251.不能
自来也さんに会ってから、半月が過ぎた。私は彼のことを、結局誰にも言えないでいる。アオバにも、いのいちさんにも、ヒルゼン様にも。
戻ってきたのは絶対に大蛇丸絡みなのに、自来也さんはどうしても認めようとしなかった。わしは何もするつもりはないと。面倒事に首を突っ込むのはやめにしたのだと。
そんなの、絶対に本心じゃないのに。
私はそれ以上、何も言うことができなかった。
助けてくれると当然のように思った。でももしかしたら、自来也さんはこの十年、大蛇丸を探し出して止められなかったことに責任を感じているのかもしれない。自分にできることは、もうないのだと。
だからせめて、四代目の息子であるナルトくんに、己の身を守るために少しでも力をつけさせようと。大蛇丸の目下のターゲットであるサスケくんには、カカシがついているから。
そう勘繰ったところで、本当のところは分からない。自来也さんは私に、あれ以上のことは語らなかった。信じていたものが、また一つ崩れ落ちていくのが分かった。
第三試験本選は、当初の予定通りゲンマが審判を務めることになっている。今年は六年ぶりに他里からの受験者を受け入れての開催のため、より公正を期す必要があるということで、ゲンマが初めて審判に選ばれた。大蛇丸が何か仕掛けてくる可能性が高いと判明してからも、ゲンマ以外に適任はいないという話になった。ゲンマの公正さと冷静な判断力は、里の誰もが認めるところだ。上忍会議で改めてそのことが言い渡されたとき、ゲンマは顔色一つ変えずに頭を下げた。
ネネコちゃんのチームは、残念ながら全員予選敗退。でもこの一年で、本当に実力がついたと思う。テンテンちゃんも、相手が悪かった。砂隠れは近年、大名の意向で軍縮を進めてきたという情報がある。故に少数精鋭として、若い忍びには過酷な教育を施しているそうだ。
気がかりなのは、砂隠れの瓢箪使い。ガイの秘蔵っ子ともいえるリーくんを、再起不能になるまで叩き潰した。
レイの言葉が、私の脳裏に響いていた。
『九尾みたいな臭いがするにゃ』
狂気に満ちた忍びなんて、戦争でも任務でもいくらでも見ている。
それでも、砂の瓢箪使いはそのどんな人物とも違う異質な冷酷さを放っている気がした。
大蛇丸のことも自来也さんのことも、考えただけで胃が重くなる。本選で、何かが起きる。ヒルゼン様だってきっと覚悟を決めている。あのハヤテでさえ、里の中で殺されるような異常事態だ。
もしものとき、非戦闘員が巻き込まれるようなことがあってはならない。
「もし、最悪の事態となった場合……大名など要人はもちろん、非戦闘員の避難経路の確保も重要になります。私が誘導の調整役になります」
大蛇丸の件は、上忍と第二試験に関わった中忍のみの極秘事項。シカクさんといのいちさんにそう申し出た私に、二人は神妙な面持ちで頷いた。
「ちょうどお前に任せようと思っていたところだ。頼んだぞ、」
「はい。お任せください」
九尾襲来の夜と同じだ。あのときと同じことを、あのときよりも完璧にこなしてみせる。事前に予測可能な分、あのときよりも周到に準備ができる。
本当にこれでいいんだろうか。
事が起きる前に止める方法はないんだろうか。
もう、遅すぎるんだろうか。
自来也さんは本当に、何もしないつもりなんだろうか。
アオバは、有事の際は烏を飛ばして里全体の状況把握。適宜、部隊長クラスに伝達。もしもなんて起こらないほうがいい。でも、起こらないことを前提にはできない。
第二試験のあのとき、奴を止められていたならば。
思い出すだけで、喉の奥に何か詰まったように息苦しくなる。記憶を覗かれた感覚が、蛇の表皮のように熱く鳩尾を締め上げるように感じた。
ゲンマとの生々しい記憶。絶対に誰にも触れさせたくなかった記憶。
大蛇丸の冷たい笑い声が、頭の奥で響いた。
もっと時間をかけていたら、きっと家族のことだって覗かれていた。母も、祖母も、サクモおじさんも、あの夜のカカシのことだって。
私という人間を作り上げてきた記憶。傷も、鎧も、脆さも、全て。
絶対に、誰にも知られたくないもの。
久しぶりに、薬を飲んでから寝た。過呼吸の症状がはっきりと出たのは、母を失ったあのときだけだ。あれから、怪しいと感じたら薬で抑え込むようにしている。大蛇丸と対峙した夜、私は数年ぶりに薬を飲んだ。
丸裸にされて、人混みにでも放り出されたみたいだった。いや、実際はそのほうが何倍もマシだ。心の傷を晒される――それが私には、何よりの拷問に思えた。
ある日、火影室から情報部に戻る途中、ゲンマとイクチが立ち話をしている現場に遭遇してしまった。ゲンマとはこの五年、仕事以外で話なんてしてないけど、イクチやコトネさんはネネコちゃんのこともあって時々話をしたり、家を覗いたりする。もちろん、ゲンマと鉢合わせしないように、ゲンマのスケジュールを確認してからだ。オキナくんは三歳になり、ちょっと話もできるようになってきたけど、ネネコちゃんより恥ずかしがり屋で、すぐにコトネさんの陰に隠れるようなタイプだった。
「あ、ちゃん。お疲れー」
イクチもコトネさんも、私とゲンマが疎遠になったことは当然知っている。でも気を遣いすぎることもないし、無理に引き合わせようということもない。イクチはただいつものように私に軽く声をかけた。
普通に挨拶だけしようと思ったのに、ゲンマの顔がこちらを向いたら、私は喉の奥がつっかえるような気がして思わず息を呑んだ。
ただの同僚みたいに、できているつもりだった。
でも、大蛇丸に記憶を覗かれてからは、顔を見るだけでも息が苦しくなる。
「急いでるから……じゃあ」
それだけを呟いて、私は足早にイクチの横を通り抜けた。二人の気配が完全に遠ざかってから、やっとのことで息をつく。
もう、大丈夫だって思っていた。私はやれる。諜報のプロとして、里の平穏、国家間のバランス、いつかは平和な世界を成すための礎を築くことはできると。
とんでもない。実際は抜け忍一人に竦み上がって何もできず、里に攻め込まれる可能性があるのに事前に阻止することもできない。六年前に中忍試験の調整役となった砂隠れの上忍は、あの試験のあと病死したそうだ。
戦争が駄目だなんて、誰だって分かっている。それでも戦争は繰り返される。戦いの構造、歴史的背景、地理学。どれだけ学んだとしても、今日もまた争いの火種がどこかで生まれている。自分の無力さに、いつも打ちのめされる。
ましてや私は、あんな精神攻撃ひとつでまたゲンマのことを忘れられなくなっている。
もう、終わったんだ。私たちは、ただの同僚。
それなのに、ゲンマの息遣いも、大蛇丸の嘲笑も、頭にこびりついて離れない。
第二試験のあのとき、アンコは一体、何をされたんだろう。