179.寄り添い


 また焼肉かと思ったら、今日は居酒屋だった。助かった。適当につまみでも摘んだらさっさとお暇しよう。もちろん酒は頼まなかった。

「お前、そんなに分かりやすい面で要人の護衛が務まるのか?」
「俺だってプロです。舐めないでください」
「そういえば昇格祝いがまだだったな。今度、ガイとも一緒に奢ってやるよ」

 。その名を聞くだけで、心臓が狂おしく痛んだ。

「……お話がそれだけなら、これで」
「待て。まったく、お前はのこととなると昔から短気だな」

 昔から。一体、いつから。
 俺はドキドキと脈打つ鼓動を覆い隠すように、短く声を出した。

「急いでるんです。用件は何ですか」

 するとチョウザさんは、笑いながらも呆れた様子で肩をすくめた。

「分かった。単刀直入に言おう。が暗部に勧誘されている。お前、知ってたか?」

 暗部。唐突に聞かされた単語に、一瞬、呼吸を忘れた。暗部は正規部隊とは異なり、火影直属で秘密裏に動く少数精鋭の部隊だ。面で顔を隠し、心を隠し、あくまで影に徹するのが彼らの仕事。思いつく顔と言えば、カカシくらいだった。
 が、暗部に?

「……確かなんですか?」
「本人から聞いた。悩んでいるようだったが」

 悩むような、ことかよ。思わず拳を握り、また口元の千本を噛んでしまった。
 チョウザさんが静かに言ってくる。

「あいつは仲間の大切さを知っているが、根底で自分は孤独だと思い込んでいる。もちろん決めるのは自身だが、心配がないではない」
「……心配、だらけですよ」

 俺だって、暗部のことなんて分からない。それでも、ただでさえ心を殺して殺しきれずに苦しむを知っているのに、面なんかで顔を隠したらどうなるかなんて目に見えてる。

 一気にテーブルに運ばれてきたつまみやドリンクが視界に入るも、俺もチョウザさんも手を付けない。俺は目の前に置かれたグラスをまるで仇のように睨んだ。
 何だよ、三代目。そんなこと、さっき一言も言わなかったじゃないか。

 分かっている。あのときと同じだ。俺に何の関係もない。決めるのは、自身だ。

 それでも。

「……これで、失礼します」
「ゲンマ」

 よろよろと立ち上がる俺を、チョウザさんが呼び止めた。その目はかつてと同じ、教え子を案じる大人の眼差しだった。
 俺にはきっと、できないものだ。

を、頼んだぞ」

 はいと言っていいのか、悩んだ。俺にそんな資格があるのか。身の程知らずに、が望まずとも強引に関わりを持とうとするのに?
 チョウザさんも四代目も、三代目も、そして澪様も。俺の醜さを知らない。の前で、俺は自分を恥じるほど身勝手な振る舞いをすることがあるのに。

 それでも。諦めたくないんだ。

「……はい」

 の隣に立つことを。どんなときも変わらず、そばにいることを。

 チョウザさんの微笑みに背を向けて、俺は足早に店を出た。もうすぐ満月だ。四代目を亡くした夜、空には綺麗な満月が昇っていた。

 四代目を守れなかった俺に、特別上忍が務まるのか。何度も何度も自問した。それでも一つずつ、積み重ねていくしかない。守るべきものを、守り抜くことができると。

 言葉それ自体にさほど意味はない。行動で、証明していくしかない。

 もう二度と、自分の幼稚さで一番大切なものを傷つけたりはしない。


***


 チョウザさんと話して、丸一日考えていた。

 孤独であることと、孤独に耐えうること。

 孤独に耐えうるにはきっと、孤独を愛さなければならない。そうしなければ、孤独に押し潰される。
 私はきっと、押し潰される。

 カカシは? 無茶な戦い方ばかりしているって、四代目が心配していた。面をつけることで、心まで失くしていくみたいだって。
 カカシはどうなの? 孤独に耐えられるの?

 それなら今もずっと、明け方に飛び起きたりしないよね?

 カカシは戻れないんだろうか。正規部隊に。でも、きっとそれは本人が望まない。
 私はもう、カカシに何もしてあげられないんだろうか。

、こっちに来るにゃ」

 部屋でぼんやりしていた私は、廊下からサクの声がして顔を上げた。部屋を出ると、通路の先からサクが尻尾を立てて誘導してくる。不思議に思ってついていくと、サクは私を縁側まで連れて行った。

、見るにゃ。月が真ん丸にゃ」

 道理で明るいと思った。でも満月はきっと明日だ。サクの隣に並んで腰を下ろして、私はその柔らかな毛並みを撫でた。

「もうすぐ満月だね。キレイ。でも珍しいね、あんたがこんなことで呼ぶなんて」
「たまにはそういう日もあるにゃ」

 大蛇丸さんの件で駆けつけてくれてから、サクは少し変わった気がする。昔は本当に気まぐれに現れて、気まぐれに遊んで去っていく感じだった。
 でも今は、ただただ寄り添ってくれる。いつも一緒ってわけじゃないけど、気がついたらそばにいる。付かず離れずってこういうことかなって思った。

 サクはきっと、アイのことを忘れたわけじゃない。傷だって癒えたわけじゃない。それでもこうして、寄り添うことはできる。
 やっぱりカカシのこと、放っておけないよ。



 突然名前を呼ばれて、心臓が跳ねる。

 庭先に忽然と現れたのは、ベスト姿で少し息を乱したゲンマだった。