186.欠落


 何で、どうして。俺に何が足りないって言うんだ。

 戦争が終わり、ライドウの本部勤務が決まったとき、胸にどこか引っかかりを覚えた。本部は正規部隊の中でも火影に最も近く、正規部隊とは区別して呼ばれることもある。紅が照れた様子のライドウを褒めちぎっているときにモヤモヤしたのは、今思えば嫉妬だったのかもしれない。

 チームが解散したあと、紅やライドウと組むことも減った。新しい仲間と、同じことを繰り返すだけだ。俺は俺の仕事をする。そう自分に言い聞かせた。

 チーム解散後、半年ほど経って久しぶりに紅と鉢合わせた。紅はいわば幼なじみだし、シカク班の紅一点だ。死線を何度も共に乗り越えたし、当然、情もある。欲もある。
 居酒屋に行った帰り、いつものように途中まで並んで帰る。いつもより、紅の口数が少ないような気がした。だが、声を掛けるなんて性に合わない。いつもの別れ道で別れようとすると、俺は紅に引き留められた。

 振り向いた俺の首に腕を回して、紅は勢いよくキスをした。

 俺たちは自然と付き合うようになった。とゲンマは本部勤務になってから交際の噂もあったが、紅によると付き合ってはいないらしい。恐らく、ゲンマの片思いだろうと。
 賭けは俺の勝ちだと言ってやったが、紅は「まだ分かんないわよ」と笑った。結局それだ。勝負なんてつきやしない。

 紅は、俺たちの交際は隠したいと言った。親父さんの一閃さんが、恋人くらいできないのかとうるさいらしい。俺と付き合っていることを知られたら、何を言われるか分からないと戦々恐々としていた。

 九尾襲来の夜、一閃さんが殉職した。俺たち未成年の忍びは、九尾に近づかないよう命じられた。上忍のカカシでさえそうだった。俺たちの仕事は、あくまで非戦闘員の避難救助。反発する紅に、一閃さんは紅によく似た笑顔で、次の世代に火の意志を託せと言った。

 火の意志。親父はそれをよく、里を守ろうとする強い意志だと言った。いつか子を持ち、次の世代に火の意志を託すこと。あの夜から、俺の中にも一閃さんの言葉が響いていた。

 俺たちはまだ十六歳だし、子どもを持てるわけじゃない。紅が結婚相手として、俺を選ぶかも分からない。紅は何も言わないし、一閃さんを亡くしても、気丈に振る舞っていた。
 もしかしたら俺は、その相手には相応しくないと思われているんじゃないか。

 初めは向こうから不意打ちでキスしてきたくせに、紅はその先に進むのを嫌がった。いつも強気に微笑むのに、俺が身体を寄せようとすると、頬を染めて困ったように首を振った。無理に進めようなんて思っちゃいない。だが少しずつ、俺の中で不安の種が膨らんでいくようだった。

 俺だって頑張ってきたし、評価されている。そう自分を慰めてここまでやって来たのに、年が明けてしばらく経ち、ある噂が耳に入った。紅やライドウが、特別上忍に昇格するという話だ。紅は幻術、ライドウは暗殺術。一緒に組むことの多かったやガイ、ゲンマも同じタイミングで昇格の話が出ているらしい。

 どうして。俺は駄目なんだ。なぜ、俺だけが認められない。
 俺だってここまで、頑張ってきたのに。

「何で俺を認めようとしない!」

 詰め寄る俺を見て、親父は煙管を吹かしながら気だるげに息を吐いた。親父はずっとそうだった。兄貴たちばかり見て、そばに置き、俺のことは二の次で放っておいた。
 は昔、俺を羨ましいと言った。修行をつけようとしない澪様に比べて、親父は俺に時間を割いてくれるからと。あの頃は、深く考えていなかった。だがあれは、俺が出来損ないだったからだ。時間を見つけて修行を見てやらなければ、俺が何もできないと思ったんだろう。澪様は、を信じて放っておいたんだ。

 俺は、期待もされていない。

「お前に、火の意志はあるのか?」
「俺は木の葉の忍びだ! ずっと里のために戦ってきたのに、何で俺を認めないんだ!」

 届かない感情をいくらぶつけても、親父は表情を変えない。俺がどれだけ苦しんできたか、きっと分かろうともしていない。

「アスマ。火の国において、将棋の駒に例えるとしたら玉とは一体誰を指すと思う?」

 子どもの頃、親父と何度か将棋盤を囲んだことがある。多くはシカクさんと、そして時には、と。シカクさんには一度も勝てなかったし、後から始めたには、次第に抜かれるようになった。
 俺は何一つ、物になりやしない。

「……火影に決まってるだろ。もしくは、大名……か?」

 俺の答えを聞いて、親父はこれ見よがしに嘆息した。その仕草が、俺の怒りをさらに燃え上がらせた。
 うんざりした様子で、親父が徐ろに腰を上げる。

「やはりお前は、まだ何も分かっていないようだな」
「……何なんだ! そんな謎解きみたいなことで誤魔化して、俺を認めたくないだけなんだろ!」
「仕事に戻れ、アスマ。お前は地道に経験を積むのが先だ」
「ここまで積んできた! 親父は俺を認めたくないだけだ!」

 俺の叫びを無視して、親父は部屋を出ていった。

 何だ。何なんだ、クソ。紅やライドウは良くて、何で俺だけが駄目なんだ。
 俺だけが。

 親父が治めるこの里で、これ以上のことなんか期待できない。兄貴たちに届かなければ、親父はきっと俺を認めない。上等だ。自分の力は、自分自身で証明してみせる。

 イライラと荷造りを進める俺の耳に、玄関先から馴染み深い声が届いた。

「アスマ! ちょっと、いるの!?」

 会いたくなかった。今は。

 無視するか迷ったが、窓から忍猫がしれっと覗き込んでいることに気づいて、俺は慌てて立ち上がった。