205.記憶
お酒って怖い。記憶がない。
昨日、紅に呼ばれて居酒屋に行ったらライドウもいて。お酒飲んだことないって言ったら、紅から梅酒を勧められて。美味しくてグイグイ飲んだら、頭がふわふわしてそこからの記憶がない。
起きたら、自分の家の、自分のベッドにいた。
「サク……私、昨日どうやって帰った?」
足元で丸くなるサクに尋ねても、素知らぬ顔で眠り続けている。
ライドウ、しか考えられない。どうやって家に入った? 鍵は、ポーチにある。まぁ、使ったあとに戻してくれたんだろうけど。布団までかけてくれるなんて、甲斐甲斐しい。というか、私、情けなさすぎる。
お酒、もうやめよう。それとも少しずつ飲んで、慣らしたほうがいいかな。
ひとまず水を飲んで、簡単に作った卵粥だけ食べて仕事に行った。内勤でよかった。お昼にこっそり護衛部を覗いたらちょうどライドウがひとりで出てくるところだったので、私は声を潜めて呼び止めた。
ゲンマは、見えるところにいなかった。
「お、。二日酔いは大丈夫か?」
「ウッ……ちょっと気持ち悪いけど、何とか。昨日ごめんね、送ってくれたのライドウだよね?」
するとライドウはちょっと呆れた様子で肩をすくめた。
「何も覚えてないのか?」
その反応に、思わず背筋が寒くなる。私、何か大事なことを忘れてる?
「え……ライドウ、だよね?」
「俺じゃない。途中からゲンマが来たことも覚えてないのか?」
「ゲ……」
決定的に、背筋が凍った。知らない。ゲンマが来たことなんか知らないし、この流れはもしかしなくても、私を送ってくれたのって。
その時、間の悪いことに真後ろから今一番聞きたくない声がした。
「出入り口に突っ立ってんな」
振り返らなくても分かる。この声、この気配、この影。
恐る恐る首を回した私は、通路側に少し移動して護衛部の事務室からは見えない位置にゲンマの裾を引っ張っていった。
「あ、その、ゲンマ……昨日、送ってくれた?」
目は見れない。というか、顔さえ見れない。視線を泳がせれば、すぐにゲンマの腰の忍具ポーチが目に入ってしまって居心地が悪くなる。
ゲンマの声は淡々としていた。
「お前、初めてなら加減しながら飲め。ガキみてぇにムニャムニャ寝こけやがって」
「んんんっ……ごめん、なさい。ゲンマ、その……」
「ん?」
その声が、やっぱり優しいゲンマのそれで。思わず顔を上げた私を、ゲンマは気だるそうに頭を掻きながらもまっすぐ見下ろしていた。
好きだと、思った。
「ごめんね……ありがと」
「……ん」
ゲンマは咥えた千本を少し揺らして、ただ、小さな音を出しただけ。
それなのに心臓がぎゅっとなって、私は顔を逸らして足早にその場をあとにした。
ダメだ。目を見るのも、ダメだ。
やっぱり好きって、再確認するだけだから。
嫌いになんかなれるわけない。十年以上一緒に過ごした時間が、なかったことになるわけじゃない。
私が気づいてることもきっと分かっていて、ゲンマはあのポーチを使い続けている。
それが答えのような気がして、私はゲンマのそばから逃げ出すことしかできない。
***
せめて寝言がカカシだったなら、まだ諦めもついたのに。
心の中で独りごちて、即座に否定する。諦められるはずがないし、諦めるつもりもない。それでも寝言がまだ他の誰かであれば、焦っても仕方がないと自分に言い聞かせられたのに。
分かっている。たかが寝言だ。夢に出てきた大勢の一人がたまたま俺だっただけで、別に意味なんてないのかもしれない。
それでもあの面子の前で、あのタイミングで、俺の名前なんか呼んでんじゃねぇよ。
誤解、されんだろうが。
平和に眠るに肩を貸して店を出て、しばらくそのまま歩いた。だが、如何せん相手は意識がない上に、この身長差。明日は内勤の予定とは言え、腰がやられる。
「、マジで……起きろって」
縋るように呼びかけたが、は小さく息を漏らすだけだった。酒に弱すぎる。こいつ、もし俺がいなかったら、どうするつもりだったんだ。
それなら、ライドウが連れて帰るしかなかったはずだ。飲みの誘いを断らなくて、よかった。
マジで、もう、人前で飲むなよ。
深々と嘆息し、俺はその場にしゃがみ込む。地面に膝をついたの肩を支えながら、俺はその腕をゆっくりと自分の首に回させた。
「、掴まってろよ?」
一応声をかけるが、当然、反応はない。自分の膝にしっかり重みがかかってから、俺はの脱力した身体を背中におぶった。
を背負うのは、あのとき以来だ。第三次大戦の折、忍刀七人衆と戦闘になり、ガイの父親が俺たちを守るために殉職した。だが一部の敵が俺たちに追いついて、その圧倒的な実力差を前に、俺は確かに死を覚悟した。
そのときだ。が忍猫使いになったのは。
決定打には欠けるものの、チョウザ先生たちが駆けつけるまでの時間稼ぎには充分だった。初めての口寄せでチャクラ切れを起こしたを、駆けつけたライドウの助けで俺は安全な場所まで連れて戻った。
あのときとは比べ物にならないくらい、の身体は大きく、女のものになっている。
あれから五年以上経つし、俺たちは何度も抱き合ってきた。もちろん、文字通りの意味で。
だからそんなことは、とっくの昔に知っていたはずなのに。
背中に感じる弾力に、意識が集中してしまう。身体の奥が熱く、呼吸が浅くなる。
(……アホか)
内心で自分自身に突っ込んで、俺は頭を振った。そのままの家まで、仕事で培った精神制御の術を駆使して意識を散らす。
玄関の鍵をどうしようか悩んでいると、内側からガチャリと音がした。
「世話の焼けるやつにゃ」
「ほんとにな……あぁ、俺が帰るときも鍵閉めといてくれよ?」
「誰かがやるにゃ」
サクはさらりとそう言って消えた。まったく。見ていないようで、忍猫たちはを本当によく見ている。俺なんかよりも、ずっと。
玄関も、居間も、客間も、の部屋も。何度も何度も、と過ごした場所。
ガキの頃にも一度、がこのベッドで眠るのを見たことがある。あのときは確か、眠れないというの手をずっと握ってやったんだったな。
少し酒臭い大人のを、そっと布団に横たえる。ベストは下手に触らないほうがいいだろう。あの頃と変わらず、クマのぬいぐるみがベッドの端からを見守っている。
の頬に触れかけて――思い直して、俺は手を引っ込めた。代わりに布団を肩までかけてやり、ゆっくりと立ち上がる。
俺は本来、ここに来るべきではなかった男だ。
「……一人で帰れなくなるくらいなら、もう飲むなよ」
今、言っても仕方がない。分かっているのに。
の酔いが覚めたとき、俺はきっと言わないんだろうな。