180.告白


 会いたくなんかなかった。

 あの夜、ゲンマがシスイのことで変な言いがかりをつけてきた。私がまるでシスイのことを好きみたいに。シスイのことなんか、そんな風に思ったことないのに。
 ゲンマの言うことはおかしい。勝手にそんなこと決めつけて、あんな風に怒って。

 まるで、私たちが恋人であるかのように。

 私のせいだって分かった。ゲンマの気持ちに気付いていて、知らない振りをして。応えられないくせに、そばにいたくて曖昧なことを繰り返して。
 だから離れなきゃいけないと思った。私はどうせ、まともに恋愛なんかできない。結婚も出産もしたくない。誰とも深く関わりたくない。

 の歴史は、私一人で終わらせるから。

 そのあとサクたちがどうするかは、サクたちが決めればいい。
 きっと、気ままな猫に戻るだけだろう。

 だからそんな目で、そんな風に、近づいてこないで。

「逃げんな」

 ゲンマが素早く移動してきたから、縁側から立ち上がる暇もなく腕をつかまれた。ゲンマの怒ったような鋭い眼差しと、熱い手のひらにびくりとして、慌てて視線を逸らす。
 サクはもう、姿かたちも見えなくなっていた。

(あ、あいつ……!!!)

 サクのやつ、謀ったな。ゲンマが来るって分かっていて、私をここに誘導したんだ。玄関から来られたら、きっと私は開けなかったから。病院にゲンマを連れてきたのだって、絶対にサクだ。サクはしらばっくれたけど、態度を見ていたら分かる。
 何でそんなことするのよ。ひとりにさせてよ。

 ゲンマは絶対に、私を放っとけないんだから。

 うろたえる私の腕を引いて、ゲンマは私の身体をきつく抱きしめた。大好きな匂い。こんな風にくっつくのは、ゲンマの部屋で過ごしたあの夜以来だった。
 離れたいのに、溢れそうなほど安心してしまって、涙がこぼれ落ちた。

「無事で、良かった……」

 ゲンマの声は、震えてた。その声を聞いたら、息が詰まりそうになった。

 私が眠っている間、ゲンマは何回も病室に来てくれた。私が目を覚ますのを、ずっと待ってくれていた。
 私だって、ずっと会いたかった。

 もう死ぬかもって思ったとき、最後にゲンマに言った台詞が大嫌いなんて、絶対嫌だって思った。ちゃんと好きって、言えばよかったって。
 でも。本人を目の前にしたら。やっぱり無理だよ。

 大好きだから――そんなこと、言えないよ。

「ゲンマ……痛い」

 退院して五日。まだ、本調子じゃない。壊れそうなくらい、溶けてひとつになりそうなくらい強く抱きしめられて、やっとのことで私はそう漏らした。
 悪いって囁いて少し離れたゲンマは、私の肩を掴んで上から覗き込んできた。

 息がかかりそうなくらい近くて、身体中が焼け付きそうなほど一瞬で熱くなった。思わず顔を逸らそうとしたら、ゲンマの大きな右手が頬に触れて引き戻された。そのまま涙のにじむ目尻を指先でなぞられて、息を呑む。

 心臓が壊れそうだった。

「お前、暗部に行くか悩んでるんだってな」

 私は驚いて目を見開いたけど、すぐにチョウザさんの顔が浮かんで苦々しく唇を結んだ。暗部の話はチョウザさんにしかしていない。するんじゃなかった。

「……ゲンマに関係ない」
「またそれかよ」

 呆れたように、そして苛立たしげに目を細めて、ゲンマはそう吐き捨てた。胸が痛くなって、ゲンマの刺すような瞳を見ていられなくなる。隠そうとしている奥底まで、ゲンマはいつだって引きずり出そうとするから。

「何悩んでんだよ。お前の仕事は本部にあんだろうが。暗部じゃないとできねぇことでもあんのか」
「……簡単に言わないでよ。火影様に頼まれたんだよ。そんな簡単に断れないよ」
「三代目のせいにすんな。お前が悩んでんのはそこじゃないだろ」

 何で。何でそんなこと、決めつけるの。
 そこじゃないなんて、私が一番よく分かってるよ。

 私の肩をつかむゲンマの指先に、力がこもる。私は視線を落として、これ以上涙が落ちないように全力を注いだ。
 ゲンマがひっそりと、囁く。

「そんなに俺から、離れたいのかよ」
「……そんなこと、言ってない」
「じゃあ何だよ。顔を隠して、黙り込んで、また心まで殺していくのかよ。また勝手に、一人になろうとすんのかよ」

 また。そうだ、私はこれまで何回も、何かある度に心を閉ざして勝手に一人になろうとした。その度に、ゲンマが体当たりで私を引き戻してくれたんだ。だから強くなれた。ここまで来られた。でも。
 心はずっと、ぼろぼろのままだ。

 私でさえそうなのに、カカシは? カカシはずっとぼろぼろの心を抱えて、死んだようにこれからも生きるの?
 私の追いかけたいカカシは、そんな姿じゃない。自信満々で、不敵に笑って、時々こっちを振り返って「さっさと来いよ」って言ってくれるあの頃のカカシだ。

 もう十年も前の話なのに。

 ぼんやりしている私の頬を両手でつかんで、ゲンマがまた怒った顔をした。何度も見たことのある顔なのに、息苦しくなるくらいゲンマの感情を近くで感じた。

「何考えてる」
「……別に」
「カカシのことか」

 びっくりしすぎて、私は食い入るようにゲンマの顔を見た。カカシのことなんか、誰にも言ってない。なのにどうして、ゲンマには分かっちゃうの。
 何でそんなに、私のことが分かるの。

「お前まだ、カカシのこと引きずってんのかよ。何かしてやりてぇなんて思ってんじゃねぇだろうな。他人のことは放っとけよ、お前の人生だろうが」

 声はすごく荒々しいのに、私の頬に振れる指先も、覗き込んでくる瞳の奥も温かくて、どうしようもなく苦しくなった。
 やめて。息が、できなくなる。

「……そんなの、ゲンマに関係な――」
「関係ないなんて言うなよ! 何だよそれ……お前にとって俺は、その程度なのかよ」

 そんなわけ、ないでしょ。そんなわけ、ないのに。
 でも苦しいのは、私だけじゃない。ゲンマの切れ長の瞳が涙で揺らいで、項垂れるように身体を倒してゲンマが私の額に自分のそれを押し付けた。一瞬ドキッとしたけど、それ以上にゲンマにこんな顔をさせていることのほうがもっと何倍も苦しかった。

 絞り出されるゲンマの声は、小さく震えていた。

「関係ねぇとか、言うなよ……そんな言い方すんなよ。こんなに好きにさせといて、今さら関係ねぇなんて言ってんじゃねぇよ……」

 私の中で、触れられたくない一番奥底の何かが音を立てて軋んだ。ダメだ。これ以上言わせたら、ダメだ。絶対にダメだ。

「ゲンマ、やだ、それ以上……」

 でもゲンマはほとんど鼻先が触れ合いそうな距離で私の目を見つめて、私の拒絶なんか全部無視してその先を口に出した。

「――好きだ、。ずっと前から好きだった。だから、関係ねぇなんて言うな。関わらせてくれよ……お前の全部に、関わりてぇんだよ……」

 やだって、言ったのに。

 触れ合ったところが全部熱くて、涙が溢れ出して、何も言えなくなって、私はただ酸素を求めて唇を震わせることしかできなかった。