230.不在


 シスイの死を知ったのは、警務部の捜査が始まったという情報をアオバから聞かされたからだ。明け方には遺体が発見されていたのに、私の耳に入ったのは正午。
 知らなかったのかとアオバに聞かれて、心臓が冷えていくのが分かった。

 シスイが、死んだ。

 うちは最強の瞳術使いと言われた、シスイが。

 そんなはずがない。あのシスイが、死ぬはずがない。

 脳裏にサクモおじさんと、ばあちゃんの姿がよぎった。警務部が捜査しているということは、事件か事故もしくは自殺のいずれかの線が濃厚ということ。

 あのシスイが、殺されるはずがない。

 だとすれば。

 アオバの制止を振り切って、私は分析班の部屋を飛び出した。警務部に向かう途中、肩に乗ってきたサクに思わず恨み言をぶつける。

「何で何も言わないのよ!!」
「聞かれなかったにゃ」
「どうでもいいことは聞かれなくても話すくせに! シスイは、私にとって……」

 私にとって、何なんだろう。言葉が続かず、私は口を噤んだ。警務部は里の外れ、うちはの居住区のそばにある。建物に入る前に、中から姿を見せたのはフガクさんだった。

「情報部が、何の用だ」

 久しぶりに顔を合わせるフガクさんは、ひどく疲れた様子だった。目元にかかる影は深く、顔色も暗い。シスイの死がうちはにとっても衝撃的であろうことは、想像に難くなかった。

「私は、情報部としてここに来たんじゃありません。シスイの友人として来ました」
「シスイの件なら捜査中だ。お前に話せることはない」
「待ってください」

 ぞんざいに言い放ってフガクさんが立ち去ろうとするのを、引き止める。フガクさんは腕組みしたまま物憂げに振り返った。

「シスイに、何があったんですか? シスイとは一年近く会っていません……でも一年前にはもう何か思い悩んでるみたいだった。もしかしたら、それが原因で――」
「情報部にあるまじき短絡的な物言いだな。お前はすでに二つの過ちを犯している。シスイの死因、シスイの抱える問題、いずれも一年に一度しかシスイに会わぬお前の思い込みしか考慮されていない。それが何の役に立つというのだ?」

 フガクさんの言っていることは正しい。情報部、しかも分析班ならば絶対に犯さない過ちを私は仕出かしている。でも。
 拳を握りしめて、震える声を絞り出す。

「……言ったはずです。私は情報部としてじゃない。シスイの友人として、ここにいます」
「ならば、なおさら聞く価値はない。個人的な感情に付き合っているほど暇ではないのでな」
「フガクさん」

 また立ち去りかけた警務部隊長の背中に、静かに呼びかける。

「私がであることは、ご存知ですよね」
「……第六感というやつか? 生憎、俺は信用していない」

 肩口のサクをチラリと一瞥して、フガクさんはあっさりと切り捨てた。当のサクは興味なさげに大アクビするだけだ。仕方がない。元々うちはとは、相容れない存在だ。
 シスイやオビトが、特別だっただけだ。

「……シスイの葬儀は、まだ先ですか」
「無論、捜査のあとだが、お前には関係のない話だ。葬儀は一族のみで執り行う。慣例通りだ」

 こちらに背を向けたまま淡々と告げるフガクさんの言葉に、喉の奥から怒りが噴き出した。うちはの慣例。知っている。オビトは遺体が戻らなかったし、戦争も末期だったから、里で合同葬が行われただけだ。オビトのおじさんとおばさんの葬儀にも、参列した記憶はない。
 だからって。

「……友人を見送ることもできないんですか?」
「墓地への出入りは禁じていない。別れならば、あとで個人的にいくらでもするがいい。未熟な忍猫使いよ」

 フガクさんはただ、事実を言っているだけだ。私が祖母と比べるまでもなく力のない忍猫使いだということは誰の目にも明らか。
 それとこれとは、関係ない。

「うちはの伝統……もちろん大切でしょう。でもシスイを慕うのは、何もうちはの人間だけじゃない。守るべきものと、そうでないものを考えるべきときが来ているんじゃありませんか。シスイはうちはを誇りに思っていたけど、一族も国も超えて手を取り合える未来を願っていた。シスイもオビトも、その先を見ていた。あなたの息子のイタチだって、本当に守るべきものは何かいつも考えている」
「お前は確かに、オビトをよく知っていたかもしれない。だが生憎、シスイにもイタチにもうちはとして守るべきものがある。お前は何も分かっていない。お前は所詮、遺されたものでしかない。生きる一族を背負う意味を知らない」
、頭でっかちのうちはに構うだけ時間の無駄にゃ。帰るにゃ」

 気楽に首を掻きながら、サクがのんびりと口を挟んだ。私は怒りとも虚しさともつかない痛みを抱えながら、小さく頭を下げて走り去る。息が喉の奥でつっかえて、途中で何度も咳き込んだ。

 シスイ。シスイ、シスイ、シスイ――。

 どうしてもっと、会いに行かなかったんだろう。もっと話したかった。もっと笑い合いたかった。同じ時を過ごしたかった。
 あの川原にいればいつかまた会えると疑わなかった。

 当たり前のようにまた会えると、どうして信じてしまったんだろう。

 そうやって何度も、大切な人を失ってきたのに。

 様子がおかしいと、あのとき気づいたはずなのに。

 あの川原に行くことは、到底できそうになかった。初めてシスイと出会ったところ。自来也さんが引き合わせてくれたところ。シスイもいない、自来也さんも戻ってこない。もしかしたら自来也さんだって、もうどこかで。
 そんなことが頭を過って、自分が嫌になった。私はこの一年、一体何をしてきたっていうの?

 もしもこのまま、会えなくなったら。カカシのことを考えて、とてつもなく怖くなった。

 私、カカシにまだ何も伝えられてない。

 少し落ち着いてから本部に戻ったけど、私の顔を見たいのいちさんから「今日は帰れ」と追い返された。確かに、今の私がいても邪魔になるだけかな。アオバに「明日は俺の分も働け」と小突かれて、少しだけ気が楽になった。

 もっとシスイに、何かできたかもしれないのに。
 私は、自分のことでふらふらしてるばかりで。
 一年前だって、またゲンマとよりを戻したという噂が出回る中、シスイに「諦めなよ」と呆れた様子で背中を押してもらっただけ。

 私、自分のことしか考えてない。

 ゲンマのそばにいたって、ゲンマも支えられないし、誰の力にだってなれない。

 私は、何のために。

、どうした」

 本部からの帰り道、後ろからゲンマに腕をつかまれた。私に何かあったなんて、すぐに分かったみたいだ。ゲンマの顔を見たらまた泣きそうになって、私は慌てて唇を噛んだ。

「何でも……ないよ」
「お前、自分がどんな顔してるか分かってんのか。俺に嘘なんかつくなって、言ったろうが」
「何でもないって……言ってるじゃん」

 これ以上一緒にいたら、ダメだ。私はただゲンマに甘えてしまうから。甘えるだけで、何もできないから。

 やっぱりこのままじゃ、ダメなんだ。

 ゲンマの手を払い除けて、息もつかずに逃げ出した。ゲンマはいつも追いかけて抱きしめてくれる。でもそれに甘えてちゃダメだ。いつまでも、未熟な忍猫使いのままじゃ何もできない。
 どうやったら、ばあちゃんみたいに強くなれるんだろう。最後は儚く、散ってしまうとしても。

 その日、ゲンマは追いかけてはこなかった。