけにしろ』
こんなときに、場違いな自来也さんの声が聞こえる。恥ずかしくて、また心拍数が上がる。
五年も離れていたせいかな。
あんな風にゲンマを苦しめたのに、本当は今すぐ、ゲンマに触れたい。抱きついて、匂いを嗅いで、心臓の音を聞いて、生きてるって実感したい。
ゲンマになら抱かれてもいいって、今も思ってる。
本当に、私は最低の女だ。
「ごめん、私……行くね」
やっとのことでそれだけを絞り出して、私はゲンマに背を向けた。
ゲンマは何も言ってこなかったし、サクたちもついてはこなかった。