241.「大好き」
仲間の誕生日に、わざわざ集まって何かするという習慣は私たち忍びにはない。大戦が終結したとされてから五年以上が過ぎたが、各国はいわば休戦状態で、良好な関係からは程遠い。平和条約という紙切れ一枚の危うい約束の上に、緊張状態を保っている。
私たち情報部や暗部は、常に各国の動向に注視し、火種となりうるものにはいち早く対応してきた。私たちだけでなく、正規部隊は里を離れて任務に就くことも多い。たとえ仲間の誕生日を覚えていたとしても、その日を里で過ごせないことなんて茶飯事だ。
二十三歳の誕生日も、私は相方のアオバと水の国付近にいた。水の国は相変わらず鎖国状態で、アオバの烏や忍猫の時空間忍術で国内に入ることはできても、霧隠れの里は結界だらけの深い霧に覆われていて、潜入は難しい。今回の任務に必要な最低限の情報だけを集めて、私たちは二月の暮れには木の葉隠れの里に戻った。
明け方に帰還して報告を終えてから、帰宅して泥のように眠る私の耳に、ふと呼び鈴が聞こえてきた。
今はひどく疲れている。本当に必要な情報ならサクたちが伝えてくれるはずだし、無視しようかとぼんやり考えたところで、庭の方から声がした。
「ちゃーんっ!!」
びっくりして心臓が跳ねた。ネネコちゃんだ。ここしばらく、顔も見ていない。シスイが死んでからゲンマを避けるようになって、私はイクチの家にも一度も行っていなかった。
最後に会ったのは、ゲンマと一緒にネネコちゃんの修行に付き合ったときだ。
化粧も落とさず、着替えもシャワーもしないで、眠っていた。紅にバレたら怒られるやつだ。顔だけでも洗おうかと一瞬悩んだけど、私はそのままよろよろと縁側に出た。
冬空の下、暖かそうなベージュのコートを着たネネコちゃんは、一年前よりも明らかに背が伸びていた。
会うたびに、大きくなるな。
「やっぱりいた! ちゃんだ!」
「ネネコちゃん……ごめんね、任務明けでこんな格好で。どうしたの?」
ベストを引っ掛けて出てきた私に、ネネコちゃんはイクチそっくりの明るい顔で笑った。
「ずっと会いたかったんだ! あ、ちゃん、お誕生日おめでとー!」
ネネコちゃんの無邪気な笑顔に、胸が痛くなった。誕生日付近に顔を合わせれば、情報部の同期のナギサやリク、それに紅やガイなんかはおめでとうと声をかけてくれるけど、今年はまだ会っていない。ゲンマの顔も見ていない。サクたちは、当然のこと誕生日なんて気にしない。
ゲンマの親戚のネネコちゃんが、変わらぬ明るい笑顔で私を慕ってくれる。
私がゲンマにどんなひどいことをしてきたかなんて、知らないで。
「……ありがと、ネネコちゃん」
「えへへー、どういたしまして! ケーキも買ってきたよ。ちゃんチーズケーキ好きだよね?」
「うん……ありがとね。何か……お礼しなきゃ」
「えー、いいよそんなの! あ、ちょっと待って!」
ネネコちゃんはちょっと考えてから、パッと顔を上げて無邪気にこう言った。
「ねー! また今度、時間あるときに修行付き合ってほしいな!」
そのお願いに、思わず顔が強張るのが分かった。ネネコちゃんの修行は、ゲンマと一緒のときにしか見たことがない。不知火の訓練場で、三人で笑いながら同じ時間を過ごした。
もう、あんな風に、一緒にはいられない。
黙り込む私の顔を覗き込んで、ネネコちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「ねー、ちゃん。ゲンマおじちゃんのこと、ほんとに嫌いになっちゃった?」
いきなりゲンマの名前が出てきて、心臓が止まるかと思った。私、そんなに分かりやすいんだろうか。化粧をしていくら心を隠そうとしたって、ネネコちゃんにはお見通しなんだろうか。
ゲンマがいつも、そうだったみたいに。
