183.守護


 俺の肩に頭を乗せて、は眠ってしまった。何度も泣いたせいで瞼は少し腫れて、涙の痕がうっすらと残っている。それをまた指先で拭いながら、俺はとは反対側の柱に身体を預けた。

 抱きしめようとしたら、はしばらく抵抗していた。だが泣きつかれて拒む体力もないのか、次第に俺の抱擁を拒まなくなった。体を寄せ合って、目を閉じる。がやがてウトウトと微睡み始めたので、肩を抱き寄せて指先でゆっくりとリズムを刻むと、程なくして静かな寝息が聞こえてきた。まったく、子どもかよ。

 思わず内心で突っ込んだが、すぐに訂正する。もう、子どもじゃない。実年齢は未成年だとしても、はもう列記とした女だった。

 今日は、あの口紅はつけていない。かわされなければ、キスしたかった。頬にそっと唇を寄せれば、は真っ赤になって石のように固まった。それからボロボロと涙をこぼしてしゃくり上げた。

 俺の前では、どんな顔を見せてもいい。見せてくれ。面をつけて心を閉ざしてしまうくらいなら、ずっと子どものままでいてほしい。

 そんなことは叶わない。俺たちは忍びだ。誰かの命を預かり、握りつぶすこともある。子どものうちから子どもであることを許されずに大人になる。
 それでも、帰る場所があるなら、心を保っていられる。そうして俺は、大人になった。

 にとってのそんな場所でありたいし、いつかが子どもを望んでもいいと思える日が来たなら、その子にとっての帰る場所でもありたい。
 と、家族になりたい。

(……シスイのこと、謝れなかったな)

 完全にタイミングを失った。暗部のことでまたカッとなってしまって、きつい言い方をしてしまったかもしれない。
 俺は本当に駄目だな。のことになると短気と指摘されたチョウザさんに合わせる顔がない。

 が起きたら、謝ろう。暗部のことは、が決めることだ。俺は俺の気持ちを伝えるだけ。暗部には、行ってほしくないと。

 俺がを放っておけないように、もカカシを放っておけないのか。
 は、カカシのことが好きなのか?

「そいつは本当にアホだにゃ」

 不意に高い声が聞こえて、顔を上げた。庭先に座り込む忍猫には覚えがある。

「レイ……か?」

 忍猫は答えなかった。ここに来る前、庭から来いと教えてくれたのはサクだ。サクはきっと、をどうにかしたいと思っている。そのために、俺が役に立つ可能性を期待している。

はみんなアホにゃ。だから放っとけないにゃ」

 俺は驚いて忍猫を見た。彼女は俺ではない、眠る、そしてきっとの後ろに、もっと他のものを見ている。

「そう……だな」

 もしかしたら俺たちは、同じものを見ているのかもしれない。

 の髪にそっと口付けて視線を上げると、忍猫の姿はもうどこにも見当たらなかった。


***


 目が覚めたら、ゲンマの腕の中で眠っていた。

 ゲンマは完全に柱に背中を預けていて、私を両腕で抱きしめていた。すごくドキドキするのに、すごく安心する。こんな気持ち、きっと、後にも先にもゲンマだけだ。

 私、ゲンマに抱かれて眠ってた。嫌でもあの日のことを思い出してしまう。
 リンを亡くして塞ぎ込む私を、ゲンマはそこの客間でこうやってずっと抱きしめてくれた。

 この家にも、ゲンマとの思い出が溢れてる。

 あの頃にはもう、ゲンマのことが好きだったのかな。

 私を抱いて眠るゲンマの顔を、見つめる。子どもの頃はほとんど気にしたことがなかったのに、本当にキレイな顔だな。美人で大人っぽいコマノと、本当にお似合いだったのに。コマノは時々里で見かけるけど、一緒に組むことはもう何年もなかった。

 ゲンマなら、私なんかいなくてもいくらでも素敵な人がいるはずなのに。私のことなんか、ほっといていいのに。
 でもきっとゲンマは私を放っておけない。私がいくらしっかりしなきゃって思っても、ゲンマの前だとすぐ涙が出てしまう。情けないって、思われてないかな。いつか愛想尽かされないかな。きっとゲンマは、そういう人じゃない。

 私の人生に、本気で付き合うつもりだ。

「……ばか」

 消え入りそうな声で呟いて、ゲンマの広い胸にぴったりと寄り添う。顔を上げると、開いたベストから覗くインナーの首元が見えた。
 あんまり目立たないけど、少し、喉元に突起が見える。男の人だもんな。思わず魅入ってしまったことに気づいて顔が熱くなったけど、ゲンマの寝顔を見ていたら、ちょっと悪戯心が湧いてしまった。

 息を潜めて、インナー越しにゲンマの首にキスしたら、自分がめちゃくちゃ恥ずかしくなって慌てて身体を退いた。

 起きて、ない。よね。まさかあのときみたいに、寝たふりとか、してないよね。

 しばらくゲンマの顔を見ていたけど、特に反応する様子はなかった。多分、寝てる。多分。もう知らない。起きてたって知らない。

 空はうっすら白み始めてるけど、まだ少し眠れるかな。任務明けなら、ゲンマも休みかな。先に起きて、ご飯でも作ろうかな。

 離れなきゃって思うのに、やっぱり私はゲンマから離れられない。
 好きって言われても、好きって返せないのに。

「ん……もうちょい」

 拘束されてる腕を解こうとしたら、ゲンマが寝ぼけ眼でうめいた。ぎょっとして心臓が跳ねたけど、ゲンマは本当に寝てたみたいだった。
 任務明けで疲れてるよね。ほんとは布団でゆっくり寝たかったよね。

「ごめん、ゲンマ……帰って寝たほうがいいよ」
「嫌だ。一緒にいる」

 心臓が、ぎゅっと捩れて息苦しくなる。一緒にいたい。ゲンマはきっと、ただそれだけで。
 だから苦しい。だから私じゃダメだって思う。ただ一緒にいる、それだけのことが約束できない。

 きつく背中を抱き寄せられて、また身体が密着する。インナーの向こうから、早鐘のように打ちつける鼓動がありありと伝わってくる。
 私の胸の高鳴りも、きっと全部伝わってる。

 それでもゲンマは、追い立てるようなこともせずに、ただそばにいて抱きしめてくれる。

「……ばか」

 もう一度呟いて、私はそっとゲンマの背中に腕を回して抱き返した。