181.交錯
サクはあのとき、澪様の肩に乗っていた。もう一匹は、多分レイという名前だ。あの二匹は、澪様と俺の話をすぐそばで聞いていた。澪様亡き今、あのふたりが俺の誓いの証人だ。が俺を必要としてくれるなら、俺にできることなら何でもやると。を頼むと澪様に言われたとき、俺は確かに頭を下げた。
が危険な状態だったとき、サクは俺を呼びに来てくれた。眠り続けるのところに、何度も引っ張っていってくれた。の家族に認められているようで嬉しいと思う反面、を愛する全ての人たちへの責任を一手に負っているように感じて、背筋が伸びた。は間違いなく、たくさんの人たちに愛されている。そのことは疑いようがないのに、本人にはそれが届かない。
何で。どうしてなんだ。お前はこんなにも愛され、必要とされているのに。
分かっている。は家族の愛が欲しかったんだ。他人にいくら愛されたって、両親の、家族の愛を信じられなければ、手のひらからすり抜ける砂のように脆く儚い。
だから、見守ると決めた。俺の気持ちが届かないなら、触れられなくてもいい。の安らげる、帰る場所の一つになれたらそれだけでいい。始まりは純粋な気持ちだったのに、俺はもう、男としての自分を隠しきれなくなった。他の男に渡したくない。俺だけのでいてほしい。
だって、俺のことを憎からず思っている。二人でネネコの世話をして、まるで家族のような時間を過ごして。四代目を失って心にぽっかりと穴の開いた俺を、は見逃さなかった。俺の部屋に来て、一緒に飯を食って、抱き合って、眠る。俺は今夜限りにしたくないと願う一方で、二度と軽率な真似はしないと自分に誓った。
の帰る場所でありたいと願っていたのに、俺にとってもは帰る場所だと気付かされた。
壊したくない。同時に、誰にも渡したくない。
焦らず、少しずつ。が結婚できる年齢になるまで、大切にこの関係を育てていきたい。子どもじみた嫉妬で泣かせた夜は、自己嫌悪で眠れなくなった。
終わりにしたくない。土下座でも何でもする。自分の未熟さでを傷つけるような真似は二度としない。だから、また少しずつ、時間をかけてでもの心に近づけたら。
彼女が生死の境を彷徨ったあの夜までは、本気でそう思っていた。
俺たちは忍びだ。明日も生きていられる保証なんてない。分かっていたつもりだったのに、そのことを忘れていた。
今、言わなければ。今、伝えなければ。
お前が好きだ。大切だと。一緒にいたいと。
それなのにはまた、進んでひとりになろうとしている。
何のために、暗部に行くのか。何を迷っているのか。歯切れの悪い返事を繰り返すの表情には、覚えがあった。
がカカシのことを俺に打ち明けるとき、いつもそうやって苦しそうな顔をしていた。
カカシは、暗部の所属だ。
「何考えてる」
「……別に」
「カカシのことか」
驚きのあまり目を丸くするの姿に、俺はまた自分の中で醜い感情が湧き上がるのを感じた。こいつは、いつから。はたけサクモが死んでからずっと、ずっとカカシのことを気に病んでたっていうのか。
カカシに何かしたいと――ひとりじゃないとカカシに伝えたいと、子どもだったは俺の胸で泣きながらそう話した。
いつまで、こんなことを繰り返すんだ。
「お前まだ、カカシのこと引きずってんのかよ。何かしてやりてぇなんて思ってんじゃねぇだろうな。他人のことは放っとけよ、お前の人生だろうが」
いい加減に、自分を見てくれよ。家族も、カカシも関係ない。お前がどう、生きたいかだろう。
俺と一緒にいたいと、お前自身が少しでも思ってくれているのなら。俺は何を置いても、全力でそれに応えるのに。
俺が吐露した台詞を、は慌てて遮ろうとした。嫌だ。絶対に伝える。もう躊躇しない。俺の気持ちは揺らがないし、お前が俺を好きだってことも知ってる。とっくに、知ってる。
だからそうやって、泣いてるんだろ。
「――好きだ、。ずっと前から好きだった」
いつから。そんなこと、俺にだって分からない。
確かなのは今、お前を愛おしく思うこの気持ちだけだ。
***
ゲンマは私のことが好きだって、ほんとは分かってた。
いつから? そんなの、分からない。本部に配属されて、私とゲンマが付き合ってるって噂が流れたとき、噂ってしょうもないなって思った。でももしかしたら私は、ひょっとしておかしいなって気づいていたのかもしれない。確かあの頃、ゲンマが急に余所余所しくなって、チームが解散するのに余計に寂しいって思った記憶がある。もしかしたら、あの頃から?
決定的におかしいって気づいたのはきっと、あの夜だ。ばあちゃんを失って塞ぎ込んで、私は結婚も出産もしないって心に誓った。私が子どもなんか産んでも、絶対に幸せになれないって。
そんな私を見て、ゲンマは俺が幸せにするって言った。私のことも、私の子どものことも。ほんとは嬉しかったけど、傷つきたくなくて私はそれを冗談だって切り捨てた。
きっとゲンマを、ひどく傷つけた。ゲンマが私を大事にしてくれてるって、とっくの昔に分かっていたはずなのに。
ゲンマと一緒にネネコちゃんのお世話をすることになったとき、何度もおかしいって思った。イクチの強引さも、私を見つめるゲンマの眼差しも、私たちを見守るクシナさんや四代目の顔つきも。
何より、ゲンマの隣で赤ちゃんと過ごすうちに、ゲンマとの未来を自分が想像してしまったこと。
私もきっと、あの頃にはもうゲンマのことが好きだったんだ。
でも、認めたくなかった。私は、結婚も出産もしないから。お互いに幼なじみ以上の気持ちがあるって分かってしまったら、一緒にはいられなくなるから。だってゲンマには、幸せになってほしい。普通に結婚して、普通に家庭を持って、幸せになってほしいから。
だから、ただの幼なじみだって決めつけて、ゲンマに恋人ができるまでだって自分に言い訳して、少しでも長くそばにいようとした。
そんな私の態度がきっと、ゲンマをずっと苦しめてきた。
分かってる。私が悪い。分かっているのに、この期に及んで私は、ゲンマの口からその言葉を聞きたくなかった。
「――好きだ、。ずっと前から好きだった」
あぁ、もうダメだ。
私たちはもう、昔のようには戻れない。