202.理想


「シスイ、分かっているだろう。上層部は九尾の一件でも我々を疑っている。一族の中には、奴らの望みどおりに事を起こしてやればいいと言う者さえ出てきているほどだ。だが、我々も無駄に争いを生みたいわけではない。三代目の信を得ているお前なら、上層部の動向を探り、我々の立場を有利に保つための情報を集められるはずだ。一族の内部分裂を防ぐためにも、お前の力を借りたい」

 警務部隊長のフガクさんは、父の友人だった人だ。第三次大戦の初期に父を亡くした俺を、フガクさんはよく気にかけてくれた。フガクさんの家に生まれたイタチと俺が親しくなるのは、当然といえば当然だ。
 そして三歳になるイタチの弟も、俺が時々顔を見せれば無邪気な笑顔で駆け寄ってきた。

 一人っ子の俺にとって、イタチとサスケは本当の弟のような存在だった。

「ですが、フガクさん。我々の立場を有利に――双方がその思惑を持てば、収まるものも収まりません。ここは今一度、腹を割って話し合いを」
「話し合いの場は設けた。だが、あれは話し合いなどではなかったな。うちはが牙を剥くという前提のもとで、落としどころを演出する芝居だった。役者は揃っていた」

 話し合いの段階は終わった。そう、言っているかのようだった。
 俺だって分かっている。九尾事件以来、うちはへの監視強化を徹底させたのはダンゾウ様だ。一方、うちはは俺がカガミの孫として三代目に目をかけられていることから、上層部の動向を探ることを期待した。

 俺が望むのは、うちはの繁栄。だがそれ以上に――この里の安寧、そしていつかは、世界の平和だ。

 脳裏に、の顔が浮かんだ。

 一族の話は、幼い頃から母に聞かされていた。父は俺が三歳のときに殉職したから、ほとんど記憶には残っていない。だが祖父の同志である澪様は、その当時も三代目の右腕として忍猫たちと共に情報戦の最前線で戦っていた。

 忍猫が、忍びと共に戦う。最初は信じられなかった。空区の忍具店はうちは御用達で、それこそ赤ん坊の頃から通っている場所だ。そこには多くの忍猫が暮らしているが、店を営む猫バアは何も彼らを使役しているわけじゃない。彼らは居心地が良いために空区を選んでいるだけで、忍びの争いなどには全く興味がない。の話を持ち出せば、空区の忍猫たちは耳を後ろに折って「奴らの話は聞きたくない」とばかりに顔を背けた。過去に何らかの因縁があったに違いないが、彼らも猫バアも、何も話したがらなかった。
 あの忍猫たちが、忍びの一族と契約して力を貸している。それだけでも、俺にとっては幼い頃から好奇心の的だった。

「おう、シスイ。すまんな、今日はこれからのところに行かねばならんのだ」

 木の葉の三忍と呼ばれる自来也様は、何度か一緒に任務に出ると、とても可愛がってくれるようになった。初めはイクチさんが取り持ってくれた。一回りも年上のイクチさんは、俺が下忍のとき、担当上忍不在のタイミングで臨時の隊長を務めた経緯から親しくなった。

 自分で言うのも何だが、神童と呼ばれる俺に対して担当上忍でさえどこか距離を取るようなところがあったのに、イクチさんはそんなことを全く感じさせないくらい気さくに話をしてくれた。慣れないフォーメーションに悪戦苦闘する俺を、遠慮なく叱って親身に導いてくれた。
 イクチさんとの出会いが、俺の視野を広げてくれた気がした。この人のように、どんな垣根も越えて周囲を見つめられるようになりたいと思った。イクチさんは「俺は頭が悪いだけだよ」と笑って、咥えた長楊枝を揺らしただけだった。

「こいつはクールに見えてほんとは可愛いやつなんで。どんどん可愛がってやってください」

 初めて自来也様と対面したとき、イクチさんは明るく笑いながら俺の背中をドンと叩いた。自来也様は顎を掻きながら「どうせ可愛いなら女の子のほうが」とボソボソ言ったけど、イクチさんの長楊枝が飛んで大慌てで避けていた。

