228.春待ち


 昔のことを、思い出した。俺たちが下忍だった頃、がしばらく俺たちのもとを離れてシカク班に合流していたときのことだ。は木の葉には珍しい風の性質で、指導できる忍びが少ないからという理由だった。
 当時、は焦っていた。チームの中でも自分だけがまだ何も強みがないと。決してそんなことはなかったのに、は自己評価が厳しい。というより、自分に自信がなさすぎる。それは大人になった今もさほど変わらない。

 はシカク班のアスマのもとで一か月ほど修行した。俺たちより一足先に下忍になったアスマは、三代目から性質変化の修行を受けていた。俺の知らない連中と親しげに過ごすの姿に、アカデミーの頃からよく知っている彼女を初めて遠くに感じたような気がする。
 思えばあの頃から、俺はのことが好きだったのかもしれないな。

 五年の時を経て里に戻ってきたアスマに、は以前と同じ――いや、もしかしたらそれ以上に親密に関わっているように見えた。アスマは変わった。とても、変わった。昔はなかった余裕ができて、そのことにが安堵しているような。そしてどこか、甘えているような。

 俺の醜い独占欲だと、分かっている。はきっと、アスマをそんな風に思ったことはないとあのびっくりした顔で首を振るだろう。は俺のことが、好きだ。
 そんなことは、分かっているのに。

「俺はいい。に嫌われたくねぇから」

 酒を飲みながら淡々と告げる俺の言葉に、はワンテンポ遅れて耳まで真っ赤になった。たったそれだけのことで、ここ最近のいじけた嫉妬心が解けていくのを感じた。
 は困り顔を怒ったように真っ赤に染めて、曖昧に茶化すアスマに噛み付いた。

「ば、バカ、やめて! そういうんじゃない!!」

 ちらりとこちらを一瞥したライドウの視線が、あんまりを困らせるなと釘を差していた。ライドウは俺の気持ちなんてとっくの昔に気づいている。アンコとのことが噂になり始めた頃には、凄まじい形相で「はどうした」と詰め寄られた。殺されるかと思った。

 居酒屋を出たあと、途中まではライドウと一緒だ。ライドウ、と三人で他愛ない話をしながら帰り、ライドウはいつもの路地で静かに離れていく。ライドウの姿が完全に見えなくなってから、は急に不貞腐れた顔になって俺を睨んだ。悪趣味だが、ぞくりとした。

「ゲンマの、バカ」
「悪かったって」

 頭を撫でようとしたら、かわされた。少し大股で距離を取るの後ろ姿に、思わず笑みがこぼれる。俺が誕生日に贈ったかんざしをつけている気配はないが、受け取ってくれただけでも俺にとっては救いになる。今、身につけなくともいつか、思い出してくれるときが来るかもしれない。あの忍具ポーチも、俺の想いも。
 焦らず、一つずつでいい。俺の気持ちはいつも、のそばにある。

 追いついてそっと手を握れば、が弾けたように振り返った。怒ったように強張っていた赤い顔が、次第に覇気を失くして緩んでいく。は月明かりの下でも分かるほど頬を染めながら、弱々しい声で恨み言を繰り返した。

「……ゲンマの、バカ」
「ん、知ってる」

 握った手を引き寄せると、が少しだけ握り返してきた。ただそれだけのことで、心臓がぎゅっと締め付けられる。二十四にもなって、惚れた女と手を繋ぐだけでこんなに胸がいっぱいになる。ハグも、キスもしてきたのに、愛しさはいくら年を重ねても募る一方だ。
 もし、いつかが俺の気持ちに応えてくれる日が来たとしたら、俺はどうにかなってしまうんじゃないだろうか。

 ほんの一瞬想像して、すぐに自分自身で打ち消した。が応えなくてもいい、そばにいられるだけでいい。そう、何度も何度も、自分に言い聞かせてきただろうが。
 これ以上を望んで、を苦しめたいわけじゃない。

 それなのにこの気持ちを、抑えられない。もう、抑えるつもりもない。
 のことが、大好きだ。

 手を繋いで、ゆっくりと家路をたどる。ふと視線をやると、目が合ってが慌てて顔を背ける。同じ気持ちでいることが分かって、たまらなく愛おしくなった。
 アスマのことでもやもやしていた自分があまりにもちっぽけで、嫌になる。アスマはあんなにも、明確に変わったというのに。

「おやすみ、
「うん……おやすみ、ゲンマ」

 本当はキスもしたいし、このまま朝まで一緒に過ごしたい。だがいい加減なことはもうしたくないと思う自分もいて、その狭間でいつも揺れている。
 カカシのことが、ちらりと脳裏を過ぎる。ここのところ、全く姿を見かけなくなった。ガイに聞いても、同じことを言っていた。

 暗部が動くときは、いつも水面下できな臭いことが起こっている。もちろん、俺たち正規部隊には預かり知らないことだ。

 結局、とカカシの間に何があったのか、俺には分からない。だがそれは、とカカシの問題だ。
 俺は俺の愛し方で、これからもを支えていくだけだ。

 名残惜しそうなの背を少しだけ抱き寄せて宥めてから、俺はの家をあとにした。この春からついにアカデミー生になったネネコから、また時間があるときに修行をつけてほしいと頼まれている。に修行を見てもらってから、ようやく俺の指導力を多少は認め始めたようだ。
 また時間が合えば、も一緒に連れて行ってやってもいい。ネネコもも喜ぶ。もちろん、俺もだ。

 のことを考えると、胸が温かくなる。狂おしさも切なさも愛しさも、全て飲み込んでも温もりで全身が満たされていく。
 同じ温もりで、の痛みも癒せたらいいのに。

 結果を変えることはできない。の傷は、にしか癒せない。そう分かっているのに、何かしてやりたくてたまらなくなる。
 それは俺の力の及ぶ範疇じゃない。分かっているのに。

 痛みも苦しみも全て背負うことになったとしても、俺はどうしてもから離れられないでいる。