211.処置


 砂との会議そのものは、特に問題なく終了した。シカクさんの交渉術でうまく落としどころを見つけ、合同試験開催が決定。あとは担当者間のやり取りで細かい部分を詰めていく。私も会議に同行していた砂隠れの補助役と顔合わせを行い、引き続きの連携を約束して別れた。

 問題が起きたのは、会議の後だ。里への帰還中、突如現れた三人の襲撃者。
 サクたちが「嫌な予感がするにゃ」と言うので警戒していたのが功を奏した。里を出る前に練っていたフォーメーションで対応し、前衛のゲンマと中衛の私で敵を牽制して畳みかけ、後衛のシカクさんが指示を出しながら影で拘束。

 無事に全員確保できたけど、途中でゲンマが負傷してしまった。敵の術は風遁が多く、風の刃がゲンマのベストを鋭く裂いたのが分かった。
 ゲンマは平気な顔をしていたけど、裂かれた腹部のあたりから、じわりと血がにじんでいた。

「ゲンマ、その怪我……」
「ん? あぁ、まぁ……大したことない」

 ゲンマはそう言ってベストの上から傷口を押さえたけど、一瞬表情が歪んだのを見過ごすことはできなかった。シカクさんもすぐに気づいたみたいで私に軽く目配せしたので、私はゲンマの腕を引いて、すぐ近くの木陰に移動した。

「いいって言ってんのに……」
「馬鹿。しばらく里に帰れないかもしれないんだから、今処置しとかないと大変なことになったらどうすんの」

 襲撃者は風遁使いで、指の動かし方も独特だった。もしかしたらこれは、かなり面倒な事態になるかもしれない。

 深い森の中、大きな木の根元にゲンマを無理やり座らせる。シカクさんはすぐ近くにいるし、何かあればサクたちが知らせてくれるはずだ。今はゲンマの手当てに集中しないと。

 少し躊躇したけど、私は覚悟を決めてゲンマのベストに手をかけた。前を広げて、中のインナーを捲り上げる。
 ゲンマの左脇腹には、斜めに深く切り裂かれたような傷が走っていた。ぱっくり裂けた傷口からは微かに中が覗いていて、内側からは血がじわじわとあふれていた。もう少し深ければ、筋肉まで届いていたかもしれない。ゲンマの動きから察するに、多分そこまではいってないけど。

「……これで、大したことないって?」

 思わず恨みがましく呟いたら、ゲンマは困ったように曖昧に笑った。その額にはじとりと汗がにじんでいる。馬鹿。本当に馬鹿。

 アイがいた頃は、仲間が出血すればアイがよく傷口を舐めて消毒してくれていた。でも今は、サクがやってくれることが多い。サクは呼んだらすぐに来てくれたので、私が晒や包帯を準備している間に、ゲンマの傷口を甲斐甲斐しく舐めてくれた。珍しいな。いつもは嫌がるのに。

「ざっくりいったにゃ」
「悪い……いっ!」

 かなりしみるみたい。そりゃそうだよね。こんなに深い傷だったら。
 とにかく、止血しないと。応急セットの中から取り出した大判の晒を傷口に当てる。正面から押さえても、私の力じゃ限界がある。

「ゲンマ、ちょっと身体起こして。後ろから押さえるから」
「ん、あ……悪い……」
「いいから」

 仲間なんだから、これくらい当然だ。相手が誰でも同じことをする。
 それなのに、相手がゲンマだと、こんなに緊張して手が震えそうになる。身体を寄せることだって、できる限り避けたい、でもそれだと、止血にならない。これ以上の出血は避けないと。

 私は後ろからゲンマの脇腹を抱きかかえる形で、傷口に晒を押しつけた。完全に身体が密着して、ゲンマの広い背中に寄りかかる形になる。ドキドキしてるんじゃない。これは、必要な処置だ。うまくいくかどうか、不安でハラハラしているだけだ。誰にも聞かれていないのに、そんな弁解を考えてしまう。
 そのまま数分ほど、私は後ろからゲンマを抱きしめて傷口の止血を続けた。晒を時々覗いて、出血量が少しずつ減ってきたことを確認する。私たちは一言も話さなかったけど、ゲンマの浅い息遣いも徐々に落ち着いてくるのが分かった。でも多分、痛いのはあんまり変わってない。

 シカクさんが襲撃者の尋問を続けてると思うけど、そう悠長にもしていられないな。十分ほど止血して出血が収まったことを確認してから、私は大判の包帯を手に取った。

 そのとき不意に、ゲンマの傷口の近くに、肌の色合いが他とはかなり異なる場所があることに気づいた。質感も違うようで、思わず目を留めてじっと見入ってしまう。

「これ……昔教えてくれた、火遁の?」

 今では普通に火遁も使うゲンマだけど、子どもの頃は怖くて使えない時期があった。アカデミー入学前の練習でお腹に火傷を負って、それから何年も怖くてできなかったって。
 でも、私との連携技のために怖くても練習を始めてくれた。ゲンマは、自分で乗り越える力を持っている。今では千本吹と同じくらい、火遁も十八番忍術の一つになった。元々不知火一族は、火遁がお家芸の一つだ。

「あぁ、まぁ……よく気づいたな。これでもだいぶ目立たなくなったんだぞ?」
「……痛い? もう平気?」
「何ともねぇよ。ガキの頃の話だし」

 ゲンマの声がつらそうなのはきっと、この火傷痕じゃなくて、たった今負った傷が痛むからだ。でも幼い子どもだった頃に、こんなところをひどく火傷して病院に担ぎ込まれるなんて、どれだけ怖かったかなって思ったら急に涙がにじんだ。

 気づいたら、包帯を巻くより先に、指先がかつての火傷痕に触れていた。

……そろそろ戻らねぇと」

 ゲンマの少し困ったような声で、私はハッと顔を上げた。すぐ近くで私を見下ろしているゲンマの瞳が優しく細められて、頬は赤く染まっている。その顔を見たら一気に体温が上がってしまって、私は慌てて手元の包帯に視線を戻した。

 そこで初めてまともにゲンマの身体が目に入って、心臓が跳ねる。今まで処置や火傷痕のことしか考えていなかったけど、めくり上げたインナーから覗く腹部は思った以上に引き締まっていた。男の人の、身体だ。
 動揺を悟られないように手早く包帯を巻いた――つもりだけど、ちょっと手が震えてしまったことはきっと、ゲンマにはバレてる。

「……ありがとな」

 ゲンマがインナーを戻してベストのファスナーを閉め直し、徐ろに立ち上がった。でも多分、痛いのは全然収まってない。急いで痛み止めと水筒を渡しながら、このあとの流れをシュミレートする。
 襲撃者は恐らく、砂の関係者だろう。まずは木の葉に連絡して、敵を連行。単独犯ならまだいいが、もし襲撃者が砂の上層部と関わっていれば、事態は国家間の争いにも発展しかねない。

 ゲンマは恐らく無理をしてでも護衛の仕事を全うしようとするけど、いつもと同じように動けることは期待しないほうがいい。傷口が開けば、放っておけば危険な状態にもなり得る。
 リンと一緒に、少しでも医療忍術を勉強しておけばよかったな。そんな生半可な気持ちで、物にできるような技術じゃないだろうけど。

 シカクさんのところに戻ると、彼は腕組みしながら険しい顔で私たちを振り返った。

、忍猫を飛ばしてくれ。木の葉と、砂だ」