184.シスイ
「」
名前を呼ばれて振り向くと、シスイだった。初めて出会った川原以外で顔を合わせるのは珍しい。シスイはきっと戦時中ならカカシのようにすぐ上忍になっていたほどの腕前だし、態度には出さないけど絶対に忙しい。
冬の特別上忍一斉昇格のときにシスイの名前が挙がらなかったのは、十一歳という若すぎる年齢の他に、うちは一族からすれば、特別上忍という枠組みは気に入らないらしい。シスイはそんなこと、気にしないだろうけど。
「暗部の話、断ったんだって?」
「……耳が早いね。イクチみたい」
「イクチさんは憧れてるからね。嬉しいよ」
シスイは本当に、一族だとか年齢だとか立場だとか、そんなものを軽々と飛び越えて本質を見抜く目を持っている。写輪眼よりも、もっと大切な力だ。
もしかしたらゲンマがいなかったら、確かに、好きになっていたかもしれないな。こんなこと言ったら、ゲンマ、また妬いちゃうだろうな。
暗部の話はチョウザさんにしかしていないし、ヒルゼン様が誰彼言うとも思えない。でもきっとシスイは、ヒルゼン様から絶大な信頼を得ている。うちはの中にあって、シスイほどの広い視野の持ち主はきっと他にいないから。
シスイの祖父のカガミさんは、ヒルゼン様の同志だったという。きっとヒルゼン様にとって、私もシスイも等しく気にかけたい存在なんだろう。
「は影より、日向が似合うから。正規部隊のほうが似合ってるよ」
シスイの温かな微笑みに、心臓がぎゅっとなる。
シスイはのことも、標ばあちゃんのことも分かっていて、それでもなお私に日向が似合うと言ってくれている。本当かな。でもきっと、私は影を背負えるほど強くない。
あの日、結局外が明るくなるまで私とゲンマは縁側で抱き合ったまま過ごした。ゲンマのそばにいたら、みるみる心拍数が上がるのに、涙が出るくらい安心もする。ゲンマに頬にキスされて、何度も好きって言われて。かわさなかったら多分、唇にキスされてた。思い出すだけで、身体の芯から熱くなる。
朝になって、里の人たちの生活の気配がする頃、ゲンマは私の目をまっすぐに見て、ごめんって言った。何のことか分からなくて瞬く私に、ゲンマはすごく気まずそうに眉根を寄せた。
「俺……シスイのことで、お前にひどいこと言った」
忘れてたわけじゃないけど、あれは、ゲンマだけが悪いんじゃない。私が曖昧な態度をとって、ゲンマを不安にさせたから。自分がズルいやつだって分かっていて、それでも離れられない私の弱さのせいだから。
「……いいよ、そんなの」
「良くない。お前がシスイと会ってるって知って……俺、忙しくてお前に会えないのめちゃくちゃ我慢してたから。めちゃくちゃイライラして、めちゃくちゃ嫉妬した。俺だって会いたかった。だからお前に八つ当たりしたんだ。最低だ」
ゲンマは子どもの頃からすごく大人っぽくて、いつも温かく包んでくれてたけど、本当はすごく素直で、内面は熱くて。それを今、ストレートに真っ向からぶつけられて息が詰まりそうになった。
思わず目を逸らして、ぼそぼそと呟く。
「シスイは……そんなんじゃないってば」
「分かってる。ごめん。でも俺だって……少しでいいから、会いたかった。会いに来てほしかった」
素直、すぎる。すごく、ドキドキする。ゲンマがこんな風に、甘えてくることが。
抱かれた腕にぎゅっと力がこもって、ゲンマがまた額を擦り付けてくる。謝ってるのか、甘えたいのか、どっちよ。
「シスイは……自来也さんが引き合わせてくれたの。シスイも、シスイのおじいさんも、平和のことを人一倍考えてた。オビトのおじいちゃんも、一族とか里とか、そんな小さなこと考えないでもっと広い視野で世界を見てたって。私なんかよりずっと広い視点で平和のこと考えてる」
私が話しているうちに、ゲンマの顔が目に見えて不機嫌になった。しまったと思ったときには遅くて、ゲンマはそれまで以上に強く私を抱き寄せて今度は私の頭に頬ずりした。ちょっと耳に当たって、思わず身体が跳ねた。めちゃくちゃ恥ずかしい。
