212.私情


 木の葉と砂の調査の結果、私たちを襲撃したのは砂の抜け忍であることが判明した。もし本当に砂の忍びであれば、彼らの特徴を示しすぎているとしてシカクさんは当初から疑問を持っていたらしい。木の葉と砂の同盟関係を破綻させるため、砂の仕業に見せかけて木の葉の使者である私たちを襲撃した。
 木の葉の尋問部と情報部の合同調査により、彼らの背後にとある小国の存在があるという可能性が浮上した。

 音隠れの里。ここ数年のうちに誕生した新興の隠れ里で、田の国に位置すると言われているけど、その実態は明らかじゃない。

「砂との合同試験は予定通り実施する。だがお前たちには極秘に田の国を調査してもらいたい」

 久し振りにアオバと組む仕事だ。相方とはいえ、ここのところ別任務が多かった。
 アオバと並んでヒルゼン様に一礼したところで、執務室のドアが突然開いて誰かが勢いよく飛び込んできた。

「三代目様! その任務、私に行かせてください!!」

 息を切らせながらそう叫んだのはアンコだった。普段は落ち着き払った彼女がこんなに取り乱しているのは初めて見る。面食らう私とアオバに対して、ヒルゼン様は予想さえしていたのか、全く驚く様子はなかった。

「落ち着け、アンコ。この件は国家間の機密に関わる。今回は諜報分野に優れた情報部の二人に行かせる。お前は試験の準備に回ってくれ」
「でも……!!」
「気持ちは分かる。だが、アンコ。今のお前は私情に取り憑かれておる。頭を冷やして目の前の仕事に取り組んでくれ。今回の件、お前に任せるわけにはいかぬ」

 音が聞こえそうなほど苦しげに歯噛みしながら、アンコは左肩をきつく押さえていた。ようやく深く息を吐いてから、失礼しますと吐き捨てて足早に執務室を出ていく。
 ヒルゼン様もひとつ息を漏らしてから、改まった様子で私とアオバを見た。

「今年の試験については他の者たちに任せる。お前たちは音の件に注力してくれ。頼んだぞ」


***


 あれから、四年が過ぎた。でも、私の中では何ひとつ終わっていない。

 幼い頃に戦争で両親を亡くした私にとって、大蛇丸先生は親代わりのようなものだった。先生も両親を戦争で殺されたと言った。あなたの気持ちは、私にはよく分かると。

 先生はとても研究熱心だった。私を見込んでいると、惜しみなくその成果を見せてくれた。私は先生の研究を一日も早く自分の中に落とし込もうと、夢中になって勉強した。中忍になり、先生の下を離れても、先生に認められたくて日々の修行も研究にも明け暮れた。

 先生の瞳によく似た三日月を見上げ、会えない日にも先生のことを思った。

 最後に会ったあの日、私の全てが変わってしまった。

「さよなら、アンコ」

 あの夜、純真無垢なみたらしアンコは死んだ。

 気を失った私が次に目覚めたとき、木の葉病院の一室に手足を拘束された状態で転がっていた。ベッド周りには面をつけた暗部が控えていて、わけが分からず呆然とする私に、大蛇丸はどこだと聞いた。しばらく何も思い出せなくて、私はただ首を振ることしかできなかった。

 左肩に激痛が走って悲鳴をあげたとき、ちょうど現れた三代目が私の顔を覗き込んできた。

「アンコ、大丈夫か」
「さ……三代目様、私……一体……」
「アンコ、落ち着いて聞くのだ。大蛇丸が里を抜けた。最後に会ったのは、お前である可能性が高い。何を話したか、教えてくれぬか」

 衝撃のあまり、私はしばらく口が利けなかった。大蛇丸先生が、里抜け。そんなはずない。先生は、しばらくお別れだと言った。少し遠くに行くだけだと。その前に、私に渡すものがあると。

 そのときまた、左肩に焼け付きそうなほどの激痛が走った。三代目が顔を歪めて私を見た。

「アンコ、すまぬが調べさせてもらった。お前の左肩の紋様……恐らく、大蛇丸に刻まれたものだな。あやつの力の一部がお前に取り込まれておる可能性がある。何が起こるか分からぬ故、拘束させてもらった。状況が分かればすぐに解放する。知っていることがあれば、話してくれ」

 左肩の紋様。一体、何の話? 混乱する頭の片隅で、最後に見た大蛇丸先生のあの穏やかな瞳を思い出した。
 まるで深い三日月のような、瞳孔。

 溢れ出した嗚咽はやがて、呼吸の仕方さえ忘れてしまったかのように短く、途切れ途切れに漏れ出した。胸がきつく締め付けられ、肺が空っぽにでもなったみたいに息苦しい。
 息を吸おうとするたびに、かすれた喘ぎが喉の奥からこぼれ落ちた。

 視界がにじみ、頭は真っ白になる。

 結局、拘束が解かれるまでに一か月もかかった。私はあのとき過呼吸を起こして、まともに話せるようになるまで一週間近くかかったし、それからも何度も同じことを聞かれたり、尋問部や情報部に記憶を覗かれて裏を取られるなど、精神的にかなり追い詰められた。解放されたあとも、数か月は暗部が監視につくことが決まった。

 私の心は、音を立てて崩れた。

 全てを失い、得体の知れない呪印を刻まれ、自分自身さえ自分の身体がどうなってしまうか分からない恐怖に怯えながら生きる。
 お前のせいではないと、三代目は何度も私に言った。私のせいではないとして、だからといってそれが何の慰めになるのか。大蛇丸のせいだと恨み、憎んで奴への復讐のために生きたからといって、それが私の心に平穏を取り戻すのか?

 あいつを殺せば、私の心は生き返るのか?

 信じた者に裏切られ、穢され、捨てられた私は、この先何を頼りに生きればいいのか。

 特別上忍を降ろしてほしいと三代目に懇願したが、受け入れられなかった。傷を負ったお前にこそ、できることがあるはずだと。三代目は時に、残酷だ。傷を負った者は、放っておいてほしい。わたしが特別上忍を引き受けたのは、先生に認められたかったからだ。そのことをまざまざと思い知らされて、自分の小ささにうんざりした。

 こんな私に一体、何ができるというのか。

「アンコ。良かったら、一緒に飲まない?」

 川辺にひとり立ち尽くす私の背中に声をかけてきた女は、私の最も嫌いな相手のひとりだった。