193.リミット


 要人警護の件で面倒な小言をもらうため、ご意見番のコハル様やホムラ様に呼び出されることは時々ある。ご意見番はアドバイザーよりも実務からは離れていて、より広い視野から里の運営に対して提言できる立場、らしい。だから澪様はより現場に近い、アドバイザーという名目だったそうだ。

 その日、コハル様に呼ばれたときも、仕事の話だろうと思った。だが聞けば、コハル様の屋敷に来いという話らしい。いつも火影邸の一室に呼び出されるのに、一体何だというんだ。

 重い足取りで屋敷に向かうと、コハル様は険しい顔をして俺を睨んだ。まるで品定めでもしているようだった。

「ゲンマ、と付き合っておるというのは本当か?」

 思わず噴き出しそうになった。咳き込む俺を見ても、コハル様は顔色一つ変えなかった。

「どうなんだ。はっきりせい」
「それは……俺との問題です。どうしてそんなことを」
「お前も分かっておろう。家最後の一人だ。一刻も早く子を為す必要がある。分家の多いお前たちのような家とは違うのだ」

 コハル様の言葉に、ついにその時が来たのだと思った。少し前、イクチからもに見合いの話が出ていると聞かされたばかりだ。今はそれどころじゃないとが逃げ回っているらしいが、ご意見番が放っておかないだろうと。

 が十八になったら、もう一度ちゃんとプロポーズしようと思っていた。だがもしかしたら、それでは遅いのかもしれない。

「……仰っていることは、よく分かります。ですが、の心が整わないうちに周囲が事を急ぐのは、に大きな負担を強いることになるんじゃありませんか? もう少し、待ってやっても……」
「いつ整うというのだ。あれの母も祖母も、心が整うことなどなかった。それでも血を残すために見合いをして祝言をあげ、若くして子を儲けたのだ。それが血を残すということだ」

 の母親に、祖母。二人とも知っている。だがきっと、コハル様は俺なんかよりもずっとよく知っている。澪様は、三代目やコハル様の同期であり、戦友だった。

 血を残すためだけに、結婚して子どもを産んだ。そして澪様は、引退して少し経ったあと、娘の墓前で自ら命を絶った。
 自分は必要とされていなかったという呪いを、孫の心に深く残して。

 それが血を残すということならば、なおさらに、無理なんてさせられない。

「お前がと付き合ってはおらぬというなら、こちらで縁談の話は進めるぞ。よいな?」
「待ってください」

 コハル様は俺を見て怪訝そうに片眉を上げた。俺は部屋の下座で正座していたが、さらに居住まいを正してまっすぐにコハル様を見据える。

とは付き合っています。コハル様のご心配はごもっともですし、の血の希少性は理解しているつもりです。平和のことも、忍猫のことも、初代火影との約束のことも」

 するとコハル様は驚いたようだった。あの日の澪様の言葉が、今もまだ耳に残っている。に無理をさせたくないのは、自分も同じだと。

「だからこそ、の心が整わないまま無理に結婚を急いだり、子どもを産ませたりすれば、それだけの血に禍根を残すことになる。俺は彼女の気持ちが決まるまで、待つつもりです。もう少し、時間をいただけませんか」

 コハル様はしばらく難しい顔をしていた。だが澪様と向かい合ったあのときに比べれば、大したことではない。俺が一瞬も目を逸らさずに見つめ返すと、コハル様はやがて大きく息を吐いた。

「一年だ。が十九となる誕生日まで。それ以上は待てぬ。の存続は、木の葉にとっても重要な問題だ。よいな?」
「……はい。分かりました」

 澪様がいなくなっても、結局は同じことが起こる。の血の継承は、木の葉にとっても重要な問題。どの世代までその認識があるか、分からないが。少なくとも俺は、個人の幸せのほうが大事だ。
 だが、きっとそれだけでは駄目なんだろう。を好きになった以上、彼女の背負うものも全て、受け入れて共に生きなければ。が何を選び、何を捨てるのか、それを共に考えなければ。

 放っておけばきっと、は一人で決めてしまうから。大きな決断も、全て。
 お前一人だけに、背負わせないから。

 コハル様の屋敷から、仕事へと戻る。本部でを見かけたが、アオバと一緒に足早に情報部のほうに歩いていくところだった。

 相棒としてがアオバと二人で過ごすことにも、いつの間にか慣れた。アオバがを全く女扱いしていないことも大きな要因だと思う。アオバは時折サングラスの奥でニヤつきながら、の予定を耳打ちしてきたりする。
 ほんとに、どいつもこいつも。だがそうなる空気にしてしまったのは、そもそも俺の態度が分かりやすかったからだ。

 遠い昔、のことで周囲の男を牽制しているとコマノに指摘されたことを思い出して、身体が熱くなった。きっと俺は、昔から変わらない。は俺のものだと、声高に主張したい。

 ――さて。付き合ってもいないのに、付き合っていると言ってしまった。後ろめたさで胃が重い。の耳に入れば、彼女はどう思うだろう。

 だが、焦っては元も子もない。十九歳まで。リミットが少し後ろ倒しになっただけだ。
 俺のやるべきことは、変わらない。

 本選の前に一度会いに行ったが、後ろから抱きしめたらはいつものように頬を染めながら上目遣いに俺を見上げた。
 可愛い。たまらない。猫にしてやるように頬をくすぐれば、視線を泳がせながらも気持ちよさそうに目を細める。は絶対に、俺のことが好きだ。ただ、心に負う傷が深いから、踏み出せないだけ。

 コハル様から見合い話が出ても、俺には何一つ話さない。

 それとも以前、の口から仮定の話が出たとき、すでに見合い話は持ち込まれていたんだろうか。

 焦るな。あと、一年半ある。こうして何もないときに抱きしめることだって、一年前はできなかった。
 焦らずに、少しずつだ。が周囲に結婚を強いられる未来を避けられないなら、俺が盾になる。の隣に立つ男は、絶対に俺がいい。

 時折コハル様にせっつかれながらも、俺はに火の粉がかからないように陰で庇った。

 庇っている、つもりだった。