232.追憶


 イタチがなぜあんなことをしたのか、分からない。

 本当に、分からないんだろうか。あんなに平和を望み、愛したイタチが一族虐殺に至るまで、並大抵のことがあったとは思えない。

 でも、分からないものなんだろうか。大蛇丸のように、事が起こるまで隠し通せるものなのだろうか。

 分からない。何を信じていいのか、もう分からない。忍猫たちも、どこまで信用していいか分からない。
 きっとサクたちは、そんなことは何も気にしていない。話したいことは話す。話す気のないことは話さない。ただ、それだけだ。

 私が未熟だから、話さないだけだ。

 もしサクたちから何か聞けていたら、変えられたこともあるかもしれないのに。

 このままじゃ、ダメなんだ。

「私……カカシみたいに強くなりたい」

 うちはの居住区をよろよろと出たあと、近くの川原で何度か吐いた。膝を抱えて蹲る私に、カカシは何をするでもない。ただ少し離れたところに、佇むだけ。
 いつの間にか、面は外していた。

 カカシの横顔は疲れていたものの、それでも真っ直ぐ、前を見据えていた。

「最低限のコミュニケーションも取れない俺みたいな嫌われ者になりたいのか」
「……根に持つね」

 カカシはきっと、ツイさんに指摘されたことを気にしている。思わず笑いがこぼれてしまって、私は自分自身に驚いた。

「別に嫌われてないでしょ。ちょっと扱いにくいだけだよ」
「お前、少しはオブラートに包め」
「包んだでしょ、『ちょっと』って。そもそもあんたにそんなこと言われたくない」

 横目でチラリと見やると、カカシは子どもの頃のように不貞腐れた様子で眉をひそめていた。何だかひどく懐かしく感じて、胸がぎゅっと痛んだ。

 もうあの頃には、戻れない。絶対に。
 互いに、失ったものが多すぎる。

「カカシは……大丈夫だよ。一人で立っていられるくらい、強いもん。私は、全然ダメ……サクたちにも信用してもらえない。私なんかじゃ、何もできない」

 思わず吐き出した弱音に、カカシの反応は素っ気なかった。淡々とした声が、胸に刺さった。

「一人でできることなんて、たかが知れてるんじゃなかったのか?」

 でもその言葉は、遠い昔に私がカカシに向けたものだ。
 覚えていて、くれたんだ。

「今のお前を見たら、オビトはなんて言うだろうな」
「………」

 膝を抱えたまま、目の前の川面を見つめる。上流から下流へ、静かに流れていく。ゲンマと過ごした川原も、シスイと過ごした川辺も、もっと傾斜は緩やかだった。
 それでも、水の流れは心が落ち着く。

 また、笑みがこぼれた。

「あんたに……そんなこと言われる日が来るなんてね」

 顔を上げて、真っ直ぐに前を見る。喉に引っかかっていた痛みはいつしか消えていて、通り抜ける風が髪と一緒に頬を撫でる。もうすぐ、夏だ。

「あんたは? オビトから怒られない?」
「俺は……とっくにあいつとの約束を破ってる。もう、愛想尽かされてるさ」

 俯き、静かにそう漏らすカカシに、思わず口を開きかけて、諦める。きっと、私が何を言ったところでカカシの後悔は癒えない。リンを守るどころか自分の手で死なせたという罪を、カカシはこの先も抱えて生きる。
 それでも。

「カカシ……大丈夫だから。あなたが、そうするしかなかったこと……分かってるから」

 立ち上がり、歩み寄って、そっとカカシの手を握る。手甲に包まれた、冷たい指先。私よりも、大きな手のひら。項垂れた両手を包み込んで、私は目を閉じた。

「私は、あなたがオビトやリンのチームメイトで良かったって、今も思ってるよ」

 カカシが口布の奥で息を呑んだのが分かった。視線を上げると、片方だけ覗く黒い瞳が涙に揺れて閉ざされるところだった。
 カカシの心は、今も閉じていない。十年前の、あの頃のまま。

「……馬鹿が」
「うん……いいよ、バカで」

 良かった。カカシはやっぱり、大丈夫だ。
 オビトを失ったとき、大切なものは何か、分かったはずだから。

 大丈夫じゃないのは、私のほうだった。

「カカシ……額当て、外していい?」
「はっ? いいわけないだろ、やめろ」
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから」
「馬鹿、おい、やめ――」

 慌てて身を退こうとしたカカシの顔に手を伸ばして、私は素早く額当てをずらした。

 閉じることのない写輪眼。瞼をはっきりと縦断する傷痕。

 共に任務に出ても、カカシが写輪眼を使う姿を正面から見たことはない。ましてや暗部に入ってからというもの、面を通して接することしかなくなっていた。

 ほとんど十年ぶりに目の当たりにする姿に、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。

 怒りで紅潮するカカシの顔を見ても、愛おしさしか感じない。

 オビトは死んだ。でもここにこうして、オビトの一部が生きている。

「カカシ……ありがとう。あなたの中にオビトが生きていてくれて、本当に嬉しい」

 こうしてまた、伝えられてよかった。カカシと話ができてよかった。

 乱暴に額当てを戻しながら、カカシは仏頂面で私を睨みつけた。子どもみたいで、可愛かった。やっぱり子ども時代に戻ったような――懐かしさで、胸がいっぱいになった。

「ありがと、カカシ。私……オビトにもシスイにも、顔向けできなくなるところだった」
「……俺は何もしてない」
「カカシがいてくれるだけで……私はそれだけで、いいんだよ」

 そう。私の中のオビトもシスイも、決して消えない。リンも、サクモおじさんも、ばあちゃんも母さんも、標ばあちゃんも。
 私が甘えたところでのうのうと生きてる間に、大事な人たちはいなくなった。

 カカシと違って、強くもなれないくせに。

 誰かに甘えてるような暇、私にはないんだ。

 昔と同じ。カカシの背中を追って、走る。
 彼の中に生きる、オビトの影を頼りに。

 大事な人を守れない私に、価値なんかない。
 たとえ、大事なものを捨てたとしても。

 永遠に失うくらいなら、そのほうがずっといい。

「カカシ、ありがとね」
「もういい、うるさい」

 ぞんざいに吐き捨てるカカシの頬が、心なしか染まっているように見える。照れてるのかな。可愛いところあるな。
 昔はそんな顔、見せなかったくせに。

 口布越しに触れたあの夜のことは、なかったことにはならない。それでも今目の前にいるのは、かつて私のことを振り返ってくれた、幼き日のカカシのようだった。

 もう二度と、大切な人を失くしてから、後悔したくないから。
 今できることを、全力でやり切る。

 うちは居住区の監視を任されているというカカシと別れて、私はひっそりと家に帰った。庭の隅に作ったアイのお墓に、久しぶりに干し肉を供える。翌朝には綺麗さっぱりなくなっていた。

 頭に浮かぶのは、もちろんゲンマの顔だ。好きで、好きで好きで、たまらない。

 でも、ゲンマへの気持ちに気づいてから、私は弱くなってばっかりだ。
 ゲンマのせいじゃない。私が弱いから。私が彼に縋ることしかできないから。

 どうせ応えられないのに、いつまでも一緒にいることはできない。

 自室のクローゼットの中から、私は隅にひっそりと置いておいた小振りの箱を取り出した。