254.陰影
自来也様が里に戻ってきたと知ったのは、木の葉崩しから一夜明けた日のことだ。
三代目を始め、殉職者たちの葬儀は木の葉崩しの三日後に行われた。また多くの忍びたちが死んだし、避難開始前に戦闘に巻き込まれた市民も少なからずいる。の性格上、非戦闘員の避難指示を任されていた彼女が責任を感じるだろうことは容易に想像できたが、だからといって俺に何をしてやれるわけでもない。
「おう、ゲンマ。久しいのう」
葬儀を終えて中心部の瓦礫撤去作業の指示に回っているとき、悠々と現れた自来也様が俺にそう声をかけた。正直、それほど親しい間柄というわけでもなかったと記憶しているから、驚いた。
「自来也様、ご無沙汰しています」
「相変わらずだのう。イクチとは正反対のタイプだ」
そういえば、イクチは自来也様とも親しかったな。幸い俺のアパートは無事だったが、実家は半壊したため、今は両親がイクチの家に世話になっている。
自来也様はイクチやコトネの話をしながら、さり気なく俺を近くの路地まで誘導した。
本題とばかりに自来也様が口にしたのは、俺が最も聞きたくない名前――のことだった。
「お前、とは最近どうしておる?」
「どうって……別に、何も。あいつは情報部、俺は護衛部ですから」
俺たちが疎遠になって、五年が過ぎた。今ではもう、誰も俺たちの仲を勘繰ったりしない。俺がに捨てられたことなんて、少し察しが良ければ誰でも気づくだろう。
自来也様だって、イクチから俺たちのことなんてとっくに聞いているはずなのに。
お茶を濁そうとする俺に、自来也様はこれ見よがしに嘆息してみせた。
「そういうことか……まったく、素直になれとあれほど言ったのに」
「……何の話です?」
「こちらの話だ。で、お前はどうだ? のことはもう忘れたのか?」
ストレートにそう問われて、少しずつかつての記憶が蘇ってきた。俺たちがまだチョウザ班のとき、は自来也様やいのいちさんの下で情報について学び始めた。それがきっかけで、少しずつ自来也様と話をする機会に恵まれた。
初めは、ただ揶揄われていただけだったと思う。俺だって当時はへの気持ちを自覚していなかったし、「のことが好きなんだろう?」と小突かれたところで「三忍までそんな下らないことを言うのか」とガッカリしたことを覚えている。
だがへの恋心に気づいてからというもの、自来也様のしたり顔は俺にとってひどく居心地の悪いものになった。
十八になった年には、自来也様が書いたという成人向け小説を押し付けられた。要りませんと撥ねつけようとしたら「恋する男は全員読め」と説教までされて。
読んでしまってから、後悔した。への感情が、とても人に言えるようなものではない醜いものに変化していくのが分かった。昔のまま、家族のようにただ見守っていたかったのに。
だが十年前、が瀕死になったとき、何度も隔離病棟に通う俺の前に自来也様が現れてこう言った。
「あいつの母親もそうだった。意地っ張りで、素直になれないがために大切なものを失った。それは、の宿命のようなものだ」
そういえば自来也様と初めて出会ったのは、の母親の病室だったな。
「己を恥じることはない、ゲンマ。に光と影があるように、お前にも――いや、誰の中にも光と影がある。だからこそ陰影が生まれ、人生は面白くなる。大切なのは、を思うお前の気持ちの深さだ。時には影でもよい。光がなければ、影は生まれんのだからな」
よく分からないというのが、正直な感想だった。だが、よく分からないなりに、自来也様の言葉は俺の心の中に残った。
忘れられるはずが、ないだろう。
あれから十年経った今、何も言えない俺を見て、自来也様は不敵に笑ってみせた。きっと全て、見透かされているんだろう。
「お前は少々真面目すぎるな。たまには息抜きも必要だ。どうだ、今夜あたり、わしの馴染みの店で一杯……」
「明日も早いので、結構です」
自来也様の馴染みの店など、どうせろくなことにならない。
遊んで忘れられるくらいなら、とっくの昔に忘れている。
を忘れるということは、俺の人生の否定だ。
自来也様はまた笑いながら、肩を竦めて視線を落とす。
「まったく……本気なんてモンは、実に厄介なものだのう」
それは俺にも分かる気がしたが、そうと答えるのは癪だったので、やはり俺は黙ったままだった。
***
イタチが帰郷したとき、私はちょうど任務で里の外に出ていた。イタチの幻術を受けて、サスケくんは意識不明、カカシは辛うじて意識はあるものの、まともに起き上がれるような状態じゃない。私は何度か、カカシの病室に差し入れを持っていった。と言っても、ろくに食事ができるような状況ではないから、インスタントのスープや味噌汁くらいだけど。
「自来也様から、暁のことは聞いてるか?」
「うん、まぁ……でも、イタチがいるなんて……知らなかったよ」
暁という名の傭兵集団の噂は私も耳にしていた。大国の隠れ里より破格の値段で戦闘を請け負うために、近年その知名度は上がってきている。各国の抜け忍、しかもビンゴブックに載るようなS級犯罪者ばかりを擁していると聞いたが、今回木の葉に現れたのは、うちはイタチと、霧隠れの抜け忍である干柿鬼鮫という話だ。
カカシによると、暁はナルトくんの中の九尾を狙っているらしい。確かに尾獣を手中に収めればそれだけ強大な力を得られるだろう。だから自来也さんは直々にナルトくんに修行をつけて、自衛の方法を学ばせようとしているそうだ。
「ナルトくんは自来也さんに任せればいいとして……問題はサスケくんでしょ。大蛇丸は術が使えなくなったっていっても部下だっているんだし、そう簡単に諦めるはずないわ。あんたがそのザマでどうすんのよ」
「……面目ない」
よれよれのカカシが素直に項垂れる。こんなしおらしいカカシ、昔は考えられなかった。初めての教え子であるナルトくんたちが、カカシを変えていっているんだろうなって何となく分かった。
「、大丈夫だ。自来也様がすぐに綱手様を連れて帰ってくださる。そうすれば万事解決! カカシもサスケも、我が愛弟子リーもすぐに前線に復帰できる!」
病室に颯爽と現れたガイが、いつものガッツポーズで私たちにウインクした。カカシは今の体力ではガイのテンションについていけないようで、ベッドに横たわったままげんなりと眉根を寄せる。
一方、私はどうしても、そう楽観的になれなかった。
みんなは本当に、それでいいの?
医療忍術のスペシャリスト。第二次大戦の末期、小隊編成に可能な限り医療忍術をたしなむ忍びの配置を提言したという功労者。
もっとも、圧倒的に医療忍者の数が足りなかったため、第三次大戦でも理想の配置は叶わないケースが多かったけど。
それでも、リンはその中で、高い潜在能力を秘めた医療忍者の卵だった。リンは最後、霧隠れの策略にハマり、命懸けで里を守ろうとした。
二十年も前に里を捨てた人間を、諸手を挙げて迎え入れることが本当に里のためになるのか。
能天気に笑うガイに背を向けて、私は静かにカカシの病室をあとにした。