250.失望


 ハヤテが、死んだ。

 桔梗城のそばで、鋭利な刃物による切創と思われる傷を複数負って亡くなっていたらしい。

 ハヤテは木の葉創設時より伝わる剣技の使い手だった。もし剣術使いと戦闘になったのなら、まず負けるはずがないと誰もが思い込んでいた。

 大蛇丸か。もしくは音隠れのスパイであった、薬師カブトか。それ以外か。

 こんな異常事態が続く中、通常であれば中忍試験などやっている場合ではない。大蛇丸は確実にうちはサスケを狙っている。そしてわざわざアンコや私に姿を見せて中忍試験の続行を指示してきたことを鑑みても、第三試験本選の場で何かを目論んでいることは明らか。

 木の葉隠れほどの強力な隠れ里を落としたい国は、一つや二つではないだろう。これを機に、里抜けから数々の禁術によりさらに力をつけたと思われる大蛇丸と手を組み、木の葉に攻め込もうという勢力があっても不思議じゃない。

 それを分かっていてもなお、ヒルゼン様は本選の開催を中止しなかった。どのみち、いつかはこんな日が来ると思っていたと。中止を進言する私に、ここでけじめをつけなければならないのだと。

 十年前のあの日、奴を止めることができていたら。

 これまでの十年、もっと奴の情報を集められていたら。

 自来也さんの行方も、いつしか分からなくなってしまったという。ヒルゼン様が暗部を走らせて探しても、消息がつかめなかったと。手がかりといえば、自来也さんが『ド根性忍伝』の次に出した本の出版社くらいだった。私が訪ねても、次回作のネタはあるらしいけど時々向こうから連絡が入るくらいで、所在は知らないと言われた。
 二作目は成人男性向けの小説だったので、私は読んだことはない。楽しみにしていた分がっかりしたけど自来也さんらしいといえば、らしい。

 カカシが路肩で表紙を隠しもせずに堂々と読んでいるのを見たときには、思わず張り倒してしまった。

「バッカ!! 白昼堂々となんてもん読んでるのよ!! セクハラ、変態!!」

 でもカカシは、平然と私を見返して聞いてきた。

「お前、読んだことあるの?」
「なっ! ないわよっ!! でもそんなの、見れば分かるじゃん!!」

 声を潜めて責め立てる私に、カカシがやれやれと肩を竦める。

「成人向けだからって勝手に決めつけるなよ。この小説には忍びにとって本当に大切なことが書いてある」

 真顔でもっともらしいこと言ってるけど、表紙を見る限り、とてもそんな風には思えない。仮に百歩譲ってそうだったとしても、読めるか、そんなもの。
 ジト目で睨む私に、カカシはしれっとこんな提案までしてくる始末。

「貸してやろうか?」
「バッッッカ!! 要らない!!!」

 最低。最悪。カカシっていつの間にあんな本読むようになったわけ? いや、読むだけならともかく、こんなに、堂々と! 読むなら隠れて読めっての!

 自来也さんが最後に出版社に連絡を入れたのが五年前。それから誰も、彼の消息を知らない。

 第三試験本選を翌月に迎えたある日、本部に詰める私の肩にサクが現れて耳打ちした。

、自来也が戻ってきてるにゃ」


***


 灯台下暗しとは、まさにこのこと。

 サクに導かれて私が訪れたのは、里外れの森の中。川辺に横たわって力尽きるナルトくんの傍らに、懐かしい顔が見えた。

 大蛇丸が里抜けしてからすぐ、自来也さんも里を出ていった。昏睡状態の私が目覚めるのを待ってくれていた。あの日から、およそ十年。それなりに歳を重ねたといえど、その大らかなな佇まいはあの頃のままだった。

 懐かしさで、思わず息が詰まった。

 この十年、色々なことがありすぎた。自来也さんがいてくれたらと、何度願ったか分からない。どうして、ナルトくんと一緒にいるの? ナルトくんは自来也さんのことを、知っていたの?

「もう見つかったか」

 音もなく歩み寄る私に、自来也さんは不敵に微笑んでみせた。

「いい女になったのう、

 その一言で、胸の奥につっかえていた何かが崩れ落ちる。ずっと張りつめていた糸が解けて、次の瞬間には堪えらきれずに溢れ出していた。
 頬を伝う涙が止めどなく流れて、首元のインナーを濡らしていく。喉の奥が絞られるようで、声にもならない声が漏れた。

「……いい女なんかじゃ、ない……」

 否定したいのに、きっと涙声で届かない。そう思ったのに、静かに近づいてきた自来也さんの大きな手が、俯く私の頭をゆっくりと撫でた。

「せっかく綺麗になったというのに、相変わらず子どものようだのう」
「……何で、何でもっと早く、帰ってきてくれなかったんですか? あのあとシスイが死んで、イタチがおかしくなって、うちはがあんなことになって、この間は大蛇丸が……」

 その名を口にした途端、自来也さんの人差し指が諌めるように私の唇に触れた。突然のことに驚いて目を見開く私に、声を落として囁く。

「その名は口にするな。わしにはもう、関係のないことだ」

 聞き違いかと思った。自来也さんは大蛇丸のことで思い詰めて、自分がかつての仲間として奴を止めなければならないと里を出ていった。あれから十年経つといっても、大蛇丸が姿を見せたあと、こうして今、里に戻ってきているのに。

「何、言ってるんですか? 大蛇丸のことを知って帰ってきたんでしょう? だからこんなところでナルトくんに修行つけてるんでしょう? 何で、そんなこと言うんですか!」
「ただの暇潰しだ」

 自来也さんはあっさりとそう言って、私の頭から手を離した。そんなはずがない。そんなはずがないのに、どうして、そんなことを言うの?

「ただの暇潰しに、このタイミングで十年ぶりに里に帰ってきて、偶然ナルトくんに会って、ただの暇潰しに修行に付き合ってるっていうんですか? 何でそんな分かりやすい嘘つくんですか! 舐めないでください!」

 やっと、やっと帰ってきてくれたと思ったのに。ヒルゼン様は強い。歴代最強の火影と言われている。それでも時の流れに逆らえるわけじゃない。
 一方、大蛇丸は禁術に手を染め、年々その力を高めているとさえ噂される。二人がまともに戦えばどうなるかなんて、分からないのが本当のところだ。

 自来也さんの力が、絶対に必要なのに。

 子どものように責め立てる私を見下ろして、自来也さんは少し困ったように笑った。

「お前はわしを買いかぶっておる。今のわしは何の力もない、ただの物書きだ」