252.けじめ


 第三試験本選は、大名を始め国の有力者も招待される一大イベント。予選までが終わると、本選の審判の他は護衛部や情報部を残して、中忍試験に携わってきた忍びたちもその多くに余裕ができる。例年なら、私も持ち場によってはよく本選を覗いていた。

 でも、今年は。本選を楽しむ気には到底なれそうにない。

「じゃ、会場のほうは宜しくね」

 アオバは本選会場にて警戒。私は忍猫たちと里内の巡回。里の中心部は人通りが多く、敵が紛れやすい。万が一の場合、病院が落とされると事後にも多大な影響を与えるため、病院の周辺にも忍猫を配置。高台の上、水路付近、郊外。あとは、彼らの勘に任せる。

「イヤーな感じにゃ」

 サクやレイたちは、数日前からまるで落ち着きがない。九尾襲来の夜も、私は直前までアオバと任務に出ていたから分からなかったけど、里に残っていた忍猫たちは、嫌な空気が漂っていたと後に語った。

 兄妹のように育ったアイを失った、あの夜。

 胸騒ぎがしてサクを抱きしめようとしたら、鼻の頭を軽くはたかれて少し出血した。

「面倒をかけるの」

 本選前、最後の報告に向かった私に、ヒルゼン様はそう言って息をついた。

 私が物心ついたとき、この人はすでに火影だった。あれから二十年ほど。四代目が殉職してからも、この人がずっと里を導いてきた。

 祖母の、旧友。相方。祖母はこの人の右腕とも言われた。

 時は流れ、誰もが年を重ねる。

「いえ……これが私の仕事ですから」

 伏し目がちに答える私に、ヒルゼン様が小さく忍び笑いを漏らす。怪訝に思って顔を上げると、ヒルゼン様の眼差しはひどく穏やかだった。

「その傷は、忍猫か?」
「え? あ……はい、サクが、ちょっと……」
「懐かしいのう。澪もお前くらいの年にはまだ、時々ライと喧嘩をしておったな」

 可笑しそうに笑うヒルゼン様の言葉に、不思議な感覚が込み上げてくる。もう何年も、ヒルゼン様の口から祖母の話題が出ることはなかった。祖母は私にとって、忍猫使いとしては完璧に見えた。忍猫の誰も、ばあちゃんに文句を言うような姿は見たことがなかった。
 そんなばあちゃんにも、大人になってもなお、私みたいな時代があったの?

「お前は、本当によくやってくれておる。これからも里を頼んだぞ」

 改まってそんなことを言うのは、やめてほしい。まるで、遺言みたいに。胸がざわついて、呼吸が浅くなる。
 振り払うようにして目を閉じて、私は躊躇いながらも口を開いた。

「ヒルゼン様。昔、私が暗部に行きたいと言ったとき……今のお前では駄目だとおっしゃいました。私では、あなたの手足になることはできない。今も、同じですか?」

 私の問いかけに、ヒルゼン様は静かに笑みを消し去る。でも、その眼差しは変わらず優しいままの色を宿していた。

「お前にわしの手足となってほしい思いは今も変わらぬ。だが、逃げるために選んだ道は、決してお前を救ってはくれぬ。お前は誰よりも、愛を知っておるはずだ」

 ヒルゼン様は、私を責めてるんじゃない。ただ、私を信じて言ってくれている。
 でも、こんな思いをするくらいなら、愛なんて最初から知らないほうがよかった。

 何も言えずにいる私にもう一度笑いかけて、ヒルゼン様は傍らの火影笠を手に取る。

「さぁ、そろそろわしも行かなければ。頼んだぞ、

 これが最後になるかもしれないと、何となく分かっていた。

 それでも私は、それ以上、何も言えなかった。


***


 最悪の事態を想定していなかったわけではない。だから暗部や情報部を配置してあったし、自分自身もまた戦闘装束に身を包んでいた。だが目の前に現れた大蛇丸に、一縷の望みをかけていたかつての純朴さは見る影もなく、奴はすっかり人の皮をかぶった異形と化していた。

 信じていた。私の全てを継ぐことのできる可能性を秘めた少年だと。無論それは誤りではなかったし、そうできなかったのは私の落ち度もあるだろう。私が弟子を正しく導くことができなかったために、このような事態を引き起こした。
 奴の心の奥に巣食う狂気に気づかない振りをして、向き合うことをしなかった。十年前のあのときも、私はとうに気づいていたはずなのに、知らぬ顔をしてカカシとに調査を依頼した。

 は奴を追い詰めた。あとは、私が始末をつけるだけだ。

 それなのに私は、奴を殺すことができなかった。

 の解毒が先だと、瀕死の彼女を弁解に利用して。

 だから彼女をそばに置こうとした。私の弱さも、後悔も、未練も、全てが露わになったあの瞬間、あの場所に居合わせた彼女を。
 いつか私の本性に気づくかもしれない彼女に、そばにいてほしかったのだろう。

 もしそうだとして、私はどうした? それとももうとっくに気づいていただろうか。懺悔でもすれば、私の罪は消えるのか?

 否。消えるはずがない。私の弱さが、里の家族を危機に陥れた。

 澪。お前の愛する家族さえ、私は利用しようとした。お前はもう、私を許してはくれまいな。

 だからせめて、今ここでけじめをつける。

「屍鬼封尽」

 私はミナトとは違う。それでも今ここで、この術をもって奴を道連れにすることはできる。

 私は弟子に、一体何をしてやれたのだろう。

 綱手も、大蛇丸も自来也も、皆いなくなった。

 史上最強の火影と言われた私は、もしかしたら最悪の師匠だったのかもしれない。

 それでも、友の言葉を信じてここまでやってきた。

「お前はろくでもない男だよ、ヒルゼン。でも、筋は必ず通す奴だ」

 そう言って快活に笑った、かつての澪の姿。

 澪は私の弱さも、男としての醜さも、よく分かっていた。

 ――澪。お前やビワコのところには、もう行けないな。

 お前たちの小言を聞くことも、もう。

 それでも。

 掛け違えた筋を、今ここで正そう。

 最後に、木ノ葉丸の声が聞こえた気がした。