191.繋がり
イクチのところに相談には行かなかった。絶対に、ゲンマとのことを聞かれるから。
家を継ぐにあたっては、財務管理や書類整理、里や他の家との調整、一族の取り決めの管理や伝統の継承など様々な仕事があり、多くの家はこれらを本家中心に分家も分担しながら支えている。でも家はすでに生き残りが私一人で、財産も今住んでいる家と、里から少し離れた場所にある神社くらいしかない。大変なのは、史料の管理くらい。それも主に里の資料室の一角に保管されていて、残りの一部がうちにあるという形だ。
「お前が最も考えるべきことは、この先、家をどうしていくかということだ」
チョウザさんはよく、私にそう言って聞かせた。忍猫と共に、平和を祈る巫女の血統だった。忍猫は、忍びが台頭しその力を「忍術のようだ」と評される以前は、別の名前で呼ばれていた。ごく最近までは、彼ら自身も忍猫という名で呼ばれることを嫌っていたらしい。
サクが生まれたときにはすでには忍びだったから、サクは何の疑問も持っていないみたいだけど。
九年ぶりに、家の所有である神社に足を運んだ。アカデミーを卒業してすぐ、ばあちゃんに連れられ、カビ臭いこの隠し部屋で忍猫との契約を結んだ。
巻物は、普段は家の資料部屋に隠されている。忍猫たちと同じ要領で口寄せして広げ、今度はじっくりと、そこに記された名前を見つめる。
澄は、私の曾祖母だ。二代目火影の時代に、忍術を学び始めた。でも祈りとしての舞いとの両立に苦しみ、どちらも成し得なかった。
澪。私の祖母。三代目火影の右腕として、長く里の要職に就いていた。忍びとして生きることを決め、舞うことをきっぱりとやめた。
標。ばあちゃんの妹だ。に反発して若い頃に家を出ていったが、忍猫との契約はアカデミーを卒業したら機械的に行われるため、ここに名前がある。でも、その名は二重線で消されている。
標ばあちゃんはと折り合いの悪いうちは家に嫁ぎ、後にオビトのおばあちゃんになった。
凪。私の母。契約を結んだが、一度も忍猫を呼び出すことができずに第三次大戦で殉職した。家督を継ぐこともなかった。
そして、私――だ。
私は何者なんだろう。後になって、はこういう人だった、って思い出されることもあるんだろうか。
子どもを産まなければ、そういうことはないかな。
私で終わるとしたら、この巻物は処分したほうがいいんだろうか。
これがなくなったら、忍猫たちは去っていく? でも、巻物の名前は忍びになった曾祖母から始まっている。忍猫――かつての夜摩猫たちは、契約書がなくてもずっとのそばにいたということだ。私たちは、血で繋がっている。
たとえ他の誰かがこの巻物に血印を押しても、きっと忍猫たちは応えない。
私が死ねば、忍猫たちは木の葉を去る。
家は、起源を遡れば六道仙人の時代に行き着くと言われる。が、実際のところは定かではない。度重なる戦火で史料は多くが失われ、口伝による伝承が残されるのみだ。現存の史料は、木の葉に移ってから書き残されたものが多い。何百年と続いてきた舞いも、今は数少ない文献を頼りに思いを馳せるしかない。
「翠の舞いを覚えてるにゃ」
隠し部屋を出て、建物の外に足を踏み出せば陽光が眩しい。臭いから中には入りたくないといって外で待っていたレイが、私の肩に乗ってそう言った。
レイが生まれた頃、晩年の曾曾ばあちゃんはまだ踊っていたらしい。母さんは、その姿を見て育った。
「へたくそにゃー」
荒れた神社の境内でひとり拙い動きで踊る私を、サクとレイが木の上から見ていた。
「当たり前でしょ! 習ったこともないんだから」
「凪はお前より上手かったにゃ。でも段々踊らなくなったにゃ」
さらりと言ってのけるレイを睨みつけて、思わず頬を膨らませる。そりゃ、母さんは曾曾ばあちゃんの舞いを見てたんでしょ。私よりは上手いに決まってんじゃん。
「そんなことよりお前は千本でも投げてる方がよっぽど画になるにゃ」
「澪もそうだったにゃ。踊ってるより戦ってる方がよっぽど美しかったにゃ」
サクとレイが口々に話すのを聞いて、私は即座に口を挟んだ。
「え、ばあちゃんも舞ってたの?」
レイが知ってるってことは、子どもの頃の話とかじゃないだろう。レイはどうということのない口振りで先を続けた。
「澪は思い悩むと時々歌いながら踊ってたにゃ。でも下手くそだったにゃー」
「ボク見たことないにゃ」
「昔の話にゃ」
ばあちゃんが踊るところなんて、見たことないな。そういえば、小さい頃は歌ってくれてたような気もするな。多分、そんなに上手じゃなかったな。
あぁ、確か――母さんは、歌が上手かったな。
踊っていたら、忘れかけていた記憶が少し蘇ってきた。アカデミーに入ってからこれまで、カカシの背中を見てがむしゃらにひた走ってきた。やがてカカシが遠ざかっても、ゲンマやガイと、仲間たちと。こうして喧騒を離れて物思いに耽る時間なんて、ろくになかった気がする。
伸ばした腕の先で、広げた手のひらを陽光にかざす。巫女として舞っていたかつてのたちはきっと、こんなに固い手はしてなかっただろうな。
雑草や苔に覆われた石畳。拝殿や本殿の屋根も苔むしていて、所々、瓦が落ちているのも見える。入り口の鳥居は朱塗りが剥がれ、くすんだ赤褐色になっていた。
恐らく、ばあちゃんの代か、もしくは曾ばあちゃんの代から手入れされなくなって、そのまま時の流れを象徴するように荒れてしまった。
かつてが舞っていたであろう小さな舞台も、すでに床板が朽ちかけている。
の血と同じように、今や風前の灯火といった体だ。
幼い頃は、こんな風に感慨に耽ることもなかった。ただ、寂しい場所だなと思うだけだった。
をこれから、どうしていくか。
サクたちに下手くそと揶揄されながらも、過去の記録をたどって得た浅い知識で、覚束ない舞いを踊る。これは祈りなのか。こんなものが、誰かの力になるんだろうか。
「舞うことだけが祈りなんでしょうか? それでも舞うことが誰かの力になるなら、いつでもまた舞えばいい」
初めて出会ったときのシスイの言葉を、反芻する。
舞ってもいいし、舞わなくてもいい。ばあちゃんがかつてそうしたように、自分で決めていい。
そこに、どれだけの責任が伴うか。
捨てればいいなんて、簡単に言えない。
でも、私にとって家族とは呪いの言葉だ。きっと絆であり、呪い。
ゲンマの顔が、頭に浮かんで離れない。