「……やっぱり妬ける」
「ち、違うってば!」
何で私、必死に否定しようとしてるんだろう。私がシスイを好きになろうと、ゲンマに関係ないじゃん。
――もう、そんなこと言えない。ゲンマは私が大好きだし、私だって他の人が好きだなんてゲンマに誤解されたくない。
私、ほんとにダメだな。
ゲンマがまた私の頭に擦り寄りながら、ひどく優しい声で囁いた。
「認めてるんだな、シスイのこと」
見なくても分かった。ゲンマ、今、絶対すごく優しい目をしてる。
妬いてるかもしれないけど、同時に、理解しようとしてくれてることが分かった。
大好きだなって、思った。
「……うん。すごい子だなって、思ってるよ」
「それはそれだ。俺にも会いに来てほしかった」
また、拗ねてる。ほんとに、子どもだな。
謝ってるかと思ったら、もう、ゲンマは完全に甘えたい気分みたいだった。仕方ないな、もう。
ゲンマの背中に回した腕をぎゅっとさらに巻きつけて、私はゲンマの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「不安にさせて、ごめんね」
「……それは、これからは会いに来てくれるって意味?」
「そんなこと言ってない」
思わず言い返したけど、ゲンマの長い髪が頬に当たってくすぐったくて笑ってしまった。
私、もう、ゲンマから逃げられないのかな。
「……たまにだったら、いいよ」
するとまたゲンマの腕の力が強くなって、ちょっと痛いくらいだった。でも、嫌じゃない。
ゲンマに求められるんだったら、嫌じゃない。
「俺も……たまには、寄ってもいい?」
「……うん。いいよ」
どうせゲンマが、逃がしてくれない。半ば諦めて、またゲンマのせいにして、私はそう約束した。
約束なんか、守れないかもしれないのに。
「は、最後に自来也様に会った?」
シスイに問いかけられて、意識が飛んでいたことに気づく。恥ずかしい。振り払うように頭を振って、私はシスイの顔を見た。
「うん……出ていく前に、話してくれたよ。シスイは?」
「俺はそのとき里にいなかったんだ。会いたかったよ」
「……そっか」
里にいたからといって、自来也さんが会いに来てくれたかは分からない。でもきっとシスイがいたなら、自来也さんは顔を見せに行ったような気がした。
「は自来也様の本を読んだことがある?」
「あ……忘れてた」
もらったのに、読んでいない本が一冊ある。シスイは笑いながら、傍らの私を見上げた。シスイとは頭一つ分くらい身長差があるけど、全然幼さなんて感じないくらい大人っぽかった。
「デビュー作、いいよ。また読んでみて。とあの本の話もしてみたい」
「……うん。分かった」
もらった本、確かデビュー作だったはず。私は頷いて、路地裏でシスイと別れた。
帰宅してすぐ、例の本を引っ張り出してきた。あった。クローゼットにそのまま放り込んでいた本。ド根性忍伝。
作者紹介の写真を見て、懐かしさに目を細めた。あれから二か月しか経っていないのに、自来也さんに会ったのが遠い日のことのように感じる。
一通り読んでみて、すごく胸が痛んだ。どうしようもないほど、どうすることもできない理不尽な世界。憎しみの連鎖。それでも最後まで諦めない、主人公の強さ。
これはきっと、自来也さんの物語だ。
かつての同志を痛ましく失っても、諦めないで追い続ける。だから里を出ていった。平和とは何か。自来也さんなりの答えが、この一冊に込められているような気がした。
この本は、弟子の一人に着想を得たと書かれていた。もしかしたらその人が、救世主なんじゃないのか。そうだと思ったけど、違ったんだろうか。世界は今も、争いと憎しみに満ちている。
それともその救世主は、今もどこかで諦めないで、平和のために戦っているんだろうか。
平和と、愛。自来也さんの答えと、私たちへの問題提起。自分なりに、答えを探していくしかない。
シスイの顔、そしてゲンマの顔を思い浮かべながら、私は本を手にしたまま眠りに落ちた。
夢の中で、カカシが笑っているような気がした。