227.変化


 アスマは本当に、変わった。最後に会ったとき、彼はとてもピリついていてどうせ誰も分かってくれないと意固地になっていた。恋人の紅と別れてまで、自分の力を証明するんだと言って、私は喧嘩別れみたいに暴言を吐いて屋敷を飛び出した。
 五年ぶりに再会したアスマはとても堂々としていて、気取らない風貌と相俟ってゆったりと余裕を感じさせる佇まいだった。一目見て、変わったのだと分かった。

 それに引き換え、私は。

「忍びはやめて巫女になったのかと思ったわ」
「バカ。ベスト着てんでしょうが」
「兼業か?」
「バカ、専業の忍びです」
「そうか? なかなか様になってたぞ」

 境内に並んで腰を下ろしたアスマが軽やかにそう言ったので、私は居心地が悪くなって顔を逸らした。

「自己流だし、大したことないよ……それより、誰にも言わないでよ? 私がこんなことしてるなんて、一人しか知らないんだから……」
「ゲンマか?」

 当たり前のように聞かれて、心臓が跳ねた。アスマは、この五年の私たちのことなんか知らないはずだよね?

「バカ、違うよ! ゲンマには絶対言わないでよ!?」
「何だ? ゲンマにも言えないようなことやってんのか?」

 ゲンマにも言えないようなこと。そう言われて、すごく後ろめたくなった。
 五年前に出ていったアスマでさえ、ゲンマが私にとってどれほどの存在か分かっている。

 私はゲンマの前で舞うことなんかできない。私は、誰のために舞っているわけでもない。
 誰かのために舞うなんてきっと、シスイに請われて踊ってみせた、あのときだけだ。

「こんなの、私のただの自己満足だから……誰にも見せたくない姿なんて、誰にだってあるでしょ」

 膝を抱えてぼやく私に、アスマは軽い調子で言ってきた。

「そうだな。だがそこいらの誰かが踊るのと、お前が踊るのとじゃ重みが違うだろうよ。当主になったんだろ?」

 思わず、次の言葉を飲み込む。私が家督を継いだとき、アスマは里にいなかったのに。まぁ、生き残りは私しかいないんだから、そうなるに決まってるよね。私は、三年前に家当主になった。
 舞いを捨てた一族が舞うことは、それだけの責務を負うことになる。自分のためだけに舞っているという理屈はきっと通らない。だから私は、こんなところで一人ひっそりと踊っている。

 ゲンマにも、誰にも、知られるわけにはいかない。ここへは、神社の管理という名目で外出許可を得ている。

「ま、いいさ。俺には関係ないからな」

 アスマの言葉は素っ気ないようでいて、突き放すような冷たさではなく、受け流すような軽やかさがあった。まるで初夏の風のような、優しく明るい陽射しのような。
 彼の笑顔には、シスイとはまた違うおおらかさがあった。

 この五年、アスマの身にどれほどのことが起こったのか。
 仲間を討つしかなくなった、この数か月のことも。

「俺には関係ないが、自分の気持ちだけは誤魔化すなよ」

 そう言って立ち上がるアスマに、遅れて私も腰を上げる。時間の許す限り気ままに舞って、サクたちと里に戻るのがいつもの流れだ。でも今日は、サクもレイも姿を見せなかった。きっと、アスマの気配を察知したんだろう。

 アスマは里に戻る途中、近くを通りかかってふと立ち寄ってみたらしい。廃れた神社だし、これまでは気にも留めなかったそうだ。でも今日は、風が吹いた気がしたと。

「お前の踊り、俺はけっこう好きだぞ」

 アスマはポケットから慣れた手つきで取り出した煙草を咥えながら、落ち着いた眼差しで微笑んだ。


***


 アスマを歓迎する声ばかりではなかったけど、帰郷したアスマは正規部隊に戻った。普通なら里抜けと見なされても不思議ではなかったのに、火影の息子だから見逃されたのだという声もあった。確かに、それもまったく的外れとは言い切れない。でもヒルゼン様は弁解しなかったし、アスマはアスマで気にした様子はなかった。
 アスマは本当に変わった。一皮も二皮も剥けて、とてもおおらかになった。陰口を言われても笑って流して逆に相手を食事に誘うような、そういう軽やかさがあった。

