192.縁談
十七歳の誕生日。当日は無理だったけど、外での任務を終えて半月後に戻ってきたとき、ゲンマは会いに来てくれた。私がこの世に生まれてきたことが嬉しいって、ゲンマは何回でも何回でも、言葉だけじゃなくて態度で伝えてくれる。
私はゲンマと違って、合鍵を渡すような勇気は持てないけど、それでもゲンマに会える時間は、やっぱり私の中ではとても安心できる幸せな時間だった。
でも、私の頭にはいつも家のことがある。任務の合間を縫って家の史料を漁っていることも、神社を時折訪れていることも、正しいかどうかさえ分からない舞いを舞っていることも全部、ゲンマにだって秘密だ。
子どもを持つ未来なんて想像もできないし、自分に幸せな家庭を築けるとは到底思えない。引き継ぐことよりも、終わりを考えることのほうが大事だという思いが日に日に強くなる。
そのためには、私の代で平和を成さなければならない。
もしも、成せなかったら? そのときに、子どもを作ろうとしたってもう遅い。
目的のため、使命のために、悲しみを抱えるかもしれない命を産み落とすの? それは、自分本位なことなんじゃないの?
ゲンマの家に生まれたかったって、数え切れないくらい思った。愛されること、信じられることを当たり前のように享受して育ったゲンマが、本当に羨ましかった。
自分の存在意義は血の継承でしかないと疑いながら生きること、自分の存在は大切な人を守れないと絶望しながら生きること。そんなもの、経験したくなかった。
家族なんて、所詮は儚く消えるもの。
血を残すためだけに、その犠牲を増やしたくない。
結婚なんか、したくない。子どもなんか、産みたくない。
ゲンマの愛情に触れるたび、いつもその狭間で揺れ続ける。
そんな私がご意見番のコハル様に呼び出されたのは、十七歳の春のことだった。
「コハル様が……一体、私に何のご用でしょう」
「お前も分かっておろう、。跡目を継ぐ準備を始めているそうではないか」
「……はい。それが、何か」
空とぼける私を見て、コハル様は呆れたように息をつく。
「は今やお前一人。お前の最優先すべきは、跡継ぎを残すことだ。良い相手はおらんのか」
――きた。イクチが言っていたのはこのことだったんだな。
頭に浮かんだのはゲンマのことだったけど、私はげんなりしながら首を振った。
「それどころじゃなかったので……」
「お前も年が明ければ十八になろう。忙しいのは分かるが、そう悠長なことは言っていられまい。結婚したからといってすぐに子に恵まれるとも限らん、早いに越したことはない」
「……でも、その……そろそろ中忍試験の準備もありますし、今はそういうこと考えてる暇が……」
今年は私も中忍試験の準備担当を命じられている。去年いなかったアンコも。アンコと仕事で組むことはほとんどなかったけど、相変わらず好かれていないことだけは伝わってきた。
あぁ、あとエビスからも嫌われてるな。私が近づくと逃げる。何もしないっての。
曖昧に笑う私に、コハル様はまた深々と嘆息する。
「お前に暇など一生来るまい。お前も澪と同じだな。あいつも十八を迎える前、見合いの話がくればジタバタと逃げ回っておったわ」
「ばあちゃんが……ですか?」
意外だった。でも、そういえば、ばあちゃんにも大事な人がいたって標ばあちゃんが言ってたっけ。コハル様も、知ってるのかな。
他に大事な人がいたのに、その人から離れて、じいちゃんと結婚したのかな。
やっぱり私は、愛されて生まれたわけじゃないんだろうな。
「お前に良い相手がおらぬなら、こちらでいくらでも縁談は準備できる。一度、何人か見繕って……」
「いえっ! ほんとに!! 今そんな時間ないんでっ!!」
慌てて首を振って、私はコハル様の屋敷を飛び出した。お見合いなんて時間の無駄だし、絶対ゲンマが拗ねる。ゲンマの子どもみたいな顔が浮かんで、私は身体が熱くなった。きっとしばらく走り続けているから、だけじゃない。
血を残すために結婚するってことは、つまり、そういうことだ。よく知りもしない相手と、そういうことをするってことだ。
イヤだ。そんな風に考えたら、たぶん会っただけで拒否反応が出るような気がする。
イヤだ。ゲンマとしかくっつきたくない。家の近くまで帰ってきて、ふと足を止めた私は自分の気持ちに気づいて顔から火が出そうになった。
私、ゲンマとなら嫌じゃないって思った。
ばかばかばか、ばか。何考えてるの。私たちは付き合ってもないし、キスだってしたことないのに。
でもゲンマが頬にキスしてきたことを思い出したらまた汗が噴き出した。あれだって、かわさなければきっと唇にされていた。
あれ以来ゲンマがキスしようとしてくることはなかったけど、抱き寄せられているときに頭に感じる感触。多分、頭には、めちゃくちゃキスされてる。改めて思い出したら恥ずかしすぎる。
私、変だ。結婚なんかしないし、子どもなんか作らない。だから誰とも付き合わない。たとえそれが、大好きなゲンマでも。
頭ではそう決めているのに、心も身体も言うことを聞いてくれない。
ゲンマのせいだ。ゲンマが私の築く壁を、いとも容易く乗り越えてくるから。
ゲンマの鼓動が温かくて、安心するから。
私の頰を撫でる指先も視線も、すごく優しいから。
全部、ゲンマのせいだ。
仕事でゲンマと一緒になったら、もちろん普段通りに振る舞う。でも不意に目が合ったりして、どきりとして。
お互いに暇じゃないし、仕事以外で会えるのは月に一回あればいいほう。ゲンマが来ることもあれば、私が行くこともある。会いに行っちゃダメだってもう一人の自分が言うけど、たまには会いに行くって言っちゃった手前、またゲンマが拗ねるのを見たくなくて足が向いてしまう。
でもそれはやっぱり、言い訳だ。私が、ゲンマに会いたいから。会ってくっついて、ゲンマの温もりを感じたいから。
中忍試験の予選が終わると、少し仕事は落ち着いてくる。本選に向けての最終調整の合間に、ゲンマが一度会いに来てくれた。
仕事でよく顔を合わせているのに、やっぱり二人きりで会うときのゲンマの表情は全然違う。まるで猫にするみたいに頬をなぞられたら、胸の奥までくすぐったくなって身体中に熱がこもる。
ゲンマはいつもみたいに優しかった。最近外で食べて帰ることが多いから、ろくなものがなくてごめんねって言ったら、一緒にいられるだけで幸せだって言ってくれた。それだけのことで、涙が出るほど嬉しい。私がずっと、望んでいた言葉だったから。
それでも、心の奥に巣食うこの物悲しさは何なんだろう。
ゲンマはいつもみたいに優しかったから、この頃すでにコハル様がゲンマに接触していることなんて、私は想像もしていなかった。