223.公表
自来也さんは、このことを知っているんだろうか。どうして全然、里に帰ってこないの。本当に、世界が平和になるまで戻ってこないつもりなの? それともひょっとして、どこかで何かあった?
四代目の子どもだと知ったら、イクチやコトネさんは絶対、ナルトくんを育てたいと思うはずなのに。ネネコちゃんの弟分になるって、とても楽しみにしていたのに。
それは他力本願でしかない。人柱力であるナルトくんを何とかしたいと思うなら、自分が里親を申し出ればいい。それができないなら、綺麗事と一緒だ。サクの、言う通りだ。
あれからすぐに、里の大人たちには、忍びや一般人の区別なく、火影令によりナルトくんのことが伝えられた。公表が遅すぎるという声もあがったものの、四代目の意思を尊重すべきと擁護する声はそれ以上に大きく、三代目への反発は程なく収まっていった。
もっともこれには当然、情報部の働きも関与している。
問題は、ナルトくんだ。里の人々の、ナルトくんを見る目は冷ややかなものが多かった。里のために犠牲になったと理解する声もある。その思いと、九尾への憎悪や恐怖を思い出したときに、どちらがより勝るかという話だ。人の心は、単純だ。
ゲンマはきっと、もう四代目の気持ちもナルトくんの思いも分かっている。それでも、三代目が決めたことだから何も言わないだけだ。
あの夜、私の手を引いてゲンマはまた家まで私を送ってくれた。玄関の前で別れようとした私の背中を無言で抱きしめて、頭を何度も撫でてくれた。つらいのは、私だけじゃないのに。ゲンマだってきっともう、分かっているのに。
大好きなゲンマの匂いに包まれて、私は堰を切ったように泣きながらしゃくりあげた。
「……時々、三代目のこと嫌いになりそう」
「お前……そういうこと言うな」
ゲンマは、何も言わないと思った。なのに少し渋い声でたしなめられて、思わず口を尖らせた。
「ゲンマは私より、火影様のほうが大事なんだ」
「お前、そういうこと言うようになったのかよ」
呆れたような、可笑しそうな声で少し笑って、ゲンマがまた私の頭を撫でた。
「お前が一番大事だよ。でも、それはそれだ。三代目様もしんどいんだよ。お前だって、分かってるだろ?」
分かってる。分かってるけど、分かってるって素直に受け止めるにはあまりにつらすぎる現実だった。何かしたいのに、何もできない。やっぱり私は、大事な人たちに何もできない。
涙が止まらなくて顔も上げられない私に、ゲンマは頭の上から囁くように言った。
「一緒にいたい。中、入っていいか?」
「だ、ダメだよ! 今日はゲンマだって疲れてるし、早く帰ったほうが……」
慌てて首を振ったとき、ぐぅと場違いなくらい間の抜けた音が響いた。私のお腹からだった。
背中を抱き寄せられて身体が密着しているから、多分ゲンマには振動さえ伝わってしまったに違いない。耳まで熱くなりながら顔を上げると、私を覗き込むゲンマは目尻を緩めて笑っていた。
ヤバい、めちゃくちゃ恥ずかしい。ゲンマの腕の中にいたら、すっかり安心してしまった。何で今さらゲンマ相手に、こんなことで照れてるんだろう。本当に恥ずかしい。
「腹減った?」
「う……う、うん……」
不知火の訓練場でお昼にお弁当を食べてから、夕方にアイスをかじっただけで、もうすぐ夜更けになる。おなか、すいた。
「俺も。何か作るから、中入れて」
「い、いいよ……ゲンマも疲れてるし……」
「お前といたほうが疲れが飛ぶ」
「ば、ばか。帰って寝たほうがいいに決まってるでしょ」
「お前と食う飯のほうが美味い」
恥ずかしいことばっかり言う。思わず目を逸らしたら、頬に添えられた手が私の顔を正面に戻した。ゲンマの目は、ひどく優しかった。
ゲンマのご飯、何年ぶりかな。相変わらず美味しくて、懐かしくて、あったかくて、涙がにじんだ。
***
暗部が監視してるってことは、カカシもそのうちの一人だろうか。ミナト先生の息子を、どういう思いで見守ってるんだろうか。それともそのことは知らないんだろうか。