 あの日、アスマと一緒に里に戻った私は間の悪いことに紅に遭遇した。

 紅はアスマを見ても、不思議そうな顔はしなかった。
 一目見て、誰だか分かったようだった。

「……久しぶり」
「おう」

 二人は笑顔を見せたものの、どこか硬く、ぎこちなかった。五年前のことを互いに忘れてはいないのだと、そのときはっきりと分かった。

「アスマ。紅は……あんたがいなくなってからもずっと、誰とも付き合ってなかったよ。あんたは、紅のこと……」

 紅と別れたあと、一歩先を行くアスマの背中に声をかけると、振り向いたアスマは呆れたように苦笑いした。

「お前は相変わらずお節介なやつだな」
「だって……」
「ガキだった俺から一方的に別れて出て行ったのに? 今さら俺に、どんな顔してあいつのところに戻れって?」

 その言葉に、アスマの中にはまだ紅への気持ちがあるのかもしれないと思った。そりゃ、アカデミーの頃からずっと一緒だったもんね。私だってほんの数年離れたからって、ゲンマのことを忘れられるはずなんかないと思う。
 それでも、やってみなきゃ分かんないよなんて、無責任に言えそうになかった。

 紅があのとき、どれだけ傷ついたか。

 アスマは変わった。きっと今なら、あんな風に紅を傷つけることはないだろう。だからといって、かつての紅の傷がなかったことになるわけじゃない。
 紅が泣くのを見たのは、九尾襲来の夜と、あのときだけだ。

 結局、アスマと紅はただの同僚みたいに振る舞うようになった。二人がかつて恋人同士だったことを知る人もほとんどいないし、元チームメイトだとしても五年も離れていればそういうこともあるだろうと、気にかける人もいないようだった。

 アスマは変わった。風貌も、佇まいも、そして、忍びとしての強さも。
 里を離れている間に嗜むようになった、煙草の量も。

「アスマ、くっさい!!」

 再会したときから何となく漂っていたけど、アスマはかなりのヘビースモーカーだ。任務によっては一時的に禁煙するみたいだけど、基本的にはいつも煙草を咥えている。
 私がこれ見よがしに顔をしかめても、アスマはかえって面白がるように私に向かって煙を長く吐き出した。木の葉の忍びにも喫煙者は少なくないけど、こんな子どもみたいなことするのはアスマくらいだ。

「臭い!! アスマ、ほんっと、やめて!!」
「お前、ほんとに煙草ダメだな」

 本部前で一緒になったゲンマ、ライドウと、四人で居酒屋に寄ったときのことだ。
 ゲンマが斜向かいの私を呆れ顔で笑いながら見てきたので、私はちょっとムッとなった。

「だって臭いのイヤだもん」
「シカクさんが吸ってても何も言わないのにな」
「言えるわけないでしょ。でも臭いものは臭いの」

 ライドウが横から口を挟んでくるのを、すかさず切り捨てる。アスマが私の向かいからまた気楽に笑って煙を吐いた。嫌がらせでしょ、これ。

「サクたちもめちゃくちゃ嫌がってるよ。アスマがいると絶対出てこないもん」
「そりゃあいい。小言を言われずに済む。ゲンマも猫除けにどうだ?」

 アスマがポケットからケースを取り出してゲンマのほうに差し出したけど、ゲンマは咥えた千本の先を少し上げて笑った。

「俺はいい。に嫌われたくねぇから」

 息を吐くようにさらりとそう言われて、一瞬気づくのが遅れた。今、めちゃくちゃ恥ずかしいこと言われた気がする。
 あまりに当然のようにゲンマが言ったので、アスマもライドウも数呼吸遅れてから目を丸くした。当のゲンマだけが涼しい顔をしていて、私は顔から火が出そうになった。

 少し困ったように頭を掻いて、アスマ。

「あー……俺たち、邪魔だったか?」
「ば、バカ、やめて! そういうんじゃない!!」

 私は慌てて首を振ったけど、恥ずかしすぎてもう顔なんか上げられなかった。ゲンマの、バカ。何で他の人の前でそういうこと言うの。
 ゲンマはもう、私への気持ちを誰にも隠さなくなった。いつまでも迷ってフラフラしているのは、私だけ。

 そのあとライドウが他の話題を振ってくれたけど、私はろくに受け答えもできずにずっと下を向いたままだった。