178.師


「お前が、暗部にな……」

 チョウザさんの家に招かれて、縁側で庭先を眺めながらお茶を飲む。秋道家も奈良家と同じように木の葉創設期から旧家として知られていて、屋敷はかなりの広さがある。
 奥からチョウジくんの元気な泣き声が聞こえてきて、チョウザさんは優しく目を細めた。チョウジくんは少し前、一歳になったばかりだ。

 チョウザさんは上忍だから、大蛇丸さんのことも知っていた。大蛇丸さんが非人道的な実験に手を染めて里抜けしたこと。自来也さんが追ったけど、拘束も排除もできなかったこと。自来也さんもそのまま戻らないこと。
 私が事件を追っていたことは極秘事項だけど、上忍たちの間には知られているそうだ。

「三代目も四代目も、お前を高く評価していたからな」
「……七光りって言われてるのは知ってます」
「言わせておけ。万人に評価される人間なんていないんだからな。火影様だってそうだ」

 火影様でさえ。そうか。
 私は誰に、認められたいんだろう。

「澪様も若い頃は一時期、暗部にいたそうだ。三代目の右腕として、里を陰から支える。実力はもちろん、火影の絶対の信頼がなければ務まらない仕事だ。お前ならやれる、大丈夫だ」

 チョウザさんの穏やかな笑顔を見つめながら、心の中にふと灯るのは違和感だ。私ならやれる? 私はそんなことで悩んでるんだろうか?
 私は一体、何に悩んでるんだろう。

「チョウザさん……」
「何だ」

 チョウザさんはいつも、微笑んでいる。アカデミーを卒業してからずっと、この人の笑顔に見守られて私たちは大きくなった。
 私も、ガイも、もちろんゲンマも。

「暗部の仕事と、私たち本部や、正規部隊の仕事。一番の違いは、何だと思いますか」

 私の問いに、チョウザさんはしばらく黙り込んだ。いつもの微笑みを浮かべたまま、湯呑をそっと置いてゆっくりと庭先に視線をやった。

「孤独に耐えうるかどうか、かな」

 孤独。私の脳裏に、やっぱりカカシの顔が浮かんだ。

「正規部隊の任務は通常、里の名の下に行われる。表の秩序の中で、全ての記録が残る。指揮系統があり、責任は分散される。上司に部下、チームがあり、俺たちはその中の一部だ」

 私だってその中でずっと生きてきた。仲間がいたから、ここまでやってこられた。特別上忍になり、里長に認められるまでになった。

「暗部はあくまで火影の直属部隊。チーム行動だとしても、基本的には火影と一対一の関係だ。記録には残らない任務も、仮面の下で淡々とこなす必要がある。火影の影となり動く、あくまで個の精鋭部隊――それが暗部だ」

 なんだかすごく、しっくりと腑に落ちた。チームとして互いの力を掛け合わせる戦い方と、あくまで個の高い能力を発揮する戦い方。仮面の下で、自分の名前を捨てられるか。
 狐の面の下で、名前を呼ぶなと言っていたカカシのことを思い出した。

 孤独に耐えうるか。火影の影に、徹することができるか。

 カカシも今、そうやって生きている。

 一人じゃないとずっとカカシに伝えたかった。私がいる、ガイもいる。オビトとリンは戻らなくても、前を向いて歩いて行けるって。
 カカシが孤独を選ぶなら、その隣に立つことくらいできる。

 ばあちゃんを失ったあの日から。私だってもう、ひとりになってしまったから。



 俯く私に、チョウザさんが静かに声をかける。いつの間にか、チョウジくんの泣き声は聞こえなくなっていた。

「孤独であることと、孤独に耐えうることとは違う。それを履き違えているのなら、お前は暗部に行くべきではない」
「………」

 見透かされているようで、言葉に詰まった。何も言えないでいる私を見て、チョウザさんはまたいつもみたいに落ち着いた眼差しで微笑む。

「しっかり考えて、自分で決めなさい。どんな形でも応援している」
「……はい」

 結局のところ、それしかない。
 自分で、決めるしか。

 自分で決めて、その結果に自分で責任を持つ。

 大人になるって、きっとそういうことだ。


***


 どれだけが心配でたまらなくても、任務が待ってくれるわけじゃない。敵が多い富豪の護衛は、単純な護衛任務の他にも付随する業務が多岐にわたる。厄介な事この上ないが、代わりに面白い情報が手に入ることもある。

「ご苦労だったな」

 三代目に報告を終えると、俺だけ部屋に残るように指示された。もしかして、と逸る気持ちを抑えながら姿勢を正すと、三代目は快活に笑ってみせた。

「そう急かすでない。は数日前に無事退院した。今は自宅療養中だ」

 ――会いたい。何よりもまず、その思いだけが全身を支配した。じっとしているのもじれったくて、後ろ手に組んだ拳が震えるのを抑えられない。無意識に歯を食いしばってしまい、咥えた千本の先が揺れた。

「よく待った。行ってやれ」
「……失礼します」

 やっとのことでそう絞り出し、執務室を出ると俺は一目散に走り出した。正直、みっともない。峠は越えたとあのとき分かっていたし、サクに付き添われて病室にも何度も行っている。意識はなくとも、もう危険はないと分かっていたはずなのに。
 そんなことはどうでもいい。会いたい。早く会いたい。嫌がられたって抱きしめて、確かにここにいると実感したい。

 あの夜のせいで嫌われたとしても、伝えたい。好きだと。もう二度と、傷つけるような真似はしないと。絶対に、諦めたくない。

 火影邸を飛び出した俺の目に一番に飛び込んできたのは、かつての師であるチョウザさんだった。

「久しぶりだな、ゲンマ」
「チョウザさん……はい、お久しぶりです」
「これから飯でもどうだ? そういえばお前ももう十九だったな、酒でもいいぞ。奢ってやる」
「いえ、その、今はちょっと……急いでるんで」

 正直、一刻も早く退いてほしい。立ち話をしている時間さえ惜しい。
 だが苛立ちを隠しもしない俺を見て、チョウザさんは豪快に笑った。

「お前がどこに行きたいかは分かっている。だがその前に、大事な話がある。付き合え」

 俺の行きたい場所を、分かっている? その上で、話がある? まさかとのことも全部、分かっていて。
 ――仕方ない。大いに有り得る話だ。俺の分かりやすい態度のせいで、俺たちの妙な噂が本部の外にまで伝わっていることは知っている。俺たちの師だったチョウザさんが、知らないわけがない。

 モヤモヤと気味の悪いものを胸に抱えながら、俺は訳知り顔のチョウザさんのあとについていった。