255.チャンス


、綱手が戻ってきたにゃ」

 レイが私の肩に現れてそう告げたのは、自来也さんが里を離れてから一カ月ほどが過ぎた頃だった。早速サスケくんとカカシの治療、そして、リーくんの診察。
 リーくんの怪我にはとても複雑な手術が必要だそうで、成功率は五十パーセント。失敗すれば死に至るという過酷な条件だった。

 ガイはひどく悩んでいたようだったけど、リーくんには忍術や幻術が使えずとも立派な忍びになれることを証明するという夢がある。ガイもまた、そんなリーくんを命懸けで育てるという熱い思いがある。万が一にも、リーくんが死ぬようなことがあれば、自分も一緒に死んでやるとガイが誓いを立てるところを私は目撃してしまった。

 口約束なんかじゃない。ガイは絶対に、そうする。自分の決めたことには、命だって懸ける。

 私はどうだ? 何のために、命を懸けられる?

 里のため、仲間のため、平和のため。そう何度決意しても、自分の非力さにうんざりする。

 もう一度大蛇丸と対峙したとき、私は本当に命を懸けても戦えるんだろうか。
 記憶を覗かれたくらいで、動けなくなるのに。

 五代目火影就任が決まり、綱手様が執務室に入った。もう、ヒルゼン様もミナト先生もいない。三日後にはこの人が、木の葉の里長になる。

「お前は……凪の娘か?」

 木の葉の戦力低下に際し、情報部の仕事は多岐に渡る。諜報分野の特別上忍として呼ばれた私を前に、綱手様は片眉を上げてみせた。

 自来也さんの同期であるなら、この人もまた母の同期だったはずだ。

「はい。情報部のです」
「そうか。澪様はすでに亡くなったと聞いている。凪の奴はどうしている?」
「とっくに死んだにゃ。お前が里抜けしてフラフラしてる間に」

 レイが突然私の肩に現れて、あっさりとそう言った。私は慌てて遮ろうとしたけど時すでに遅しで、綱手様は少し顔を強張らせたあと、僅かに視線を落とした。
 術か何かなのか、外見は私と同じか、むしろ若いくらいのとても美しい人だった。

「……そうか」
「お前は一体どこで何をしてたにゃ。澪の話も聞かずに、里なんて滅びればいいって出ていったにゃ。今更どの面下げて戻ってきたにゃ」
「レイ! やめて、相手は火影様よ」

 それは、私の中に燻る感情でもある。だからって、こんな形で正面切ってぶつけていいものじゃない。
 でも忍猫にとって、そんなことは一切関係ないんだろう。

 綱手様は静かに視線を上げ、付き人のシズネさんは厳しい面持ちで眉をひそめた。

 小さく息をついて、綱手様が口を開く。

「お前は、いつも凪のそばをちょろちょろしていた忍猫だね」
「あいつが、うちの周りをちょろちょろしてたにゃ」

 フンと鼻を鳴らして、レイが尻尾を一振する。ハラハラしている私の目の前で、綱手様はレイを見つめながら淡々と話し続けた。

「弁解の余地はない。私は二十年前に木の葉を捨てた。だが今、相談役と火の国大名の要請を受けてここにこうして戻ってきた。お前こそ、の肩で偉そうに説教を垂れるだけか。を守れもしないのなら、人の営みに口を挟むな」
「綱手様! そんな言い方は……」

 今度はシズネさんが慌てて遮ろうとしたけど、綱手様は顔色一つ変えない。サクもまた、鼻で笑っただけだった。

「お前たち人間の生活なんか興味もないにゃ。お前みたいな奴が気に入らないだけにゃ」
「レイ、やめてって、もう……申し訳ございません、五代目様」
「構わん。昔から忍猫は、の周りで好き勝手言うだけだからね。お前もあまり気にするな」
「……はい」

 そう言うしかなく、そう言ったけど、私の中には気味の悪いモヤモヤが渦巻いていた。
 レイの言葉は、私の中にもある感情だ。戦地に散っていった仲間たちのこと、心を壊して死んでいった家族。サクモおじさん。

 あの頃、もし、逃げることができたなら。

 レイが消えたあと、私は綱手様から次の仕事の話を聞いてから執務室を離れた。でも情報部に戻る途中、後ろからバタバタと足音が聞こえて、追いかけてきたのはシズネさんだった。

さん……少し、お時間いいですか?」


***


 火影邸の屋上は、火影岩が一番よく見える場所だ。初代、二代目、三代目、そして四代目。
 ここにもうすぐ、五代目の顔が刻まれる。

 シズネさんは暗い顔をしながら、静かに語り始めた。

「綱手様が二十年前に里を捨てたのは事実です。綱手様は最愛の人を二人も失い、その傷に耐えられなかった。心に傷を負ったまま、二十年ずっと彷徨い続けてきた」
「それが戦争です。綱手様だけじゃない。家族や仲間を失い、心身共に傷を負った者たちはいくらでもいる。逃げたくても、逃げられなかった者たちがたくさんいる」

 つい、言葉尻が強くなってしまった。シズネさんは視線を落としてしばらく黙り込んでいたけど、やがて決戦とした面持ちで顔を上げた。

さんの仰る通りです。私たちは戦場から逃げた。その事実は消せない。だからこそ、あなたのような忍びに見ていてほしいんです。これから綱手様が、この里のために命を尽くすことを。歴代の火影たちが守ってきたこの里を、これからは綱手様が守っていくと。だから私たちに、最後のチャンスを与えてほしいんです」
「……何を、仰ってるんですか。上役たちの決定事項に、私程度の者がとやかく言えることはありません。頭を下げる相手を間違えていませんか」

 どうしても、声が低くなってしまう。このやり場のない感情を、シズネさんにぶつけたところで意味がないのに。私と同世代のシズネさんに、二十年前のことを押しつけたって意味がないのに。
 シズネさんは私から、目を逸らさなかった。

「あなたのような方々がいることも理解しています。私たちが木の葉を離れている間も、この里に暮らし、命を懸けてきた皆さんがいる。でも、綱手様は愛する人たちの夢を、守りたかったものをようやく思い出すことができた。だからこれから、命を懸けて証明していきます。綱手様を信じなくていい。でも、見ていてください。五代目火影として、何があってもこの里を守り抜いてみせます」

 私はしばらく、何も言うことができなかった。シズネさんは、強い信念と覚悟を持って綱手様のそばにいる。私なんかよりも、ずっと。
 二十年もずっと、燻り続けた綱手様の傍らにいることに、どれだけの苦痛が伴ったか。

 なぜか私の頭に、ゲンマの顔が浮かんだ。

「……私だって、力があれば逃げ出していたかもしれない。逃げられなかったのは、私が弱いからです」

 ようやく口に出せた言葉は、実に情けない告白だ。息を呑むシズネさんの瞳を、私はまっすぐに見据える。

「逃げて、逃げて逃げて――それでも綱手様は、最後に戻ってきてくださった。その決断が、何よりの覚悟の証だと思います」

 諸手を挙げて喜ぶことは、できない。それでも私は、この里に生きることを決めた忍びだ。

「木の葉の忍びとして、五代目火影の下、これからも変わらぬ忠誠を誓います」