185.いい人


 先月、ゲンマが二十歳になった。

 お祝いしたかったけど、ゲンマはすごく忙しかった。それもそのはずで、ゲンマは特別上忍として護衛の激務だけじゃなく、今年から中忍試験の準備も担当することになったからだ。

 中忍試験の担当をすることになったのは、特別上忍で何もゲンマだけじゃない。ガイや紅、ライドウにエビス、イビキ、それにアオバだ。
 つまりほとんどのメンバーが、仕事を割り振られたことになる。

「いいよな、お前は。暇で」
「暇じゃ、ない! アオバの分も仕事してる!」

 久しぶりに分析の仕事で一緒になったと思ったら、五秒で嫌味を言われる。アオバらしくて、いいですけど!

「しょうがないでしょ。仕事の割り振りのとき、私いなかったんだから」
「一か月も入院か。サボれて良かったな」
「言い方! 少しは労って!!」

 ムカつく。まぁ、深刻にしないところが、アオバの美点といえば美点。私が極秘任務で留守にしていたことは他の部員たちも知っているし、あえて触れないようにしている人たちがほとんどだ。そんな中、アオバの憎まれ口はある意味で心地よかった。私、ちょっとМなのかな。

 中忍試験の準備と言えば、私の他に外れているメンバーが一人。アンコの名前も、担当には入ってなかった。

「しばらく誰も見てないみたい。長期任務かもしれないわね」

 今年特別上忍になった九名のうち、くノ一は私、紅、アンコの三名。紅はアンコとも折り合いが悪くないらしく、アンコの情報といえば紅を通して入ってくる。アンコは大蛇丸さんの一番弟子だったし、だいぶ事情を聞かれたみたいだ。

 火影邸の近くで遭遇した紅と立ち話をしていると、紅は周囲を見回してから思い出したように声を落として聞いてきた。

「で? 、最近ゲンマとどうなの?」
「どっ、どうって、何……」

 突然名前を出さないでほしい。せめて、護衛部とかの前置きが欲しい。私がちょっと上擦った声を出すのを見て、紅は訳知り顔で微笑んだ。

「あんたの家にゲンマが入り浸ってるって話だけど」
「い、言い過ぎっ!!」

 反射的に叫んでから、しまったと思った。今のじゃ、ゲンマが私の家に来てること自体は肯定したことになる。紅は愉快そうに目を細めた。

「へぇ。まぁ、二人とも忙しいしね」
「く、紅こそ何よ。いい人くらい、いるでしょ」

 まずい。これじゃまるで、ゲンマとのことをどんどん認めることになってる。墓穴を掘るってこういうことだ。私、ゲンマのことになると途端に頭が働かなくなる。
 紅は涼しい顔をして首を振った。

「いい人なんて、いないわよ」
「嘘だ! 紅のこと好きな人、何人か知ってるよ」
「何よ、それ。それならあんただって、そういう人いるでしょ。まぁあんたの場合、ゲンマが怖くて何もできませんって男の話しか聞かないけど」
「何それ……」

 別に恋愛なんかする気ないから、いいけど。ゲンマ以外の男の人なんか、興味ないけど。
 ゲンマが私の家に来てること、噂になってるんだ。誰かに見られたかな。別に警戒してなかったし、いいけど。どんどんゲンマに迷惑かけてる気がして、胃が重くなった。

 でも、きっとゲンマは気にしない。それどころか、噂を知ったら多分もっと、堂々とする。付き合ってないから、人前でベタベタするようなことはないけど、家に行って何が悪いって開き直ると思う。
 別にやましいことはしてない。してるかな。しばらくくっついて、ゲンマは帰っていく。一回だけご飯を食べていったけど、忙しいし、そんな余裕もないんだと思う。キスもしない。本当に、ただ寄り添うだけ。それだけで、涙が出そうになるくらい安心した。

 こっそり布越しにゲンマの首にキスしたことなんて、私だけの秘密だ。
 絶対に、墓場まで持っていく。

 中忍試験の予選が行われる頃、私は本当に忙しくなった。みんな、試験前の最終チェックや、当日の進行の確認などで慌ただしい。ゲンマもライドウもいなくて、護衛部の部屋ではイワシが忙しなく動いていた。私もアオバの穴を埋めるようにバタバタと働いた。