あの公園の近くで時々ナルトくんを見かけるけど、いつも一人だった。いつもいつも、ひとり。
ネネコちゃんもあの公園で遊ぶことがあるけど、特別近づくわけでも遠巻きにするわけでもないようだった。家政婦のサエさんは一般人だし、ネネコちゃんを心配していたけど、イクチとコトネさんは「子ども同士のことだから」と言って何か娘に働きかけるようなことはなかった。暗部が監視しているなら、事が起こる前に三代目が対応するだろうと。
不知火家の態度が理想的なんだろうけど、あんなことがなければネネコちゃんとナルトくんはもしかしたら姉弟のように育っていたのかもしれないと思ったら、やるせなくなった。
みんながみんな、イクチやコトネさんみたいだったらよかったのに。子どものことだからって、放っておいてくれたらよかったのに。
大人たちの中に蔓延る、九尾への憎しみや不信感が、口には出さずとも子どもたちの間にもじわじわと広がっていた。
日向宗家に必要な書類を届けた帰り道、いつもと違う道を通ったら、ベスト姿のゲンマがすれ違い様のナルトくんに声をかけるところだった。
「おい、チビ。落としたぞ」
数歩遅れて振り向いたナルトくんは見るからにピリピリしていた。偶然見かけるとき、ナルトくんはいつも怒っているか悲しそうかのどちらかだった。
「俺はチビじゃないってばよ」
「チビだろ、どう見ても。ほら、落としたぞ」
ゲンマは淡々とそう言って、少し屈みながら手のひらを差し出した。何が載っているかは、私の場所からは分からなかった。
「俺じゃないってばよ」
「そうか? 何でもいいから、取っとけ」
「要らねぇってばよ」
「取っとけって」
「要らねぇって! おっちゃんしつこいってばよ!」
「誰がおっちゃんだ」
そう言って凄むゲンマはネネコちゃんに向き合う態度そのものだったので、私は思わず笑ってしまった。でもナルトくんはそんなことは知らないから、いきなり目付きの悪い長身の大人ににじり寄られて、逃げるようにじりじりと後ずさる。
ゲンマは大きく嘆息してから、手のひらのそれをナルトくんのほうに大きく弾き飛ばした。
「ナイス」
慌てた様子でそれを受け止めたナルトくんに、ゲンマがニコリともせずにそう告げる。呆気に取られるナルトくんに背を向けて、ひらひらと手を振りながらゲンマはこちらに向かって歩き出した。
「じゃあな。ちゃんと飯食えよ、チビ」
「だから俺はチビじゃないってばよ!」
不貞腐れた顔でゲンマの背中に舌を出してから、ナルトくんはそのまま走り去っていった。
ゲンマが路地の隅にたたずむ私に気づいたのは、そのときだ。ばつの悪い顔で眉根を寄せている。
「……なに見てんだよ」
「だって、通りかかったんだもん」
ゲンマは帰る途中みたいだった。ゲンマのアパートなら、こっちの方角じゃない。いいもの見ちゃったな。でも追及するのはやめにして、私はゲンマの隣を並んで歩いた。
もし、ゲンマと一緒なら、私にも誰かを育てられるかもって思えたのかな。
そんなことを考えて、すぐにかぶりを振る。私にそんな資格はない。自分の心が子どものままなのに、誰かの人生に責任なんか持てない。ゲンマの人生だって背負えない。
ネジくんのことも、ナルトくんのことも、こうして遠くから、見守ることしかできない。
時々ツイさんにネジくんのことを聞いてみるけど、ネジくんは父親のことを忘れようとでもするみたいに、ひたすら修行に打ち込んでいるそうだ。確か、ネネコちゃんと同い年。片や天真爛漫で素直、片や思い詰めたように一心不乱に修行。五歳にして、もうこれほどに差が出る。
人生って、残酷だ。何が起きるか分からない。
どうにもできないことが、山ほどある。
ゲンマならきっと、できることをやるしかないって言うよね。
(それにしても……『てばよ』、か)
ナルトくんの語尾を思い出したら、笑ってしまった。お母さんには会ったこともないはずなのに、血は争えないな。
血は、受け継がれていく。
それがたとえ、望むものでなくても。
急に笑い出した私を訝しげに眺めながら、ゲンマが私の頰を指先でそっと撫でた。