197.乖離


 ヒルゼン様から屋敷に呼び出された私は、緊張しながらもどこか落ち着いていた。ヒルゼン様は屋敷ではよくそうするように、煙管を燻らせながら小さく息を吐く。

「子は儲けぬと、決めたそうだな」
「……はい」

 あの日、コハル様は私の言葉を聞いて初めは呆れたようだった。それから烈火のごとく怒って、おしまいには悲しそうに涙を見せた。ばあちゃんや母さんを見てきたコハル様からすれば、私がを終わらせることは、ばあちゃんたちの苦しみを無駄にするように見えるのかもしれない。
 無駄だったかどうかなんて、終わってみなければ分からない。無駄だったかもしれないし、無駄ではなかったかもしれない。どちらにせよ、後の人たちが決めることだ。

 珍しく、ホムラ様にも呼び出された。でも、私の答えは変わらなかった。

 そして今、私はヒルゼン様とふたり、静かに向かい合っている。

「周囲が結婚を焦らせたことで思い詰めておるのなら、結論を出すのは早計というものだ。確かに早いに越したことはなかろうが、お前が今はそのときではないと考えるなら、それは周りが強制できることではない。お前たちには、お前たちの機があろう」
「お前たち、とは誰のことですか。私に、そのような相手はおりません」

 私が淡々と聞き返すと、ヒルゼン様は呆れた様子で眉をひそめた。

、そうムキになるな。お前とゲンマのことは私も承知しておる」
「それでは、誤解しておられるようですから、申し上げます。私とゲンマは、ただの同僚です」
「………」

 先ほどより大きなため息を吐きながら、ヒルゼン様は煙管を傍らの台に置いた。

。私はお前のことも、ゲンマのことも子どもの頃からよく見てきた。お前たちがどれほど深く想い合っておるか、知らぬと思うのか?」
「……僭越ながら、申し上げます。私のことを、よく見てきたと仰るなら、私が家族を望まないことも充分ご理解いただけるはずです」

 するとヒルゼン様は、初めて言葉に詰まったようだった。かつてのヒルゼン様は、私の祖母のことも、その妹のことも、母のことも、よく知っていると語った。はみな、不器用者だと。
 器用に生きられない私たちに、これ以上命を繋ぐことはできない。

「母も、祖母も死にました。平和という使命はとても崇高で、のみならず世界中の人々が長年望んできたことです。それでも、は今や私を残すのみ。力のない者は淘汰される――それが、自然の摂理です。血を残すことだけが目的となるのは本末転倒だと思っています。私は最後のとして、里の安寧に全てを捧げます。それを最後の責務と定めました」
「澪も凪も、力がないために死んだと?」

 ヒルゼン様の声は静かだった。でもその言葉には、どこか失意がにじんでいる気がした。
 胸が痛んだけど、それは仕方のないことだ。

「ヒルゼン様がかつて仰いました。はみな、不器用だと。生き抜く力のない一族は、滅びるしかないと思います」
「だが逆説的に言えば、たとえ数は少なくとも、は五百年もの長きに渡り、着実にその血を繋いできた。確かに時代に必要とされてきた者たちという証明ではないか?」
が五百年続いてきたことも、あくまで伝承です。確かなことは今、私しか残っていないということ。私は望まない子を産んでまで、その重荷を負わせるつもりはありません」

 何を言っても無駄だと分かったのだろう。ご意見番ともすでに同じような話をした。重々しく息を吐くヒルゼン様に、私は深々と一礼した。

「ヒルゼン様。お願いがございます。以前お断りした暗部の件、今お受けさせていただきたいと考えております」

 でもヒルゼン様は表情一つ変えずに、小さく首を振ってみせる。

「生憎だが、今のお前を暗部に迎えるつもりはない。今一度、己の身の振り方を考えたほうが良い。話は以上だ」

 仕方がない。このことを決めたときから、風当たりが強くなることは覚悟していた。たとえそれが、ヒルゼン様だって。
 だってヒルゼン様は、ばあちゃんの相方だった人だから。

 チョウザさんにも、シカクさんにも呼ばれた。シカクさんは、ひどく呆れた様子だった。

「お前な……ゲンマとしっかり話し合って決めろって言っただろうが」
「ゲンマは関係ありません。のことは、現当主の私が決めます」

 シカクさんはこれ見よがしに嘆息して、胡座の上に肘をつく。

「お前は昔から頑固な奴だが……悪い方向に全部出ちまってるぞ。とにかく一度ゲンマと話せ。どうせ一人で決めちまったんだろ?」
「ゲンマは、関係ありません」

 何度目か分からない、シカクさんのため息。

 そのとき別の部屋から元気な泣き声が聞こえてきて、私ははっと顔を上げた。酸素の薄い空間からやっと抜け出せたような、久しぶりに深く息を吸えたような、そんな感覚に自然と指の力が抜けていく。
 シカクさんは、ちょっと待ってろと言って立ち上がり、部屋を出ていった。

 しばらくして戻ってきたシカクさんの腕には、まだまだ小さな男の子がちょこんと座っていた。めそめそと涙をこぼしながら、シカクさんの服を小さな手でぎゅっと握りしめている。
 可愛いなと素直に思った。シカマルくんもチョウジくんも、いのちゃんもネネコちゃんも。

 シカクさんは息子さんを見て、心底嬉しそうに歯を見せて笑った。

「何でも頭で考えようとするな、。人間は、そんなに単純な生き物じゃない。子どもってもんはいいぞ。もう一度、人の話を聞いてしっかり考えてみろ」

 はい、とは言えなかった。話を聞いて、自分の中に落とし込もうとしたら、絶対に揺らぐから。分かっている。私が、ゲンマが、お互いに求め合っていることなんて、言われなくても分かっているから。
 迷惑かけたくない。巻き込みたくない。壊れるくらいなら、最初から離れていたほうがいい。

 正論なんか、要らないんだ。

 奈良家の門をくぐるとき、シカクさんとシカマルくんが見送ってくれた。未来を担う子どもたち。彼らに、戦争なんて経験させたくない。だから私の全てを注ぐ。自分の子どもなんて、望んでない。
 いつか、忍びなんて存在がなくなればいい。

 肩を落として帰路につく私の前に、いつの間にか立ち塞がる人影があった。