 だからそんなときに、路地裏の隅でひっそり蹲っている紅の背中を見た私は、びっくりして慌てて駆け寄った。

「紅、どうしたの? 何かあった?」

 膝を抱える紅が顔を上げると、その綺麗な瞳から涙がこぼれ落ちた。
 紅が泣くのを見たのは、九尾襲来のあの夜以来だった。


***


 いつの間にか、好きになっていた。

 アスマとは、アカデミー入学の前から付き合いがあった。アスマのお父さんは現職の火影、私の父さんは上忍。父さんに連れられて三代目の屋敷に行ったとき、幼い私はアスマに出会った。

 アカデミーの入学も、卒業も同時だった。下忍の班編成でも一緒になった。こんなことってあるんだねって話しながら、私たちは切磋琢磨して大きくなった。

 アスマがと二人で風遁の修行を始めたとき、ちょっと面白くなかった。は私たちより一年遅れて卒業した同期だ。在学中は、それほど親しくもなかった。ほとんど話したこともないくらいだ。アスマだってそれくらいの仲だったのに、に修行をつけているアスマは真剣だったし、時々鼻の下を伸ばしているように見えた。何よ、あれ。
 でも私は大人だから、もちろん平常心を装った。を目の敵にすることもなかった。だっての魅力なんて、私にだってすぐ分かった。は本当に素直で、まっすぐだ。私なんかより、ずっと。

 たちのチームと組むようになって、私はすぐに気づいた。のチームメイトが、を見る目は普通のそれじゃない。絶対に好きでしょ。

「ねぇ、ゲンマってのこと好きなんでしょ?」

 ゲンマは咥えた長楊枝の先をめんどくさそうに上げながら答えた。

「んなわけあるか」
「ふーん」

 少なくとも、普通のチームメイトを見るような目じゃ、ない。

「ねぇ、賭けない? あの二人がそのうちくっつくかどうか」

 チョウザ班との合同任務のとき、私たちがチョウザ班から少し離れたところで私はアスマとライドウに話を持ちかけた。たちのことは、それまで何度も話題にしていた。

「私は、もちろんくっつくほうに賭けるけど」
「じゃあ、俺も」

 ライドウはにこりともせずに即答した。ノリが悪そうに見えて、実はすごく乗ってくる。それがライドウだ。
 アスマはめんどくさそうに頭を掻いていた。

「どっちでもいい」
「じゃああんたはくっつかないほうね。賭けになんないから」
「それさ、いつになったら勝敗つくんだ?」
「うーん……二人が付き合ったら?」
「それ付き合わなかったら永遠に終わんねぇやつだろ。めんどくせぇな」

 アスマが本当にどうでも良さそうだったから、私は安心した。のことが好きなら、多少なりとも変な反応をするだろうと思ったからだ。
 とゲンマのことなんて、最初はアスマの気持ちを試すための口実だったけど、彼らとの付き合いが長くなるにつれ、ゲンマは本当にが好きなんだなと私は実感するようになっていた。

 私たちの関係が動いたのは、シカク班が解散したあとだ。

 チームの解散は、思っていたより心に堪えた。七年だ。アスマと、ライドウと共に過ごした。シカク先生のもとを離れて、それぞれの仕事をする。時々一緒に組むことがあっても、いつも誰かがいた演習場にはもう戻れない。
 そんな矢先、アスマと再会した。もちろん私は、食事に誘った。仲間として。幼なじみとして。ただ、それだけだ。

 それだけだったのに。

「じゃあな」

 店を出た帰り、いつも別れる十字路まで来た。じゃあねと言って、手を振る。いつものことだ。

 でも、次に会えるのは?
 またこうして、一緒に他愛ない話ができるのは、一体いつ?
 私たちは、いつ死ぬかも分からない生き方をしているのに?

「アスマ、待って」

 気づいたときには、アスマのベストの裾を掴んでいた。アスマは驚いた顔をして私を見下ろした。
 やっぱり、私。

 そのままアスマの首に腕を伸ばして、私は目を見開く彼の唇にキスをした。