「自来也様。さんって、確か澪様のお孫さんですよね」
「ん? おう、そうだ。お前のところの……あぁ、オビトか。確かオビトの同期だったはずだ」

 オビトとは昔から交流がある。といっても、親しいと言えるほどじゃない。俺の祖父とオビトの祖父は親しかったが、オビトの祖父はうちはの中でも相当の変わり者だったそうだ。同族婚姻が一般的なうちは一族でありながら、他所の旧家の人間と結婚した。一族出身の、標さんと。

 俺が訪ねることを、標さんはあまり喜ばなかった。

「私はうちはに嫁いだとはいえ、見ての通りはみ出し者だ。お前も陰口を叩かれるぞ」
「標さん。それはオビトがはみ出し者だと言っていることと同じですが、いいんですか?」

 俺が淡々と言い返すと、標さんはハッとした様子で口を噤んだ。

「どの一族の出身だとか、常識から逸脱しているとか、そんなことは些細な問題です。俺はいつか、人々が身分や立場、年齢も国境も全て超えて、同じ場所に立って同じものを見られる世界を見たい。まずはこの一族の中でそれを実現したい。あなたは確かに、うちはの人間です。もちろん、オビトもそうです」
「……お前は本当に、カガミさんにそっくりだな」

 標さんはあの日、そう言って泣きそうな顔で微笑んだ。

 あれから何年も経ち、オビトも、母も死んだ。大戦は終結し、岩との平和条約、砂との同盟関係。世界は徐々に安定に向けて動いているように見えて、内部からまた崩れようとしている。しかも、自分の一族から。
 里の興りから考えても、それは仕方のないことだ。うちはは確かに、危険な存在を輩出してきた過去がある。二代目火影の時代に警務部、そしてほぼ現在と同規模の居住区に集められ、里が監視しやすい体制が整ってしまった。あの九尾襲来から、さらに監視の目は強化された。九尾を操ることができるのは、初代火影の木遁の他は、うちはの瞳力だけだと信じられているからだ。

 さらにの忍猫が殺されたことも、うちはの疑惑を強めるきっかけとなった。

 忍猫は通常、倒されることはまずないと言われる。優れた第六感で危険をいち早く察知し、時空間忍術で飛ぶこともできる。幻術への耐性も強い。
 唯一の弱点は、写輪眼の中でも上位の万華鏡写輪眼だと言われている。これはもちろん知る人ぞ知る、というところだ。きっと、も知らない。自分の相棒がうちは一族に殺されたかもしれないと知っていれば、俺に心を許すこともなかっただろう。

 はとても純粋だ。平和を祈る一族の、唯一の生き残り。一人で背負うにはあまりに大きな理想を掲げ、自ら茨の道を進もうとする。
 愛する人を嘘で遠ざけ、孤独に使命を果たそうとする。

 俺もも、きっと望む景色は同じだ。

 もしもの相棒を殺したのが、うちはの人間であったなら。
 あの夜、九尾をけしかけたのが、本当にうちはの人間だったなら。

 俺は生まれ育ったうちはの血に誇りを持っている。だが写輪眼を開眼したあの日から、俺たちは日向では生きられない一族なのだと知った。

 影を背負い、その中で大切なものを守るために生き抜く。
 たとえそれが、茨の道だったとしても。

「シスイ、どうした?」

 久しぶりに顔を出した訓練場の一角で、イタチが不思議そうに聞いてきた。俺は強張っていた表情を崩しながら、気楽に笑ってみせる。

「何でもない。それよりイタチ、今度付き合ってくれないか? 紹介したい人がいるんだ」
「いいけど……珍しいな」
「あぁ。俺の、大事な友人なんだ」

 もしも彼女の相棒を殺したのが、うちはの人間だとしたら。
 そうではないと信じたい。そうではないことを証明したい。きっと忍猫を殺した何者かが、九尾の一件にも関与している。

 多くの犠牲を経て築かれた里の安寧を、うちはから壊すわけにはいかない。

 家最後の一人が、でよかった。

 純粋すぎる彼女には、つらい世界かもしれない。それでも信じられるから。
 平和は、澄んだ瞳の先に実現できるだろうと。