229.影


 時々ネネコの修行に付き合ってやり、とタイミングの合うことがあれば三人で訓練場を訪れることもあった。
 子どもの吸収は早い。下手すればかつての俺やより早いかもしれない。ネネコはアカデミー一年目には手裏剣術が学年トップになったそうだ。

「えへへへ、ちゃんのおかげ!」
「俺も相当付き合ったけどな!?」
「おじちゃんよりちゃんのほうがやる気になるー」
「そうかよ。やる気削いで悪かったな」

 俺には文句ばかり。は多少厳しくしても「ちゃん大好き!」のまま。何なんだよ、この差は。ある日の帰りにぼやいたら、は「ゲンマは顔が怖いんだよ」と明るく笑った。
 そういえば、ネネコが赤ん坊の頃にもこんなことがあったな。

 あいつは赤ん坊の頃から、血の繋がった俺よりものほうに懐いていた。

 は日中に手を繋ぐのは嫌がったが、夜更けの帰り道なら拒まなかった。そんな区別をしたところで見られるときは見られるのだから、俺たちが付き合っているという噂は相変わらず健在だ。
 ネネコに至っては「え、ちゃんっておじちゃんのお嫁さんじゃなかったの?」という爆弾発言まで落としてきた。が不在のときでよかった。話題がデリケートすぎる。

「アホか、ちげーわ。絶対にの前で言うなよ」
「えー、でもおじちゃんはちゃんのこと好きだよね?」
「んんんんん、ん……」

 好きに決まってんだろうが。でもな、それだけじゃどうにもならねぇことだってあんだよ。
 声には出さずに毒づいて、俺は千本の代わりに爪楊枝を口に咥えた。十五年ぶり、か。と出会った頃はまだ爪楊枝だった。

 十二月に入り、久しぶりの非番。今日はネネコと二人で不知火の訓練場を借り切っている。ネネコは一族の中で最年少だし、本家の一人娘だ。期待はそれなりに大きい。
 お前が一番上手いだろ、とイクチに乗せられて、こうしてよく俺はネネコの修行に付き合わされている。

 を誘う口実にもなるから、悪い話じゃない。

 ネネコは手裏剣で学年トップになってから、ようやく楊枝吹に意識が向くようになった。

「ねーーーーー好きなんでしょ、ちゃんのこと!!」
「うるせぇ。さっさと爪楊枝くわえろ」
「ねーってば!! 言わないならみんなに言いふらすから!!」
「みんなって誰だよ。お前の同級生に言いふらされたところで痛くも痒くもねーんだよ」
ちゃんに言いつける!! おじちゃんがいじめるって!!」
「おま、話をすり替えんな!」

 がネネコの肩を持つ姿が容易に浮かぶ。別に困りはしないが、何だか癪だ。は俺がを好きだなんてとっくの昔に知っているし、何の脅しにもなりはしない。だが、何だか癪だ。

「じゃあ賭けだな、ネネコ。お前が一か月以内に爪楊枝があの的に刺さるようになれば教えてやるよ。俺が好きな女」
「はー? 聞かなくても分かる、ちゃんでしょ」
「言ってねぇだろ、そんなモン!!」
「だって見たら分かるもんー」

 寒空の下、ネネコが白い息を吐きながら口を尖らせる。子どもはなんて素直で、なんて残酷な生き物なんだ。俺の気持ちがバレバレだなんて、分かってる。とっくに分かっているのに、ここまで真正面から突きつけられるのは久しぶりだった。

「ネネコ……忍びなら、思い込みで突っ走ると簡単に死ぬぞ」
「ネネコ、まだ忍者じゃない」
「お前もそのうちなるだろーが。情報は、色んなところから集めたほうがいいぞ」
「パパもママも、おじちゃんはちゃんが大好きって言ってたよ」
「だから……色んなところから集めたほうがいいぞ……」

 あいつら、何吹き込んでんだ。間違ってねぇけど。絶対、面白がってるだろ。

「分かった分かった、じゃあ一か月以内に爪楊枝が的に刺さるようになったら、また修行に呼んでやるから」
「ほんとー!?」

 一転して目を輝かせるネネコに、肩の力が抜ける。まったく、俺から言質を取るよりもに会うことのほうが大事らしい。まぁ、分かるが。俺だってそうだが。

だって暇じゃねぇんだから、空いてるか分かんねぇからな? いつでも声かけられるようにお前がしっかり準備しとけよ?」
「おじちゃんと違ってちゃんは忙しいもんね」
「あのな、俺だって暇じゃねぇんだよ! 時間取ってやってんの! いつでも空いてると思うなよ」

 まったく、可愛げがない。だがを誘う口実ができて胸が沸き立つのだから、俺だって大概現金なものだ。

 だがその年の暮れ、仕事帰りに久しぶりに見かけたの背中があまりに儚げで、俺は一度声をかけるのを躊躇った。
 だが、駄目だ。こんなとき、放っておいたらはすぐにいなくなってしまう。

 すぐに、離れていってしまう。

、どうした」

 腕を掴んで引き留めれば、振り向いたの顔色はひどくくすんでいた。薄付きの化粧では隠しきれない疲れがにじみ、俺を見上げる瞳が涙に揺らぐ。リンが死んで、塞ぎ込んだとき――あの頃のことを、思い出してしまった。

 開きかけた唇を引き結んで、が弱々しく首を振る。

「何でも……ないよ」
「お前、自分がどんな顔してるか分かってんのか。俺に嘘なんかつくなって、言ったろうが」
「何でもないって……言ってるじゃん」

 は突然怒ったように顔を強張らせて俺の手を払い除けた。久々の拒絶に虚をつかれる俺を残して、はそのまま走り去っていく。
 なぜ追いかけられなかったのか、今でも分からない。

 俺がシスイの死を知ったのは、その翌日のことだった。