257.もしも


 もしも、ゲンマがいなくなったら。

 そのことを想像したとき、目の奥が熱くなって、涙がにじんできた。喉の奥が焼けて、口の中が苦い。ひたすら走り続けているのに、肌が粟立って悪寒さえ感じる。
 チャクラを脚に流して、地面を蹴り続ける。限界なんてとっくに超えてるはずなのに、到底止まれそうになかった。

(ゲンマが……死ぬわけない)

 心の中でそう唱えるたび、逆に不安が大きくなる。心臓が、胃を蹴るように激しく脈打った。

 二十年前、初めてゲンマに出会った。アカデミーで困っているときに助けてくれた上級生。売られた喧嘩は買うタイプのカカシに対して、ゲンマは指一本出さずしてその場を収めた。すごくカッコよくて、頼りになるなと思った。
 苦手な手裏剣術をカカシに馬鹿にされていた私は、上級生のゲンマに修行をつけてくれるように頼んだ。ゲンマは面倒見が良くて、何か月も修行に付き合ってくれた。カカシにはとても追いつけなかったけど、手裏剣もクナイも、ゲンマが褒めてくれるのが嬉しくて、私は必死に練習した。

 サクモおじさんが死んだときも、母さんが死んだときも、そばにいてくれたのはゲンマだった。ゲンマや、リンやオビトがそばにいてくれたから、私は腐らずに前に進めた。

 オビトが死んだときも、リンが死んだときも、ばあちゃんが死んだときも、アイが死んだときも。ゲンマはいつだって、変わらずにそばにいてくれた。

 そんなゲンマのことを、私はいつの間にか好きになっていた。

 ゲンマも私のことを、好きだと言ってくれた。何度も何度も、何度も。私が撥ねつけようとしたって、諦めないで何度も。

 だけど私は、ゲンマの気持ちを受け止められない。私は、家族を作ることが怖い。私は家族に愛されなかった。家族は私を置いて、みんないなくなった。
 大好きなゲンマとだって、家族になれば、きっと壊れる。分かっているのに、別れを決断するのに何年もかかってしまった。私が、優柔不断だから。ゲンマとのことでウジウジしている間に、私はまた、大切な友人を失った。

 だから、今度こそ最後だって決めた。ゲンマのそばにいたら、私は大好きなゲンマのことしか考えられなくなる。その間に、大切な人が悩んでいたって気づかない。失ってから気づいたって、もう遅い。

 私が何年も繋ぎ止めて、期待させてしまったから、ゲンマはあんな風になった。応えられないなら、一緒にいてはいけなかったのに。

 最後にゲンマのアパートに行ってから、五年。私たちは、ただの同僚になれた。なれたと思う。なれたと思っていたのに。

「あなたもやっぱり母親と同じね。いつまでも未練がましく過去の男にしがみついて、肝心なときに何もできやしない」

 分かっている。忘れられないから、ずっと息苦しい水の底を、ただ藻掻いているような感覚。
 ずっと、ずっと一緒だった。ずっと、そばにいたのに。

「ゲンマが死にそうにゃ」

 ゲンマは死なないなんて、どうして信じられたんだろう。

 サクモおじさんも、ばあちゃんも母さんも、オビトもリンもアイもライも、ガイのおじさんも、ミナト先生もヒルゼン様も、シスイも標ばあちゃんもみんな、死んでしまったのに。

 どうしてゲンマは死なないなんて、信じ込んでしまったんだろう。

 このまま、ゲンマがいなくなったら。

、少しペースを落とせ」

 後ろからアオバが何か言ったような気がしたけど、よく、聞こえなかった。


***


 木の葉に帰還すると、門番のコテツとイズモが私の顔を見て「あっ」と声をあげた。いつもなら足を止めて話を聞くけど、今はそれどころじゃない。報告はひとまずアオバに任せて、私はサクと一緒に木の葉病院に駆け込んだ。

 受付に並ぶ時間ももどかしい。サクの指示に従い、私はエントランスを早足で抜けて病棟の階段を駆け上がった。
 サクが呼びに来てから、一日半が経った。処置は終わったか。峠は越えたか。それとも。

 頭に浮かんだ最悪の想像をかき消すように、私はきつく目を閉じてかぶりを振った。
 とある病室の前で、ぴたりと足を止める。

「ここにゃ」

 サクの台詞に、心臓が跳ねた。周囲に音はなく、自分の激しい心音だけが脳内に響き渡る。
 ゲンマが無事だとして、私は一体、どんな顔で会えばいいの。

「遅くなったにゃ。もう死んでるかもにゃ」

 肩口のサクがあっけらかんとそう言ったので、私はそちらを睨みつけながら勢いよく扉を開けた。

 もう二度とゲンマに会えないなんて、絶対に嫌だから。
 そばにいられなくたって、絶対に、生きていてほしかったから。
 ゲンマの無事を確かめられたら、それだけでよかったのに。

「ゲンマ!」

 大部屋には、ベッドが六つ。そのうちの二つに、大柄の男が横たわっていた。

 傷だらけの顔で、穏やかに寝息を立てているライドウ。その向かいのベッドに寝そべる病衣姿のゲンマは、千本を口に咥えたまま、狐にでもつままれたような顔でじっとこちらを見つめていた。

「にゃんだ、生きてたのにゃ」

 サクの気の抜けた声に、反発する気にもならない。

 ゲンマが、生きてる。

 それだけで、この五年抑え続けてきた感情が、涙と一緒に溢れ出すのが分かった。