246.視線


 ネネコがついにアカデミーを卒業した。

 卒業生がもう少し多ければ、危うく俺も指導教官に指名されるところだった。ただでさえ仕事が立て込んでいるのに、下忍の指導なんてできることなら遠慮したい。そのとき不意に、幼い頃のの声が聞こえた気がした。

『ゲンマ、教えるの上手なんだから大人になったら先生になりなよ』

 喉の奥に何か詰まったように、息が苦しくなる。

 ガキの頃から、ずっと一緒だった。ずっと。

 何をしても、何を見ても、どこに行っても彼女のことを思い出す。全ての記憶が彼女に結びついてしまう。それなのに、目の前にはいない。

 あれから四年。は努めて、ただの同僚のように振る舞おうとしていた。だが時々、きっと無意識に俺を避けることがある。俺の顔なんて本当は、もう見たくもないんだろうな。

 ガキの頃から孤独を抱えるに、何かしてやりたい、そばにいたいと願ってきたのに。

 今の俺にできることなんて、あいつの前から消えることくらいだ。

 だから、に他に男ができたとしたら――それは、喜ぶべきことなんだ。

 正規部隊に異動になってから、カカシは時々と過ごしているようだった。はガキの頃から、カカシをずっと気にかけていた。それを、カカシが撥ねつけていただけだ。カカシがの心配を受け止めるようになったのなら、二人の距離が近づくのは当たり前だ。

 ただの同期、というだけかもしれない。ガイやアスマと同じような。そう期待を抱いたところで、俺には関係のない話だ。俺はを傷つけた。あんな最低の形で、彼女の信頼を裏切った。
 謝ればいい? ネネコに分かるはずがないし、一生分からなくていい。知られれば絶対に軽蔑される。今はまだ「困ったおじちゃん」くらいのノリで接してくれているが、こんなことを知られたら二度と口を利いてくれない気がした。

 ガキの頃から、にとってカカシは特別だった。カカシの父親の白い牙も、にとっては他人ではなかった。家族を信じられなかったにとって、数少ない信頼できる大人の一人。
 ははたけサクモのことも、カカシのことも、ずっとその胸に仕舞い続けてきた。

 がアカデミーの頃あんなに修行に励んだのも、親友のオビトやリンを亡くして苦しんでいたときでさえ気にかけていたのも、情報部でのキャリアを捨てて暗部に行こうとしたのも、全部、カカシのため。

 分かっている。にとってカカシは、ただの同期じゃない。俺を遠ざけるために、が好きな人ができたと咄嗟にカカシの名前を口にするほどだ。

 あの二人の間に、何があったって不思議ではない。

 居酒屋でたまたま二人が一緒に飲んでいるところを見かけて、居たたまれなくなった俺は即座に立ち去ろうとした。だがライドウは初めカカシに気づかなかったらしく、能天気にに話しかけた。
 は俺と目が合うより先に顔を背けていたし、ライドウにだけ声をかけていた。

 ただの同僚のように話しかけられるのも嫌だし、こうして露骨に避けられるのも堪える。

 目が合ったのは、むしろカカシのほうだった。

 顔は全くこちらを向いていないのに、その鋭い視線だけがまっすぐに俺を射抜いた。

 何を言われたわけでもない。それなのに。

 胸が痛くてたまらなくなった。


***


 下忍の指導は基本的に上忍が行う。特別上忍は特定分野のスペシャリストという特性上、よほど人手不足でない限りは下忍の担当になることはない。私も例に漏れず、臨時の隊長を務めることはあっても、ガイやツイさんのように下忍指導を担当することはなかった。

ちゃん! 嬉しいっ!!」

 ツイさんが特別任務でしばらく里を離れるため、私は臨時でネネコちゃんのチームを任されることになった。満面の笑みで私に飛びついてきたネネコちゃんを見て、ツイさんが腕組みしながら渋い顔をする。

「ネネコ。ここはもうアカデミーじゃない。いくらお前たちに親戚付き合いがあろうが、立場を弁えろ。お前は下忍、は特別上忍だ」
「えー、だってうちの両親も中忍だけどちゃんのことちゃんって呼んでます」
「イクチさんか……ネネコ、お前はまだ半人前の下忍だ。上官には相応の敬意を払え。さん、だ」
「……はーい」

 めちゃくちゃ不服そうに唇を尖らせて、ネネコちゃんが返事した。私は正直、そんなに畏まった態度は取ってほしくないんだけど、確かに示しがつかないというのはその通りかもしれない。そもそも私は、ネネコちゃんの親戚じゃない。曖昧に笑いながら、私はネネコちゃんとそのチームメイトを見渡した。

「情報部のです。ツイ先生とは偵察任務でよく一緒に仕事をしてました。臨時とはいえ、ツイ先生が戻るまでは私が隊長です。私の指示には従ってください。何か質問は?」
「はい!」

 ネネコちゃんのチームメイトのミカゲが、ハツラツと手を挙げた。彼女は小柄ながらも俊敏な動きで敵を翻弄する近距離タイプ。私が指名すると、ミカゲは意気揚々と口を開いた。

さんは忍猫使いだって聞きました。今日は忍猫はいないんですか?」
「言ったじゃん、ミカゲ。猫ちゃんは気まぐれなんだって」
「ネネコに聞いてない! 私はさんに聞いてるの!」

 横から口を挟んだネネコちゃんに、ミカゲが歯を剥いて唸る。もう一人のチームメイト、ナオは三人の中で一番長身の男の子なのに、二人の後ろでオロオロと挙動不審になっていた。

 呆れた様子のツイさんの隣で、私は小さく微笑んだ。

「私は猫使いなんて言われてるけど、実際は困ったときに力を貸してもらってるだけだから。普段はみんな好きに過ごしてるわ。大事なのは信頼関係よ」
「よく言うにゃ、青二才」

 話している途中、突然頭の上に載ってきたサクがのんびりと口を挟んだ。ミカゲやナオが息を呑む中、ネネコちゃんは目をきらきらさせて飛び上がった。

「サクちゃん!」
「ガキンチョが三匹にゃ。おもちゃにゃ」
「おもちゃじゃない。ツイさんの生徒」

 サクの身体を両手で撫でながら、私は笑って声をかける。

「さ。サク、仕事だよ。ツイさんの代理でDランク任務」
「半人前のお守りなんかゴメンにゃ。ボクには関係ないにゃ」
「頼りにしてるよ、サク」
「当然にゃ」

 得意げに切り返すサクと一緒に、私はもう一度ネネコちゃんたちを見渡した。

「任務達成のために何が大切か。みんな、考えながら協力してください。じゃあ、行きましょう」