231.崩壊
シスイの訃報は衝撃的だった。あいつはうちはの中でも最強クラスの瞳術を持つとされていた。もちろんうちはでもない俺には、それがどんな力なのかは分からなかったが。
あいつが下忍の頃に、何度か臨時の隊長として率いたことがある。実力は飛び抜けていたが、それが故にチームプレーというものがよく分かっていないようだった。だが、あいつはカカシと違って至極素直だ。何度か組むと、周りのことをよく考えるようになった。神童と呼ばれたうちはのエリートのくせに、ちゃらんぽらんな俺を慕ってくれるようになった。俺みたいになりたいと言われたときには呆れ果てて止めたが、もちろん本音は嬉しかった。
年の暮れ、里外れの崖の下でシスイの遺体が発見された。警務部の捜査の結果、事故死ということになったが真相は闇の中という声も根強い。警務部はうちはが取り仕切っている。一族にとって都合の悪いことは容易に揉み消せるからだ。
うちはは冠婚葬祭すべて一族のみで執り行う伝統がある。シスイの葬儀も、一族の居住地でひっそりと行なわれたそうだ。
ちゃんは塞ぎ込んでいた。シスイといつからか親しくなって、よく話をしていたらしい。ゲンマが変に勘繰って焼きもちを焼いたほどだ。
ちゃんは時間ができるとうちはの墓地に行って、ひとりでぼんやりと佇んでいたそうだ。ゲンマのことも、また避けるようになったらしい。本当に、は小難しいな。
嫌いになれないのなら、共に生きる道を見つければいいのに。
だが俺には、五百年の歴史を背負う重みも、それをたった一人で終わらせる覚悟も、到底分からない。
の痛みも、うちはの痛みも俺には分からない。
うちはの悲劇は、それだけでは終わらなかった。
ネネコがアカデミーの二年に上がった頃、木の葉の歴史を大きく揺るがす事件が起こった。
一夜にして、うちは一族は滅亡した。
***
悪い夢を見ているみたいだ。
シスイが亡くなって半月ほど経って、事故死という結論が出た。私がいくらヒルゼン様に直談判したところで、警務部の結論だと取り合ってもらえなかった。上層部も警務部も、絶対に何か隠している。サクたちだって、どこまで本当に知らないのか。私は疑心暗鬼になっていた。
ゲンマは塞ぎ込む私を気にしてよく声をかけてくれたけど、私は仕事を理由に逃げるようにして足早に立ち去った。どんな顔をして、ゲンマに甘えればいいの。私が恋愛の真似事に現を抜かしている間に、シスイは黙っていなくなったのに?
舞いなんて、いくらでも見せるから。
お願いだから、戻ってきてよ。
でも、私は踊れなかった。家でも、神社でも、あの川原でも、シスイの墓前でも。
もう、どんな気持ちで舞えばいいか分からない。どうせ私にも、私の舞いにも、何の力もないのに。
シスイの墓前で呆然と佇む私の前に、一度だけイタチが姿を見せた。暗部の装束、暗部の面で顔を隠していても、カカシと同じですぐに分かる。
「……シスイに何があったの?」
面の下、イタチは顔色一つ変えた様子はない。息遣いが少しも乱れない。ただ私の呼吸だけが荒くなる。
「あんたが知らないわけないでしょ。何で……どうして? こんなことになる前に、止められなかったの? もうイヤだ、何で……何で、こんなことばっかり……」
「さん」
イタチの声は静かだった。何の感慨もなく、ただ事実だけがそこにある。
「俺に何があったとしても、必ずこの里を守ってください」
その言葉に、引き裂かれるほどの嫌な予感が湧き上がった。第六感なんかなくたって、シスイの死も、イタチの静けさも、全て飲み込んでとんでもなく大きなうねりが起ころうとしている。
「イタチ……あんた、一体何をするつもり?」
イタチは答えなかった。ただ面の向こう側で、小さく笑ったように思えた。
***
「立ち入り禁止区域だぞ」
聞き慣れた声がしても、取り立てて感慨はなかった。もう何か月も――もしかしたら何年も、ずっと追い求めてきたはずの相手なのに。
うちはの居住区は、まだ清掃もされていない。ようやく遺体をすべて収容し、埋葬を終えたばかりだ。私が佇む小さな家も、窓から覗けば大量の血痕がそのまま残されていた。
カカシは少し離れたところで止まったようだった。そちらを振り返ることなく、私は窓ガラス越しに乾ききった血の海をぼんやり眺めた。
「ここは、オビトの家だった」
もう、二十年ほど前の記憶だ。記憶と呼ぶことさえ怪しい、ほとんど妄想の産物かもしれない。それでもここは、確かにオビトの家だった。
「子供の頃、何回も何回も遊びに来た。の私はうちはから快く思われてなかったけど、オビトのおじちゃんとおばちゃんがいた頃は、そんなこと気にしないでここに遊びに来られた。ばあちゃんの妹もここに住んでた。オビトのおばあちゃんだった。家族をみんな失くしてたった一人になっても、標ばあちゃんは最後にここで、うちはとして死んだ」
標ばあちゃんも、うちはの墓地に眠っている。オビトのおじいちゃんや、おじさんやおばさんたちと一緒に。
最後にもう一度、ちゃんと話せばよかったな。
私は本当に、後悔ばっかりで。
「は絶滅寸前って言われてたのに……まさか、うちはが先にこんなことになるなんてね」
笑おうとして、できなかった。喉の奥で何かつっかえて、咳き込むと同時に涙が溢れ出した。天を仰いで、声をあげて、私は泣き続けた。
シスイが死んでから、初めて声を出して泣いた。
「もう、やだよ……戦争がなくなっても、里の中からこんなことになる。何で、何でこんなことになるの……イタチが、どうしてこんなことを? 何で、こんなことになるの……もう、やだよ……イタチもシスイも、何で、こんなことに……」
こんなところで、泣いたって仕方ない。泣いたって意味がない。
シスイは死んだ。標ばあちゃんも死んだ。フガクさんもミコトさんも、うちは一族はみんな。
イタチが、一族を皆殺しにした。
『俺に何があったとしても、必ずこの里を守ってください』
イタチに何があったかは、分からない。何かがあったことだけは間違いない。
間違いないけど、たとえそれを考慮したとしても釈明の余地なんてないほどのことを、イタチは仕出かした。
弟一人を、残して。
こんな形でたった一人残される気持ちを、考えたのか?
考えられるような状態であれば、最初からこんなことにはなっていない。
「……とにかく、ここを出ろ。もう二度と立ち入るな」
カカシが近づいてくる気配がして、私は振り向いた。面をつけたカカシの表情は分からない。でも泣きじゃくる私の顔を見て、少し怯んだようにも見えた。
「無理だよ……行けない。行けない……もう、どこにも行けない……」
ほんの、数歩先。手を伸ばせば、触れられそうな距離。でも、きっとぎりぎり触れられない距離にいるカカシのほうへ、私は踏み出した。
知らない間に伸びた背丈、大きな身体。身長はきっとゲンマと同じくらいだけど、ゲンマよりも細身。でもやっぱり、男の人の身体だ。
あの夜、私に覆い被さるカカシから薫った乾いたにおい。
口布越しに触れた感触が、久しぶりに記憶に蘇った。
カカシの胸に飛びついて、声をあげて泣きじゃくる。
ゲンマと違い、カカシは私を抱き返すことはない。でも、撥ねつけることもしなかった。
「……馬鹿が」
それだけを吐き捨てて、カカシは黙り込んだ。
私はまるで顔岩みたいに動かないカカシの胸に縋って、声が枯れるまで泣き続けた。