絞り出した声は、少し震えてしまった。
「……何で?」
「あのね、おじちゃん言ってたよ。にひどいことしたって。に嫌われたって。おじちゃんあんなだけどさ、ちゃんのこと大好きなんだよ。だからお願い、許してあげてよ。二度とちゃん泣かせないように、私もママもおばあちゃんもみーんな見張っとくから。ちゃんがいないと、私、つまんないよ」
ネネコちゃんの一生懸命な言葉に、涙が止まらなくなった。子どもの純粋さも、不知火家の温かさも、ゲンマの愛情も。
私がゲンマを、ずっと苦しめていることも。
「ちゃん、どうしたの?」
「ごめん……ごめんね、ネネコちゃん。ゲンマおじちゃんが悪いんじゃないよ……私がおじちゃんに迷惑かけたの。おじちゃんは、私なんかといないほうがいいんだよ……」
「え、何で? おじちゃんは、自分がひどいことしたって」
「違うよ……私が悪いんだよ……」
ネネコちゃんにこんなことを言っても仕方ないし、子どもを困らせるだけだ。でもどうしても、ゲンマの責任にしたくなかった。ゲンマがあんな風になったのは、私が追い詰めたからだ。ゲンマが悪いんじゃない。
泣きじゃくる私の手を、空いた左手で握りながら、ネネコちゃんは訝しげに首を捻った。
「分かんない。おじちゃんのこと、嫌いになったわけじゃないの? 悪いことしたんだったら、謝ったらいいのに。ちゃんもおじちゃんも、何でごめんしないの? 謝って、仲直りして、また仲良しすればいいじゃない。おじちゃんはちゃんのこと、大好きだよ?」
何も言えない。言えるはずがない。ゲンマにも似た眼差しでまっすぐ見上げてくるネネコちゃんに、私は何ひとつ言い返せない。ネネコちゃんは、当たり前のことを言っている。悪いことをしたら、謝って仲直りする。それが普通だ。でも、私たちは普通じゃない。
仲直りしたところで、そのあとは? 私はゲンマの気持ちを、受け入れられないのに?
「もっと言ってやるにゃ、ガキンチョ。こいつらは筋金入りのアホなのにゃ」
突然頭の上に載ってきたサクが軽い調子で口を挟んだ。ネネコちゃんはパッと顔を明るくしてサクのほうに腕を伸ばしたけど、縁側の段差がある上、立っている私の頭上にいるサクに、ジャンプしたって手が届くはずがない。サクが悠々と振る尻尾が私の頬をはたいた。
「ちゃん。じゃあおじちゃんはいいから、また私の修行見てよ。ね? それならいいでしょ? 私、ちゃんのこと大好きだよ!」
サクにしばらく遊ばれて不貞腐れた様子のネネコちゃんだったけど、すぐに気持ちを切り替えたらしく、また私の手を握って微笑んだ。小さくて温かくて、柔らかい手だった。
「平和のために忍猫たちと機密情報を集める諜報のプロ……すっごく、カッコいい! ちゃん見てると私も頑張ろうって思えるんだ。だからお願い! たまにでいいから!」
ゲンマの親戚に、そんな風に思ってもらう資格なんてない。そう思ったけど、私が諜報のスペシャリストを名乗っているのは事実だ。それを謙遜するくらいなら、特別上忍なんて降りたほうがいい。
今の仕事に、私は誇りを持っている。
平和を築くために、情報は不可欠だから。
「うん……分かった。あんまり時間は取れないかもしれないけど……いいよ」
「やったー! 嬉しい! ちゃん大好き!」
勢いよく飛びつかれて、少しよろめきそうになる。任務の疲れだけじゃない。少し、ホッとしたからかな。
ネネコちゃんが買ってきてくれたケーキを、私たちは客間に並んで一緒につついた。ネネコちゃんはもう、ゲンマの話はしなかった。こんな小さな子に気を遣わせていると思ったら、情けなくて胃が痛んだけど、それでもネネコちゃんの笑顔は私の心に小さな明かりを灯してくれた。
今のネネコちゃんと同じ年に、私とガイはアカデミーを卒業した。