222.無力
「ゲンマならいいと思ったにゃ」
「だから! そういうの、関係ないんだってば!」
「もうよい、。ゲンマは四代目の護衛であった。本来であれば、知らせるべきだったかもしれぬ。ここでサクを責めても仕方あるまい」
「そういうことにゃ」
「開き直るなっ!!」
肩口のサクの首根っこを掴もうとしたら、かえって軽く噛まれて思わず手を引っ込めた。ズルい。私だって、噛めるならサクの首でも噛んでやりたい。
夜の火影執務室で、私はヒルゼン様と向かい合って直立していた。四代目の忘れ形見である一人息子については、ヒルゼン様の保護の下、その所在は私にも知らされなかった。あのとき、思わぬ形で再会し、その正体をサクからあっさりと伝えられて私は困惑した。
もっと混乱していたのはゲンマのほうで、私は「ごめん、機密だから」と言い残して別れるのが精一杯だった。
「近々結論を出さねばと思っておったところだ。ナルトがまるで九尾の妖狐のようだという噂が広まってきている」
ヒルゼン様が言うには、こうだ。四代目の一人息子であるナルトくんは、ヒルゼン様の監視下で極秘裏に育てられた。でもいつまでも日陰に隠しておくわけにいかない。四代目火影の息子は死んだとされているし、九尾は四代目が封印したことだけが里の人々には伝えられていた。
ナルトくんは、ごく一般的な孤児として、今は里の支援を受けながら一人で生活している。これは何ら不思議なことじゃない。
問題は、ナルトくんの情緒が不安定になったとき、九尾が彼の心に影響しようとすることだ。幼い今のナルトくんを乗っ取ったところでたかが知れているので、彼がある程度成長するまでは九尾も手出しはしないだろうと思われてはいるが。
そのときの様を見て、誰かがまるで九尾の妖狐のようだと言い出したらしい。私とアオバが里にいないたった二か月の間にそれが起きた。
「それが分かっていて……ナルトくんを一人にしているんですか?」
「暗部に常時監視はさせておる。問題があれば迅速に対応する」
「そういうことを言ってるんじゃありません! 情緒が育たなければ、九尾に簡単に引っ張られるでしょう! ナルトくんを一人にすることが、里のためになるんですか?」
「噂が広まっている以上、九尾のことをこれ以上隠し立てすることでかえってナルトへの不信を煽ってしまう。ナルトが里のために九尾の器になってくれたと里の者たちには公表する。だが決して本人には知らせぬこと、子どもたちにも知らせぬことを徹底させる」
淡々と告げるヒルゼン様に、腹の底から込み上げてくる怒りを隠しきれない。唇を噛み、拳をきつく握り締めて、吐き捨てるように聞き返した。
「そんなことで? そんなことでこの事態が収拾するんですか? せめてナルトくんが四代目の子であることを公表すべきです。四代目が里を守るために、息子に九尾を封印するしかなかったことを。四代目だってクシナさんだって、好きで九尾をナルトくんに封印したかったわけじゃないはずです。せめてそのことを伝えておかないと……誰もナルトくんを、里のために犠牲になった英雄だなんて、見ようとしませんよ。九尾はそれだけ……木の葉で多くの憎しみを生んだんですから」
リンのおじさんに、紅の父親の一閃さん。他にも多くの人たちが犠牲になった。私やアオバ、情報部の働きで被害を抑えられたと褒められたところで、失われたものが戻るわけじゃない。
私だって九尾は憎い。里の半分は消し飛んだ。思い出もたくさんあるし、家を失くした人たちも大勢いる。復興に、どれだけの痛みが伴ったか。
だからこそ。
でもヒルゼン様は、厳しい面持ちを崩さなかった。
「ミナトは常々、子どもには『火影の子』ではなく、一人の人間として堂々と生きてほしいと話していた」
「それは……こんな事態にならなかった場合の話でしょう!」
私は四代目の――ミナト先生のことなんか、少ししか知らない。ヒルゼン様のほうがきっと何倍も何十倍も分かってる。だからって。
里の人たちから息子がこんな扱いを受けることを、ミナト先生が良しとするんだろうか。クシナさんはこんなこと、耐えられるんだろうか。
「じゃあ……ナルトくんは、どうやって九尾を飼い慣らしたらいいんですか? 心も育たない、周囲から化け狐と冷たい目で見られる……そんな中で、どうやって? それならせめて、誰かあと数年だけでもナルトくんをしっかり育ててあげるべきじゃないんですか? 身体だけじゃない、心を」
「九尾なんて誰も育てたくないにゃ」
そのとき、右肩のサクが悪びれもせずにそう言った。いつものように、軽い口振りで。
思わず睨みつけて、私は声を荒げた。
「ナルトくんは人柱力の前に、ミナト先生とクシナさんの子どもでしょうが!!」
「ならお前が育てればいいにゃ」
さも当然のように、あくび混じりに放つサクの言葉に、私は息を呑んだ。燃え上がっていた怒りが、急速に冷えていくのを感じる。
次に口を開いたときには、最後まで言い切るのがやっとだった。
「……私に、誰かの心なんか、育てられない……」
「ほらみろにゃ。自分ができもしないことを他人に求めるのはおかしな話にゃ」
「サク、もうよい」
ヒルゼン様は疲れたように首を振ってサクを制した。サクはまた一つ大あくびを漏らしてから静かになった。
「、お前の気持ちは充分に分かる。つらいだろうが、ここは堪えてくれ。それがミナトたちへの供養にもなる」
「……四代目を、そんな風に利用しないでください。失礼します」
素早く踵を返して、執務室をあとにする。本部は遅い時間も人の気配が絶えない。その合間を縫うように外に出ると、火影邸の前にはポケットに両手を突っ込んだゲンマが立っていた。
振り向いたゲンマのいつも通りの眼差しを見たら、それだけで涙が溢れそうになった。
「終わったか? 帰れる?」
「……帰れる」
絞り出した声は、ほとんど涙声だった。
ゲンマでよかった。ゲンマじゃなかったら、本部から出てきて泣いてるなんて、みっともなくて逃げ出すしかない。
近づいた私の手を、ゲンマが無遠慮につかんだ。びっくりして心臓が跳ねた。
「ゲンマ、誰かに見られたら……」
「俺はいい。お前は?」
真っ直ぐに見つめられて、息が詰まる。
機密って言ったから、多分ゲンマは、私に何も聞かない。
ゲンマだってすごく、気になるはずなのに。
「お前は、嫌か?」
ゆっくりと繰り返すゲンマの言葉に、何も言えなくなる。
俯き、小さく首を振る私の手を引いて、ゲンマは静かに家路を歩き始めた。