253.千手


 ヒルゼン様が亡くなり、音隠れと砂隠れの両軍に侵攻された木の葉隠れの里は甚大な被害を受けた。戦闘規模を考えれば非戦闘員の死傷者は最小限に抑えられたとはいえ、やはりゼロにすることはできない。あれだけ事前にシミュレーションしたのにと落ち込む私に、いのいちさんは「完璧を求めるのはお前の悪い癖だ」と暗い顔で言った。

 長く里を治めた三代目火影は、もういない。穢土転生された初代火影、二代目火影、そして大蛇丸の腕を道連れに、四代目と同じ封印術を使ってこの世を去った。

 アンコは見るからに塞ぎ込んでいた。第二試験で大蛇丸と対峙してから、一度もゲンマに寄りかかっているところを見たことがない。この五年ほど、当てつけのようにゲンマにくっついてばかりいたのに、近頃はゲンマがそばにいてもアンコはどこかぼーっとしていた。

 もちろん、ヒルゼン様の死に誰もが落ち込んでいる。ゲンマたち護衛部、特にライドウはヒルゼン様のすぐそばにいたのに何もできなかったと自分を責めているようだった。でも、ゲンマがライドウの背中を押していたってイワシから聞かされた。私にそんな情報、くれなくていいのに。
 四代目が亡くなったときも、ゲンマは誰よりも仲間のことを励ましていた。でも本当は、彼自身が一番落ち込んでいた。

 もう、あんな風にゲンマのそばにいることはできない。

 私に、そんな資格はないんだから。

 里は九尾襲来と同様、復興には時間がかかるだろう。あのとき私やゲンマの実家方面は無事だったけど、今回は四方から上忍レベルの忍者たちから襲撃を受けたので、全壊とまではいかなくとも近隣の家々も被害を受けた。私の家も、屋根の一部が崩れ落ちた。
 もっとも、そんなもので済んで幸運だったけど。

 ゲンマの実家はおじさんとおばさんの部屋を含めて半壊したので、修復の間、今度はおばさんたちがイクチの家に身を寄せることになった。

 いつの時代も、忍びの争いに巻き込まれるのは一般の人たちだ。九尾の件だって、そもそも里が九尾を所有していなければ起こらなかった。

 それでも、今すぐ忍びの社会をどうにかできるわけじゃない。
 多くの忍びを失った木の葉隠れの里が迅速に決めなければならないのは、次の火影だ。

「自来也さん」

 里の上役たちが大名との会合で、自来也さんを次の火影と決定した。木の葉崩しと呼ばれた大蛇丸の襲撃事件において、自来也さんはやっぱり戦闘に参加し、阿吽の門周辺は彼のおかげで被害が抑えられた。そして何より、自来也さんは大蛇丸と並んで伝説の三忍と呼ばれた最強の忍びだ。彼が戻ってきた今、五代目火影は彼以外にいないと誰もが思った。
 でも、自来也さんはそんな話を受けたりしないだろうなと私は思った。

「面倒事に首を突っ込むのは辞めたって言ったじゃないですか」
「仕方があるまい。木の葉の良い女たちが傷つくのは忍びないからのう」

 自来也さんは何ということのない口ぶりで、そう嘯いた。

 彼を、昔のように純粋な気持ちではもう信用できないかもしれない。でもやっぱり、彼の軽口を聞くと昔のような安心感があった。
 自来也さんはこの十年で、変わった。でも、確かに変わらないものだってある。

 彼は五代目火影として、三忍の一人である綱手様を探しに行くと語った。昔、彼の下について修行しているときに綱手様の話を聞かなければ、彼女は殉職したものと思い込んでいただろう。
 それくらい、私は幼少期から綱手様の話を耳にする機会がなかった。

 まるで、禁忌とでもされているかのように。

「綱手は第二次大戦で弟と恋人を失ってから、人が変わったように塞ぎ込んでのう。三代目の言うことも、澪様が止めるのも聞かずに里を出て行ったからな」
「……そんな人が、もし見つかったとしても火影なんて引き受けてくれるんですか?」
「さぁな。だが、いい加減なわしなんかよりも、切れ者のあいつのほうが火影に向いておる。あいつには初代、二代目の血統もある。火影として申し分のない器だ」
「……血統があればいいんですか? 第二次大戦のあと里を離れたとなれば、二十年も木の葉を顧みることなく放浪しているってことですよね。でも自来也さんは、大蛇丸の後を追ってこの十年ずっと諜報活動を続けてきた。どちらが里長として相応しいかは明白です」

 自来也さんはこの話を、受けないだろうと思った。でも、だからって二十年も前に里を捨てた人を頼るなんて、私には到底許せなかった。
 誰だって、戦争で大切な人を失ってきた。今回の木の葉崩しだってそうだ。私だって里を捨てたいと思ったことがないではない。それでもここまで踏ん張ってきたし、踏ん張りきれずに自ら命を絶った者さえいる。

 そのことを思えば、痛みから逃げ続けて行方さえ分からないような人間を、火影と認めるわけにはいかなかった。

「お前の気持ちも分からんではない。だが、国家間のバランスを保つためには今こそ強力なリーダーが必要なんだ。実力、血統、頭脳。そして何より、仲間を思う熱い心だ。あいつにはそれがある。わしはあいつをよく知っておるからな」

 自来也さんの言葉に、抑えきれない怒りが噴き出した。そんなものがあるのなら、どうして二十年も里を放っておけるんだ。これまでいくらだって木の葉の危機はあった。なのにどうして、一度も帰ってこないんだ。
 拳を握りしめて押し黙る私に、自来也さんは淡々とした口振りでこう言った。

「お前なら分かると思うが、人一倍深い愛情を知る者は、それを失ったとき誰よりも心に深い傷を負う。だがそれを乗り越えた先に、真の強さを得るものだとわしは信じておるのだ」

 それが私の心を抉るものだと、自来也さんは分かって言っている。
 私はこの心の傷を、十年以上ずっと引きずっているのだから。

 綱手様も、私と同じだと言いたいんだろう。

 それでも、私は里から逃げたことは一度もない。

 何も言えない私の頭を無造作に撫でて、自来也さんは私の前から去っていった。